第2話 俺は××なんだよ!
人間というのは本当に恐怖した時、
唾も飲み込めない程の緊張状態に陥るのだと知った。
カラカラに干上がった喉の奥が水分を欲しているものの、
俺はただ目の前の光景をじっと見ていることしかできない。
鬼の女がじっと俺を見て黙り込んでいる。
『鬼のような女』
ではない。
この女は、本当に鬼なのだ。
コスプレだと言われれば普段なら信じたかもしれないが、
今は本物だろうことはわかっている。
この額から生えた角は偽物のようには見えなかった。
「……あれれ、ちょっとーだいじょぶ?」
鬼女が俺の顔の前で手をひらひらとさせている。
俺の意識をこっちに向けたいようだった。
俺は無駄だとわかりつつもすぐさま距離を取り、ようやく唾を飲み込んだ。
「おっ……お前、まさか今朝校門の前にいた奴か!?」
声が裏返った質問に、鬼女は小さく笑った。
「うん、そーだけど」
「一体何が目的だ! ここは一体なんなんだ! さっきの奴らはなんだ! お前も俺を殺そうとしてんのか!?」
まとまりの無い問いに、鬼女は首を傾げた。
「ちょっとちょっと。質問あるならもう少しゆっくりにしてくれないかな~。あたし早口言葉ちょー苦手」
「なっ……と、とにかく……お前ら一体なんなんだ!」
俺の質問に、鬼女はうーんと唸ると首を傾げた。
「あたしは鬼だけどー、さっきのはー……名前とかないんじゃん?」
「はあ?」
「あ、あれあれほら、なんて言うんだっけなー……ちむちむ、まんりょー?」
「おいなんだそれ、呪文か?」
「はー? 違うし。なんかあーゆーのをひとまとめにした言い方あんじゃん。ちみ…なんだっけ?」
言葉が出てこないのか目を瞑りながら唸る鬼女に、俺は少し呆れながらも言った。
「まさか、魑魅魍魎?」
「そーそ!」
ビンゴ! とでも言うように鬼女は人差し指を俺に向けた。またもや長い爪が俺に刺さりそうで、距離を取っているはずなのについ仰け反ってしまう。
「そのちみもーりょーってのがさぁ~、ちょっと鬱陶しいわけよ」
「鬱陶しい? お前ら同じ化け物だろ、仲間とかじゃないのか」
「えーそんなこと聞くの? じゃああんたら人間はみーんな仲良しこよしで殺し合いもしないってわけ?」
言った言葉にそぐわないニコニコとした表情が向けられる。
「……そういうわけでは」
「でっしょ~? まあ気に食わないやつなんてどこにでもいんじゃん? だから人間も何度だって戦争とかしちゃうわけで~。まあでも今ってわりかし平和? てか他の奴のことなんて気にしないで好きなことしてる方が得だと思わない? 自分の時間大切にしていきたいよねー」
「い、や、え……」
「わかる?」
「わ、わか、る……かも?」
「でっしょ~♪」
いや待て待て。
こいつは俺とは違う生き物で、鬼だぞ。
何わかりあった気になってんだよ、このあとこいつが急に俺を殺そうとしてくることだって絶対あるだろ。
何考えてるかわかったもんじゃねぇ、もう少し様子を見てここからどうやって逃げるか考えねえと──
「ところでさ、なんで今朝『桃太郎の子孫いるー?』て聞いた時、しらばっくれたわけ?」
きらりとビー玉のようにつややかに光った目が、俺を見た。息を呑む。
「……え」
「あたし聞いたじゃーん、フツーに答えてくれればいいのにさぁ。わかんないみたいなこと言って逃げようとするしー、マジ何? みたいな」
鬼女はそう言うとあからさまにため息を吐いて頬杖をついている。
「だって桃間一樹はあんたでしょ~?」
びしっ、と俺に向けて人差し指が向けられる。
そして
ゆっくりと指の力を緩めて手を開くと
俺の頬へそれが伸びてきた。
「隠し事したって無駄なのにさぁ」
細い指先が、俺の頬をするりと撫でていく。
吐息混じりの声が耳に届いて
ぞわぞわぞわっ
と背筋が震えた。
「か、隠し事ってなんだ! 俺は知らないぞ!」
手を振り払うように俺は後ずさった。鬼女はきょとんとしている。それから眉をひそめるとじーっと俺を見つめた。
「……まさか知らないの?」
「何がだよ」
「あんたのご先祖さんはあの有名な桃太郎ってこと」
