第24話 柔らかな圧迫
──天狗である狗谷木天が、川下高校へと転校してきた。もちろん妖怪であることは誰も知らない。家の都合で県外から引っ越してきたことになっているらしい。鬼村同様、本当に人間しかいない高校で上手くやっていけるのかと思ったが……どうやら人懐っこいかつコミュ強(コミュニケーションを取ることにおいての強者:俺とは無縁の言葉)で上手くやっているらしい。
「美鬼ちゃん!!」
──やっているらしい、が……
「ねぇねぇ出席番号一番最後だった! なんで!? オレあいうえお順だと一番最初なんだけど!? 転校生だから!?」
「美鬼ちゃーん! ねー英語って全然意味わかんなくない? 宿題とかできる気しないし~」
「みーきちゃん♪ オレさっきの体育でめっちゃ褒められたー! すごくない!?」
「美鬼ちゃん美鬼ちゃん、あのね美鬼ちゃん~!」
──HRのあとにすぐうちのクラスに来るわ、俺の授業が始まる前に教室にいたと思えば授業が終わったあともまたすぐ来るわ、挙句の果てには化学準備室にもやってくるわでとにかく鬼村の横に常にいる! あいつちゃんと授業受けてんのか!?
今は化学準備室で俺が昼飯のカップ麺を食う横で鬼村は弁当を開き、そして狗谷木は何故か床に座って鬼村を見上げていた。
「あんたそこで昼食べんの? そっちのソファ座れば良くない?」
「美鬼ちゃんの隣にいたいから~♪」
「ふーん、めっちゃウザいから踏んでいい?」
「ヤダ暴力的!! でもそこも好き♡」
狗谷木はにこにこしながら焼きそばパンに噛り付いている。俺は口角が引きつった。
「お前ら……うるさくすんなら出てけよ、俺は飯食ったら仕事すんだからな」
「えーやだやだせっかくセンセーと一緒にいられる時間なのに!」
「オレだって美鬼ちゃんといられる時間なのに!!」
「狗谷木はひっきりなしにこいつに会いに行ってんだろどうせ」
授業の合間全てを鬼村に捧げてるだろうと思って言ったが、案の定狗谷木は満面の笑みで何度も頷いた。
「だって美鬼ちゃんと会うのめっちゃ久しぶりだし、いくらでも会いたいに決まってんじゃん」
「久しぶり? 鬼村はこっちに来る前こいつとよく会ってたわけじゃないのか?」
「別に~、天が大天狗の修行に出る~とかであんまし会わなくなったんだよね。会わない間にスマホ使い始めたらなんかメッセージ来るようになって、そっからしょっちゅう連絡くるようになったかな~」
「少しでも美鬼ちゃんと話したかったんだよ! でも美鬼ちゃん十回に一回くらいしか返事くれないじゃんね!?」
「めんどくて」
狗谷木にツンとした塩対応をしたかと思えば、鬼村は弁当箱の中のおかずを一つ箸で取ると「センセ、あ~ん♡」と俺に差し出してきた。もちろん食べる気はない。
「はあ~、今日一日美鬼ちゃん見てて思ったけどさ。やっぱ美鬼ちゃんは強くてかっこよくてキレイで美人だよな~。ちゃんと名前のとおり!」
「名前の通り?」
なんとなく気にかかって、俺は鬼村の「食べて」攻撃を躱しつつ狗谷木を見た。
「そ! ……って、あんたもしかして美鬼ちゃんと一緒にいんのに名前知らねーの?」
「え? いや、名前は知ってるけど……鬼村ミキだろ」
「は!? 全然ちげーし!」
「はあ??」
俺は思わず頭の上に疑問符を浮かべてしまう。何が違うんだ。狗谷木も俺も同じようにこいつの名前を呼んでいるだろうに。
「あんな~桃間先生よぉ……。美鬼ちゃんは美しい鬼だぜ」
美しい……鬼?
──ああ、それで美鬼か。
俺が頭の中で文字を思い浮かべている間、「センコーって朝は呼んでたじゃん」「担任にそれ言ったらめっちゃ怒られたんだよぉ~」という会話が聞こえてきた。
「──とにかく! 妖怪にとっちゃ名前は存在と同義! だから俺はその美しい美鬼ちゃんとずっと一緒にいたいわけ~」
「はー……なるほど?」
「だからよぉ、おめーはオレのこの気持ちに勝てんのか桃間ぁ!?
