第17話 山神
祖先が殺した鬼。
そう言われて頭に浮かんだのは幼い頃に見た絵本だ。子ども向けの絵柄で、桃太郎は刀を振るい、鬼は退治されて泣いている。平和が戻って、めでたしめでたし。
「……その鬼が、復活するってのか?」
よく聞く桃太郎の物語じゃ、悪さをしていた鬼だから退治しにいったわけだけど。
「妖怪ってのは、殺されても生き返るもんなのか?」
鬼村に問いかける。すると金棒を肩に担いで俺を振り返った。
「妖怪ってのはねぇ、基本的には死なないんだよ」
「はあ? 死なない?」
「生き物じゃないの、あたしたち」
生き物ではないと言われてもどういうことなのかわからずに俺は目を白黒させる。だって、今目の前にいるだろ。鬼村も山神も、動いて、呼吸して、どう見たって生きている。
「……山神様や、鬼であるあたし、そして他の妖怪たちはね、現象なの」
「現象?」
「山神様は山を守る存在として形になったものだし、他の妖怪も理由があってそこにあるもの。そもそも妖怪が生まれる発端になってるのは、人間たちの恐怖心とか、信仰心なんだよ」
「あ……そう言われると、なんとなくわかるな。大学の頃に民俗学の授業出たけど、人の噂とか見えないものへの恐怖から怪談や迷信ができるとかそういう……」
だとしても、目の前の存在を『現象』だとはやはり思えないが。
「でも、それならその最古の鬼が復活するってのは別におかしい話でもなんでもないんじゃないのか?」
『そう。鬼の復活自体は何もおかしなことではない』
「じゃあなんで……」
『最古の鬼が人間によって殺されたのは、今から八〇〇年近く前のことになる』
具体的な数字が出てきて、今まで空想めいていた桃太郎の事実が少しだけ現実味を帯びる。とはいえ、八〇〇年前なんてのは教科書上でしか見たことがないが。
『この間に鬼は復活をしていません。何故かわかりますか、桃間先生』
「……ふ、復活に時間がかかってー……とか?」
『我々神や妖なるものの再形は一様に時間が決まっているものではありませんので、八〇〇の時を要した、と言ってもおかしくはないです。ですが、あなたは本当に何も知らなさすぎる、桃間の子よ』
そこまで言うと、止めていた攻撃の手を再度こちらへと向け始めた。
「──っ!?」
地面から草が伸びてきたと思いきや、それらは俺の足に絡みつき身動きを封じようとしてくる。
「くそっ、何でもありかよ!!」
犬と猿がせっせと草を毟ろうとしたが、上手くいかない。地面から湧き出て走り寄ってきた魑魅魍魎に気づき、二匹とも俺のそばに立って交戦し始めた。
『可哀想な神獣たちよ』
山神の腕の先から伸びてきた枝が俺の眼前に迫り、
あわや目が抉られる、というところで刀を思い切り振った。
『……っ』
山神の動きが一瞬止まる。
──ぼとり、
と俺が切った枝が地面に落ちた。
鬼村やうちの三匹が攻撃をしても、山神の触手のような枝はすぐに再生して襲ってきた。だが今はどうだ。何故か切り口が剥き出しのまま、すぐ再生せずにいる。
「この刀の力って……」
さっき切ったのが魑魅魍魎だったからわからなかった。あいつらは無尽蔵に湧いてくるから。けど、俺の考えることが確かなら……この刀で切られた妖怪は、再生ができないってことか?
「センセ!」
鬼村はいつのまにか単身山神に突っ込んでいて、迫りくる攻撃を受け流しながらついには山神の体を地面に押し付けていた。
「今! 今だよ!」
「え?」
「その刀、先生でも妖怪を消すことができるんじゃない!?」
じわっ……と手に汗をかく。
妖怪を消すことができる?
「今ならこの山神もどうにかできるよ! 多分桃太郎が鬼を封印したみたいに!」
「封印?」
「最古の鬼は頭、腕、足、胴体と切り分けられて封印されてんの! だから今まで復活できなかったんだよ!」
「!?」
急にグロテスクな話をされ、俺は少し吐き気を催した。この刀で、鬼を解体したってのか? 誰もが良く知る昔話のヒーローが?
