第20話 お酒に弱い桃間先生
「桃間せーんせ、今日飲みに行きましょ♪」
「いいですよ」
「え!?」
河原礼司の声が土曜夕方の職員室に響いた。隣に座る桃間一樹はしかめっ面をして彼を見ている。
「いつもなら嫌そ~な感じで答えてくるのにどうしました? 何か僕に対する心境の変化が? それとも拾い食いでもしました?」
「河原先生に対する心境の変化は無いですし、拾い食いもしてませんよ。なんですか」
「いやぁ、桃間先生が珍しく二つ返事でOKしてくれるもんだから」
「ちょっとごたごたしてたのが落ち着いたんで、飲みに行きたいだけですよ」
「ほほ~ん??」
河原はしばらく彼を眺めていたが、すぐににっこりと表情を変えて頬杖をついた。今週いっぱいずっと机の上を支配していた書類はすっきりと片付いており、視界を遮るものはほとんどない。その視線に気づいてか、帰り支度をしていた桃間は眉間に皺を寄せた。
「……何見てんすか」
「いやぁ~? 素直な桃間先生は可愛いなと思いまして♪ そういうの生徒の前でも出したらモテますよ♪」
「生徒にモテてどうすんですか。どうでもいいですよ」
「ええ~? 僕なんてそれしか考えてないのに!」
「犯罪者予備軍にでもなるつもりですか」
「モテるとバレンタインに可愛い生徒たちからいっぱいチョコもらえるんですよ知らないんですか~?」
「甘いもの食べないので俺は結構です」
ギィ、と椅子が音を立てる。桃間が席を立ったのだ。そのまま帰ろうとする彼に河原は慌てて自分も帰り支度をして追いかけた。
「ちょっとちょっと! 置いてかないでくださいよ~」
残っている同僚たちに軽く挨拶をしつつ二人は職員室を出る。ぼんやりとした蛍光灯に照らされた暗い廊下に靴音とスリッパの擦れる音が響いた。
***
「はい、串盛り合わせとビールです。蛸のから揚げはもうちょっと待ってくださいね」
店主がカウンター越しに出した串盛りの皿とグラスを受け取ると、河原は「かんぱ~い」と桃間のグラスに自分のグラスを軽くぶつけた。
「それでそれで? 桃間先生のごたごたって一体何があったんです~?」
河原の質問にすぐ答えずに、桃間はぐいっとグラスを傾けるとビールを半分ほど喉に流し込んだ。
「っぷはぁ……! あ゛あ~~……沁みる」
「ちょっと聞いてます?」
「聞いてます」
桃間はぶっきらぼうにそう言うと鶏皮の串に手を伸ばした。ぶっきらぼうに、とは言うが特段何か嫌がっているわけではない。これが彼の普段の態度だ。
「桃間先生ってば最近やたら忙しくしてたじゃないですか~。いつもはみっちり仕事って感じでしたけど、ここ最近はプライベートでなんかあるのかたまに早く帰ってみたり、疲れてるのか準備室で居眠りしてみたり」
「なんで居眠りのこと知ってんだよ」
「用事があって行ったら寝てたのでそっとしておいてあげたんです~」
「そういう時は起こしていいっつの」
むすっとした表情の桃間に、河原は「僕の優しさがなんでわかんないかな」と唇を尖らせた。そしてレバーの串を取ってかぶりつく。
しばらく特に会話もなく料理に手を伸ばしていた二人だったが、「はい蛸のから揚げ」と次の料理を出してきた店主が首を傾げて聞いた。
「そういえば桃間先生、こないだうちに来た時はなんか具合悪そうだったじゃないですか。大丈夫でした?」
「え?」
「ほら、なんでも『白昼夢』を見たとか」
「あ、あー……」
その後の言葉がすぐに出てこず、桃間は目頭をぎゅっとつまむようにして押さえた。
「そうだそうだ、桃間先生変なこと言ってたじゃないですか~。異世界に行った~みたいな。あれから行き方わかりました? 僕も行けます?」
「行き方なんて知りませんよ。大体白昼夢って河原先生が言ったんでしょうが」
「ええ~? でも異世界って言えばアニメとかで今若い子たちに人気のジャンルなんでしょ? 知らない世界へ行って、自分のスキルを使って成り上がり! 大モテ! 大儲け! 僕もできないかなーそういうの」
「今いる現実世界で大儲けする方が良くないです? それ」
「言えてる~。でも僕ら公務員だから厳しいじゃないですか、やっぱ異世界ですね!」
ぐいっとビールを飲む河原に呼応して、桃間も再度ビールを飲む。ごくごくと音を立てればグラスの中身は無くなってしまった。
「もう一杯お願いします」
ドン、とカウンターにグラスを置くと「はいよ」と店主はそれを受け取って新しいグラスに並々とビールを注ぎ始めた。
「あれれれ、桃間先生今日早いですね。酔いつぶれないでくださいよ?」
「大丈夫ですって」
「とか言って~、絶対僕が家まで送ってくやつ~」
「いや、家まで送らなくて結構……」
料理に手を伸ばそうとしていた桃間の手がぴたりと止まる。河原はそれを不思議そうに見ていた。
「………」
「どうしました? 桃間先生」
「いや……あー、酒は、次で終わりにしときます」
「ええ? なんでまた急に」
「万が一家まで送っていただくことになるとご迷惑をおかけするかなと思いまして」
「んん!? え、いやいや別に大丈夫ですって! ってかなんです急に」