…………先生」
啖呵を切る割に律儀に『先生』を付ける辺り、どうにも憎めない馬鹿であることを俺は理解した。
「狗谷木ー……」
「あ!? なんだやんのか!?」
「明日俺の授業あるからな、ちゃんと話聞いてねーといつかやる実験の時困るぞ」
「は!? なっ、え……あれ? 桃間先生ってなんの先生なん?」
「化学」
「あー!! オレ!! 化学の教科書ぱらぱらーって見たけど全然意味わからんかった! 桃間先生が化学の先生なん!? 最悪!! でも実験すげー楽しみだわ!!」
「いちいち声がでけぇしうるせぇよ」
馬鹿で抜けてて少し狗谷木が可愛く思えてきた俺は、つい笑ってしまった。いるいるこういう生徒。なんだ、こいつも普通に人間の男子高校生と一緒じゃねぇか。攻撃してこなけりゃ可愛いもんなんだけどな。
伸びかけのカップ麺を啜っていると、ふと鬼村がこっちを見ていることに気が付いた。しかも、随分と不服そうな顔で。なんだ俺は何もしてないぞ。
「……センセー、笑った顔めっちゃ可愛いじゃん」
「は?」
「なんであたしにはそんな笑ってくんないわけ?」
鬼村は頬を膨らませると怒ったように隣の狗谷木の頬をつねった。
「いっ、いで、いででででで、美鬼ちゃんどしたの!?」
「なんかムカついたから」
「え!? なんで!? 触ってくれるのは嬉しいけどいーだだだだだだだだ」
「お昼もう食べ終わったし教室帰りまーす」
鬼村はそう言うと狗谷木の頬を摘まんだまま立ち上がり、出ていった。扉越しには狗谷木の悲鳴が長らく聞こえていたが、少しするとまた静寂が戻ってきてついには昼休み終了を告げる鐘が校内に響き渡った。
「……なんだ今の」
俺はカップ麺の汁を全て飲み込むと、途中になっていた仕事を再開した。
***
放課後になって鬼村が準備室の扉が開けたのは、俺が帰りのHRを終え職員室に寄った後に戻って来てすぐのことだった。いつものようにノックもせずに入ってくると、鬼村は隣の椅子に座り軋む音を響かせた。
「あたし今日も先帰るねー」
「え? ああ、そういや昨日も先に帰ってたな。友達と遊びに行くなら別に俺のことなんて気にせずに帰っても──」
「違う違う、昨日のは面接」
「面接?」
「今日からバイト」
「バイトぉ!?」
俺は馬鹿にでかい声を上げてしまった。そういやこないだバイト始めるとか言ってたっけか……?
「って、お前バイトの申請書出してねぇだろ!」
「えー何それどこに出すの?」
「学校にだよ!! 学生は勉強が本分! バイトすんならちゃんと許可取ってからにしろ!」
「めんどくさいな~……じゃ紙ちょうだーい」
「ちっ、めんどくせぇのは俺だっての……」
引き出しから紙を一枚取り出すと鬼村に渡してやった。紙を上から下まで眺めると、鬼村は唇を尖らせて唸る。
「これー、保護者の承諾ってとこあるんだけどぉー」
「お前は一応未成年ってことになってんだから当たり前だろ」
「自分で書いちゃっていい?」
「ダメに決まってんだろ」
と、言っては見たもののこいつの保護者とやらがどこでどうしてるのかはわからない。さらにはこんなアルバイト許可証の申請書なんてもの、鬼に言っても理解してくれないんじゃないだろうか。今度は俺が唸った。
「ま、どうにかしておくね~。でもバイトは今日からだから行くけどー」
「ほんとは先に許可取るんだよこの馬鹿。──というか、あのうるさいのはどうした?」
「天のこと?」
俺は廊下の方へ耳を澄ませてみる。が、狗谷木の声は聞こえてこない。置いてきたってわけでもなさそうか。
「天はー……なんか部活勧誘? ってのに引っ張られてった~」
「へー、何の部活だ?」
「んーわかんない。いろいろ?」
「いろいろ……」
確かにあいつも鬼村同様運動神経はいいんだろう。引く手あまたってことか。あいつのことだから振り切って鬼村の方へ来そうなもんだが……案外面白がって部活体験楽しんでるのかもしれないな。
