消えた約束
放課後の駅前に立ち、スマホを握りしめている。
街のざわめき、通り過ぎる人の声、遠くで響く電車の音―― どれも胸に重くのしかかる。
空は薄いオレンジに染まり始め、街灯の光と混ざって、日常の景色が不自然に長く伸びて見える。
時間はゆっくり過ぎているのに、胸の奥の焦燥感だけが止まらない。
昨日、教室で雫に突然声をかけられた。
「ねえ、明日空けて」
あの声は、押し付けるようで、無理やり従わせる力を持っていた。
一瞬、言葉を返すのをためらった。
妹との約束があったことを思い出す。中学に上がった妹は最近忙しく、二人で出かける時間も減っていた。
「……いや、明日はちょっと……」
小さく答えた。頭の中には妹の笑顔が浮かぶ。
『お兄ちゃん、一緒に遊びに行こう! 久しぶりに!』
あの純粋な期待が、胸の奥で小さく輝いていた。
しかし、雫の冷たい視線は突き刺さる。眉をひそめ、唇の端には皮肉めいた笑み。
「はあ? なんで? 仕方なく付き合ってあげてるんだから、それくらいできるよね?」
理不尽な言葉に苛立ちが胸の奥で静かに燃え上がる。
「……なんで、いつもこうなんだ……」
拳を握り、心の中で呟く。
言葉に出せば、さらに冷たさをぶつけられるだけだとわかっている。
だから耐える。冷静に、静かに。
数秒の沈黙の後、息を整え、口を開いた。
「……わかった。空けるよ」
雫は短く笑った。
冷たく、皮肉めいた笑み。
その笑みが胸の苛立ちをさらに煽る。
押し付けられた承諾を胸にしまい込み、俺は背筋を伸ばして駅前を歩き出す。
そして今日。
駅前に着いた時、誰もいなかった。
時計を見ると、約束の時間は少し過ぎている。
遠くで響く電車の音、自販機の電子音、通り過ぎる人々の足音――
すべてが妙に遠く、虚しく胸に刺さる。
駅前のベンチに座る人々、急ぎ足で通り過ぎる会社員の影が揺れ、日常のはずの景色が不自然に長く伸びているようだ。
背中に冷たい風が吹き抜け、手のひらに少し汗を感じる。
苛立ちが胸の奥でじわじわ広がる。
昨日の雫の言葉が頭をよぎる。
「仕方なく付き合ってあげてるんだから、それくらいできるよね?」
理不尽さに押し潰されそうになる。
でも、声に出さず、雫を待つ。
時間はゆっくり過ぎる。
スマホを握りしめたまま、何度も画面を確認する。
まだ雫は現れない。
駅前を行き交う人々、走る子どもたち、遠くを行き交うタクシー、電車の到着音――
すべてが遠く、虚ろに感じられる。
胸の奥の苛立ちは膨らむ一方だ。
ふとスマホが震えた。画面を見ると、雫からのメッセージ。
「ごめん、やっぱり今日はムリ。
なんか疲れた」
文字だけで胸の奥を刺す。
昨日無理やり時間を空けた意味が、まるで吹き飛んだように思える。
怒りと虚しさ、苛立ちが同時に押し寄せる。
言い訳も謝罪もなく、ただ突き放すだけ。
深く息を吸い、視線を遠くに移す。
駅前の景色は淡く光り、影を長く伸ばしている。
遠くの電車の音が胸に重く響く。
時間だけがゆっくりと流れ、何も変わらない。
苛立ちは胸の奥でくすぶり続けるが、冷静さは失わない。
感情に任せても、雫の態度は変わらない。
だから、自分の芯を信じて、静かに行動で答える。
指先で送信画面を開く。
「もういい。別れよう」
送信ボタンを押すと、胸の奥に静かな重みが落ちた。
怒りでも悲しみでもない、決断の重さ。
長く抱え込んだ苛立ち、虚しさ、不条理――
すべてがこの一行に集約される。
しばらくして着信。
画面には「桐原雫」の文字。
呼吸を止め、画面をじっと見つめる。
迷いはない。
受話器を取らず、すぐに通話を切る。
ブロックも設定した。
夜風が頬を撫で、街灯が淡く光る。
遠くで電車が通過する音が、胸の奥の緊張を少しずつほどいていく。
苛立ちも痛みも、すべて自分の選択の一部。
振り回されることも、理不尽な冷たさに押し潰されることも、もうない。
時間はゆっくりと過ぎ、駅前に漂う日常の音が少しずつ現実感を取り戻していく。
胸の奥に残る苛立ちはあるけれど、もう押し潰されることはない。
雫の冷たさに振り回されることも、言い訳で自分を責めることもない。