「そんな、桃太郎なんて作り話だろ!」
「作り話? やだなーもう、じゃあ今あんたの目の前にいるあたしは何?」
「は、何って……」
──『鬼』
「………」
「だからさぁ、桃太郎って人間はちゃんといたわけ。わかる? それで、あんたはそれの子孫。人間の寿命って昔と今じゃ違うんだっけ? じゃあひい、ひい、ひい、ひい、ひい、ひい……何回数えればいんだろ。とにかくめーっちゃ上の方にいるあんたのおじいちゃんが、桃太郎ってわけ。わかる? 聞いてる?」
「聞いてるよ。でも、知らねぇよそんな話! 俺はただの人間で、何の力もない! 鬼に立ち向かえるほど強いわけでも全然ない! 運動は昔バスケをやってたくらいだ!」
「バスケ? あー、あの籠にボール突っ込んで遊ぶやつだ。あたしも一回やってみたいな~」
「だから、俺は無関係……!」
「あるある、あるって、一個すっごくわかりやすく受け継いでること」
鬼女は、「んー」と唸ると、視線をすすすす……と下へ持っていった。
地面を見てるのか?
俺もその視線の先を追ったが、よくわからない。
そいつが見てるのは──
「ねー、あんたってほんとに桃太郎のお話知ってんの?」
「え」
「昔話、ちゃんと知ってる?」
「し……知ってる。当たり前だろ、日本人の子どもは小さい時にどこかしらで絵本とか読み聞かせされるんだから。多分」
「じゃあどんなお話か教えてよ~」
「……えーと、だな。
昔々あるところに、
おじいさんとおばあさんがいました。
おじいさんは山へ芝刈りに、
おばあさんは川へ洗濯に、
そしてその時川上から
どんぶらこ、
どんぶらこ、
と、大きな桃が流れてきました。
驚いたおばあさんは大慌てで桃を川から拾って家へ持って帰りました。
そしておじいさんが帰ってきてから
さっそくその大きな桃を食べて見ようと包丁で切ると
中からは元気な男の子が……」
「はい、それ間違い!」
「はあ!?」
「間違ってんだって~」
「どこがだよ!? かなり正統派の桃太郎語ってただろ俺!!」
「んー……正統派ねぇ。あれじゃん、それはお子様向けじゃん?」
「はああ!?」
鬼女はくすくすと笑うと、ゆっくり立ち上がった。
地面に座り込んだままの俺は、彼女を見上げる形になる。
「だからぁ、まずその桃、人間なんて入ってないから」
「え?」
「どっかの神様たちがね、川に流した桃なんだって〜」
「神様?」
「そんでね、その桃を川で拾った女の人がさぁ、まー家で食べようと思って普通に切って旦那さんと食べたわけ」
「ええ? 桃太郎は?」
「んー、それでね、その桃がいわゆる──
精力増強剤だったんだってぇ」
「……ん????」
「あははっ、だからすっごい元気になっちゃう桃だったんだってぇ~。で、美味しくてパクパク食べちゃったその夫婦、どうなると思う? 別にあたしが言わなくてもわかるじゃん?」
「いや、えっ……」
桃が精力増強剤?
精力増強剤ってなんだっけ。
いやわかる、あれだろ。
その辺のドラッグストアでもある、アレだろ……?
鬼女は膝に手を付き、屈むようにして俺を見つめた。
「だからぁ
その夫婦はすっごくヤル気になっちゃって
すっごく濃厚な時間を過ごした結果
桃太郎が生まれた、ってわけ」
屈んだ格好のせいで
上着の襟ぐりから下に着ているタンクトップが良く見え
鬼女の胸の谷間が強調される。
「……っ!」
俺は慌てて目を逸らした。
「で、神様の力が宿った桃効果なのか、その桃太郎は成長したあと身勝手な正義感で鬼退治とやらに行きましたとさ~」
「……身勝手な、正義感?」
「はい、それじゃあここで問題!」
「!」
「この桃太郎の子孫には、一体何が受け継がれたでしょ~か?」
「……え、と?」
「えーわかるじゃん絶対! わかんないの?」
「わ、わかんねぇよ。やっぱ鬼を退治する力……とか、そういうのか? お、俺は持ってないぞ!」
「まあそれも間違っちゃいないんだけどぉ……」
ごとん……と重く鈍い音が響いた。
何かと思ったが、どうやら鬼女が支えていた金棒が地面に倒れた音らしかった。
何故、手を離した?