汗で手がぬめり、刀を取り落としそうになった。慌ててぎゅっと握ると、山神を押さえつける鬼村の元へ俺は近づいて行った。
「センセ、ほら!」
「………」
「センセーってば!」
焦る鬼村を放って、俺は山神を見つめた。
目の無い山神の顔はどこを見ていいか一瞬迷ったが、そのひび割れたような樹皮で覆われた顔全体を見る。
「なんで俺のせいで最古の鬼ってのが復活すんのかはわかんないですけど……それが復活すると、困るんですよね? 何でですか」
──俺の問いに山神はしばらく黙っていたが、ふいに口を開いた。
『……あれは今いる鬼らとは違う、本当のただの怪物。平気で山一つ潰してしまう。私はこの山を、守りたいだけだ』
山神の声が、小さくなっていく。
見れば周りに蠢いていた魑魅魍魎は、いつのまにやら姿を消していた。
ここにいるのは、俺と、鬼村と、山神だけ。
『お前を殺しさえすれば復活することもないと思い、山で生まれる魑魅魍魎たちをけしかけていた。難しいことはこやつらには理解できないが、桃間の子を食べれば力を得られるというのは至極単純な命令だった。実際にお前を食べてもどうなるかはわからないがな』
「なーんだ、やっぱただの噂だったんじゃん」
「鬼村が発端のな……」
『……私を切れば良い、桃間の子よ』
山神が俺を見ている──ように感じた。
『私を切れば、私は消滅する。この山の守り神は消えるが……そうすぐには衰退することもあるまい。長い時間をかけて崩れ、いつしか消えていくだろう』
「山が消えんのは……ちょっと困るんじゃねーかな。地形が変わるといろいろ変わるだろ。生態系とか」
「いーじゃん、時間かかるって言ってんだからセンセーが生きてる間のことじゃないっしょ」
「鬼村、ちょっと黙ってろ」
俺は目を伏せ深く息を吐くと、
そこに横たわっている山神に刀の刃先を向け──
「………」
『………』
「……これ、重いんすよ」
俺は苦笑いを浮かべて刀を地面に落とした。
「っはー……無理無理、鬼ならまだしも俺はただの人間だぞ。こんな重てぇ武器ずっと持ってられねーっての」
「ちょっ、センセ! あたしずっと押さえつけとくとか無理だよ!? 早くどうにかしないと……」
「わりぃ……ありがとな鬼村」
「ええ??」
どすん、と地面に座り込むと俺は頭をガシガシとかいた。土埃を散々被ったせいで指先がべたつく。
「山上さん」
俺は彼女の名前を呼ぶと、疲れた顔にどうにか笑みを浮かべて肩を竦めた。
「殺し殺される、みたいな世の中じゃないですよ。今時。桃太郎ん時はそれで正義を名乗れたのかもしんないですけど、俺にはちょっと無理ですね。ただの高校教師なんで」
『………』
「最古の鬼の復活ってのも……俺は別に望んでないんで、復活させるつもりとか全然ないですよ。でもこれから何が起こんのかってのはわかんないしなぁ……もしそれが本当に起こったとしたら俺がどうにか守りますよ、山。ほら、うちには俺より有能な三匹もいるし」
「センセー、他力本願すぎ」
「うっせぇなぁ」
鬼村も毒気を抜かれたのか、もう山神を押さえつけることなく俺の横に立っている。
「だからなんてゆーか……こんなことにはなってますけど、今まで通りの生活続けたらいいですよ。山上さんだって高校での仕事、案外嫌いじゃないんですよね? いやまあ俺の命を狙う為だけに高校にいたっていうなら全然やめてもらって差し支えないですけど……」
ははは、と乾いた笑いが出た。山神はしばらく口を閉じたままだったが、うっすらと開けて言葉を紡いだ。
『……事務の仕事は嫌いじゃないです』
「え?」
『黙々とできますし、それに、若い子たちの楽しそうな声が時々聞こえるのも、気持ちがいいんです。昔は山にも若い人間たちの声が溢れていましたが、今じゃ聞くことは滅多にありませんから』
「ああ……そう、なんすね」
『桃間先生』
「はい?」
ザアアアアッ……と、風が吹く。
木の葉が一面に舞ったかと思うと、
その場は禍々しい空気などまるで無かったかのように、緑で溢れていた。
今見えているこれが……この人が守っている山の中なのかもしれない。
山神だった姿は高校の事務職員である山上へと戻り、そこに立っている。
『来客用スリッパは学校の備品ですから、早く戻してくださいね』
そう言うと木の葉は周囲を取り囲むようにし──
──元の学校の敷地へと、俺達は戻されていた。