そういやこいつも一応陸上部に入ってることになってたな。全然参加してないみたいだが。鬼村にしろ、狗谷木にしろ、授業受けてたり部活やってたりすれば、年相応って感じで。何なら見た目的には釣り合ってそうな気もするわけで。なんて考えていると、ふと思い至ってしまった。
「俺じゃなくてあいつで良いんじゃないのか?」
俺はデスクに頬杖をつき、スマホを弄っている鬼村を見て言った。鬼村はしばらく画面を見つめていたが用が済んだのか手を止めて俺を見た。
「え? 何が?」
「お前は俺の家系の繁殖力みたいのを期待してんだろうけどよー、呪いだっていつ解けるかわかんねーんだからそんなん待ってないで、妖怪同士ですりゃいいだろうが。狗谷木はお前のこと好きだってアピールしてんだし、お前も子どもが作れんなら別にいーんじゃねぇの? 誰でも」
最後の言葉は何故か投げやりになってしまったが訂正はしなかった。この提案に鬼村は二、三度瞬きをしたのち深く椅子に腰かけた。俺は喉の渇きを感じて水のペットボトルに手を伸ばす。
「……妖怪同士の子作りって~、センセーが思ってんのとちょっと違うかも~」
「違う?」
「セックスじゃないってこと」
その単語に思わず咽る。水を飲む前で良かった。
「っ、おま……っ」
「は? センセーが言ったんじゃん。妖怪同士ですりゃいい~って。そーゆーことでしょ?」
「そっ……う、いう、ことではあるけど……」
「妖怪同士の子作りってのはさぁ、それぞれの妖力を練って新しい命を作る~みたいな感じなのよ。別に肌を重ね合わせるとか気持ちよくなるように時間かけるとか突っ込んで喘ぐとかしなくていいんだよ」
「………」
目を逸らし、顔を手で覆う。
「──女子がそういうことを淡々と言うな、淡々と」
「センセー女の子に何求めてんの? 純情さ?」
隣で椅子が軋む音がした。視界を遮っている為鬼村がどうしているかはわからない。僅かな息遣いが聞こえた。
「でもそーゆー意味ならあたし処女だよ? 純情っぽくない?」
「ばっ──」
──馬鹿野郎!
──お前、
──処女とか言ってんじゃねぇぞ!
──こんな密室で男と二人きりで、
──何が純情だ、
──何が、
って。
言葉は出ない。
全然出てこない。
何故だか視界いっぱいには一転して天井が見えている。
椅子に座っていたはずなのに。
後頭部と背中が痛い。
椅子から落ちた?
なんで?
「あたしさぁー……人間相手はもちろん妖怪とだって、妖力も、身体も、交えたことなんてない」
──倒れた俺の胸の上に、鬼村の体重が乗る。
「あたしはセンセーとだけシたいの。ずーっと前から」
──柔らかい太腿が、俺の顔を両側から押さえつけた。
「一途は嫌い?」
──呼吸ができない。いや、しちゃいけない。だって、俺の顔のすぐ近くには鬼村の
「勃たなくてももうここで、イイコトしちゃおっか?」
全身が熱くなる。
何が起こってるのかわからない。
俺の胸の上には鬼村が座っていて、
俺の顔は鬼村の内腿に圧迫されている。
どういう状況なのか誰か教えてくれ。
パニックになりかけて
酸素が恋しくて
指先が床を引っ掻いた。
「……やば、もーこんな時間じゃーん」
鬼村が立ち上がり、倒れた俺を置いて扉へと向かった。
「初日からバイト遅れんの感じ悪いだろうからさ~、行くね。あ、天にはきつく言ってあるからあたしがいない間に襲ってくることはもうないと思うー」
ドアノブに手をかけそのまま出て行くと思ったが、鬼村は扉を開けずに俺を振り返った。
「……昨日も思ったけどさ、もしかしてセンセーって押しに弱い感じ?
それならあたし──
これからガンガン攻めちゃおっかな♡」
──小さな笑い声が聞こえたあと、バタンと勢いよく扉が閉まる。
廊下を歩いていく足音はすぐに聴こえなくなった。
その瞬間に溜まった二酸化炭素を全て吐き出し、
大量の酸素を勢いよく吸い込んだ。
まるで過呼吸かのように吸っては吐いてを繰り返し、
天井を見つめる。
「俺の上に立つなよ、パンツ見えてんだよチクショウ……」