疑問に思う間もなく
鬼女が
俺に迫ってくる。
「ほら、あたしも女の子だからさ~……
一応言うの恥ずかしがっておくべきじゃん?
ね、ほら。
自分の身体に聞いてみたら──
すぐ答え出るんじゃない?」
気づけば鬼女に押し倒される形になって、俺は空を見上げていた。
背中にコンクリートの硬さを感じる。
鬼女の手が
俺の太腿を撫でた。
多分、男なら誰もが何かしらを感じるんだろうこの時。
俺は恐怖ゆえに硬直していた思考が、正常に戻っていくのを感じた。
「……お前がなんでそうしてんのかはわかんねーけど、何が言いたいのかはわかった」
「!」
「わかったけどなぁ──」
俺はため息を吐いて、顔を逸らした。
──ここで独白を勝手に始めるが、俺は桃間家の長男だ。
生まれた時それはそれは可愛がられた、という話は聞いている。
が、一身にその愛を受けて育ったわけではない。
俺には弟がいる。
二つ下の弟。
──家族思いで優しく、今はスポーツインストラクターの仕事をしている。
三つ下の弟。
──友達が多く人から好かれる性格、現在フリーターでバーのバイトが楽しいらしい。
五つ下の弟。
──真面目で融通が利かないが頼りになることも、今は市役所で仕事をしている。
八つ下の弟。
――末っ子で兄たちから可愛がられて育った、現在大学院生。
というように、
俺の兄弟はまあ多い方で。
しかも成人後に聞いた話じゃ
『まだ弟が出来そうだったから実は永久避妊手術していた』
なんて話も父から聞いていて。
さらには父方の兄弟もうちの兄弟と同じくらいの人数がいる。
なんならその上の代も……
何が言いたいかと言うとだ。
桃間家は、 性 欲 が 異 常 に 強 い 。
「……あれれ? ちょっとー、なんでフリーズしちゃったの?」
鬼女の声で現実に引き戻される。
俺が目を合わせると、そいつはニッと笑った。
「あたしね、あんたのその力で鬼を増やしたいの」
「……鬼を増やす?」
「鬼ってのはさぁ、自分の力が強いことが第一なのよ。そのせいで種族のハンエイ? みたいのってあんまし興味が無かったりすんのね」
「はあ……」
「とにかく力を見せつけたり、殺したり殺されたりする中で、気づいたらすっごい減っちゃったんだよね。これって結構さみしくてさ~、もう数えるくらいしかいないなーってある時気づいたわけ」
「……鬼って、絶滅危惧種なのか?」
「そーなの。まあでもこれ、あんたのご先祖さんのせいでもあるんだけどね」
「え」
桃太郎のせい、ってことか。
それはまあ桃太郎が鬼退治をしたから、だよな?
「だからあたしはあんたにお願いしに来たの」
長い爪のついた手が、俺の手首を強く握る。
ぎりぎりという痛みに俺は目を細めた。
「あたしと子作りしてくれない?」
俺を組み敷くのは角の生えた女。
ただ、それと肌の色を無視すれば『美人』と呼ばれる部類にクラス分けされるんだろう。
だからもしも俺以外の男がこいつに性交渉を頼まれたとしたならば、喜んで受け入れるに違いない。
……終わったあとで食われる可能性も捨てきれないが。
そう、俺以外の男が頼まれたとしたならば、だ。
「鬼さんよ、残念だったなぁ」
「えっ?」
きょとんとした声が降ってきた。
俺は手首の痛みに耐えながら引き攣った笑顔を貼り付けた。
「あんたらの種族繁栄っつーのには手は貸せねぇな」
「俺は生まれてこの方──勃起不全なんだよ!!!!!」
過去最大であろう声量で
俺は自分の下半身事情をぶちまけた。