突然そわそわとした様子になった桃間に、河原は不審そうに目を細めた。
「もしかして、家に来られると厄介な事情でも?」
「……いや、無いですよ」
「嘘だ! なんですその間は! あー! 彼女、彼女できたんでしょ!」
「できてません」
「僕でさえ彼女いないのに! 桃間先生に彼女できるなんておかしいじゃないですか!」
「何なんですかその言いようは、俺に彼女できようができまいがあんたに関係ないじゃないですか」
「その言い方するってことはやっぱ彼女じゃないですか~!!」
悔しい! と、睨みつけながら串を噛む河原に桃間は目を閉じてから揚げを味わった。噛めば噛むほど蛸の味が広がっていきビールを飲みたくなる。そのまま欲に従って新しいグラスに口をつけた。
「酔っぱらって帰ったら彼女怒ります?」
「だから彼女なんていません」
「じゃあ尚更酔っぱらっていいってことですよね」
「はあ!?」
「よっちゃんそこの日本酒出して!」
よっちゃんと呼ばれた店主は後ろの棚から瓶を手に取るとにっこり笑った。
「これ昨日入ったやつ。辛口で美味いよ」
「俺飲まないですよ」
「飲むんですよ!!」
「はーい二人分入れるね~」
「………」
嫌そうな顔をする桃間を置いて、店主は開けたばかりの日本酒を綺麗な模様の入ったグラスに注ぎ始めた。河原はわくわくとした様子で日本酒を待ちつつ、それに合わせる料理を何にするか壁のメニュー表を眺めていた。
「だから、おい──俺は酔い潰れるまで飲まないからな!!」
***
夜の静かな住宅街で、バタン、とタクシーの扉を閉める音が響いた。アパートの前に停められたタクシーはすぐに発進し行ってしまう。降りてきた男は一人よろよろと階段の手すりに捕まりながら上って行った。
「どうにか、自力で帰ってきたぞ……」
日本酒を二杯飲まされた桃間はテーブルに突っ伏す程酔い潰れたのだが、河原の「送りますよ♪」という言葉に一度も首を縦に振らずにどうにか帰ってきたわけだ。
半分眠っているような頭をどうにか回転させ、ポケットの中をまさぐりながら廊下を歩く。ふらつきつつも自分の部屋の前までどうにか歩いてくると、鍵穴に鍵を挿し込もうとする──が、上手く入らない。ガチャガチャと音を立てていると隣の部屋のドアが開いた。
「──あれ、センセー飲んできたん?」
ひょっこりと玄関から顔を覗かせる鬼村に、桃間はほとんど開かない目を向けた。
「……鬼村か」
「もしかして酔っぱらってる?」
「おい、何時だと思ってんだ。子どもは寝ろ」
「何時って~まだ夜の十時くらい? てかセンセーすぐあたしのこと子ども扱いするじゃん、ウケる」
けらけらと可笑しそうに笑う鬼村だが、桃間は相手をする気力がないのか鍵を開ける作業に戻った。なかなか入らない鍵だったが、どうにか挿し込むことに成功するとドアを開けてそのまま倒れるように中に入っていった。実際、どすんと音を立てて玄関に倒れ込んでいる。
「ちょっとセンセー、そこで寝たら風邪引くって~」
後を追うようにやってきた鬼村が桃間の背中をトントンと叩いた。だが彼は動く気などさらさらない。眉間に皺を寄せたまま「ここで寝る」と呟いた彼に鬼村は肩をすくめた。
「もー手のかかるセンセーだなぁ」
鬼村はそう言うとひょいと彼の体を持ち上げる。もうすでに眠りについてしまったのか桃間は何の反応も示さずにそのまま肩に担がれて部屋の中へと運ばれて行き、敷きっぱなしの布団の上へと寝かされた。
「ねーあたし酔っぱらいの介抱ってしたことないんだけど、どうすりゃいいの? なんか飲む? このまま寝かしといた方が良い系?」
「………」
「えーもう完全に寝てんじゃん。仕方ないから寝かしておくかぁ~」
鬼村はつまらなさそうにツンツンと彼の頬をつついた。いつもよりも血色の良い顔色が珍しいのかそのまま指をぐりぐりと押し付ける。
「センセー顔あっつーい」
「………」
鬱陶しかったのか、桃間の瞼が僅かに開いた。
「やっぱお水とか飲んだ方がいいんじゃん? あたし持ってく────うわ」
急に手を引かれ、桃間の上に鬼村が倒れ込む。
桃間の顔が鬼村の胸で圧迫された。
「ちょっとセンセー、息できなくない?」
わずかに身じろぎすれば、彼の顔がようやく見えた。だがこれ以上は動けない。何故か彼の両腕がきつく鬼村の体を抱きしめていた。
「センセーあたしここにいた方が良い系?」
「………」
「ねーねーセンセ~」
「うるせーから、黙ってろ……」
桃間はそう言うとそのまま再び眠りについてしまった。鬼村はそんな彼を見つめ、「うーん」と唸る。
「……起きてる時にこれくらい積極的だと進展ありまくりなんだけどなぁ」
仕方なし、というように彼の頭をぎゅっと抱きしめて鬼村も目を閉じた。
──翌日、同じ布団で横になっている鬼村を見て桃間は悲鳴を上げたが「あたし何も悪くないんだけど」という抗議は素直に桃間の耳には入らなかった。酒に弱い桃間は、酔っぱらっている時のことをいつも覚えていない。
そして週明けの学校では「誰にも見せたくないくらいの美人な彼女の写真見せてください」と河原から詰められるのであった──。




