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倒れ伏して動かない男たち、縛られ転がされた子どもたち。
その中心で唯一立っているまがい物売りの男が、茹でた蛸のように真っ赤になってうなりを上げている。
「馬鹿にしやがって馬鹿にしやがって馬鹿にしやがって……」
頭を掻きむしり、歯を食いしばり、地団太を踏む。その尋常でない様子に、己は呆気に取られてしまっていた。
まがい物売りはふいに、はたと己の視線に気が付いて、ニタアと笑う。背中に怖気が走った。
「……いけませんねえ、人の商売の邪魔ばかりするなんて」
懐に手を入れ、出したその手には短刀が握られている。
己の前に出ようとするあやかしものたちを強引に背中へ押しのけるが、己に武器を持った相手を制圧できるとも思えない。
逃げるか。逃げ切れるのか。いや、己が今逃げ出せば、この男の敵意は縛られ動けぬ子どもたちに向くだろう。倒れている男どもも、時間が経てばその内に目覚めてしまう。そうなれば、子どもたちはどうなる?
うっすらと狂気の色を見せる男と対峙しながら、己は覚悟を決めた。
逃げることなど、出来ぬ。今、ここで、この男を捕まえねば。
己が男に、今にも襲い掛かろうと身構えた、その時。
「御用だ御用だ!」
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倒れ伏して動かない男たち、縛られ転がされた子どもたち。
その中心で唯一立っているまがい物売りの男が、茹でた蛸のように真っ赤になってうなりを上げている。
「馬鹿にしやがって馬鹿にしやがって馬鹿にしやがって……」
頭を掻きむしり、歯を食いしばり、地団太を踏む。その尋常でない様子に、己は呆気に取られてしまっていた。
まがい物売りはふいに、はたと己の視線に気が付いて、ニタアと笑う。背中に怖気が走った。
「……いけませんねえ、人の商売の邪魔ばかりするなんて」
懐に手を入れ、出したその手には短刀が握られている。
己の前に出ようとするあやかしものたちを強引に背中へ押しのけるが、己に武器を持った相手を制圧できるとも思えない。
逃げるか。逃げ切れるのか。いや、己が今逃げ出せば、この男の敵意は縛られ動けぬ子どもたちに向くだろう。倒れている男どもも、時間が経てばその内に目覚めてしまう。そうなれば、子どもたちはどうなる?
うっすらと狂気の色を見せる男と対峙しながら、己は覚悟を決めた。
逃げることなど、出来ぬ。今、ここで、この男を捕まえねば。
己が男に、今にも襲い掛かろうと身構えた、その時。
「御用だ御用だ!」
緊張を破るように投げられた怒声。次いで荒々しく踏み込んできた奉行人たちがなだれ込み、息つく間もなく狂った男を数人で押し倒してしまった。
「だんな、無事ですか?」
飾り細工師がおっかなびっくりと奉行人の後から顔を出す。
己を見つけてホッとするも、身体中痣だらけな姿を見て、顔を強張らせた。
「なんたって、おまえがここにいる? これは……奉行所に伝えたのは、おまえなのか? もしそうなら……」
助かった、礼を言う。そう続けるつもりだった。
しかし己の言葉を遮って、飾り細工師は固い声音で断定するように言い切った。
「だんなは、間違っています」
間違っている? 一体何が間違っているというのだ?
己が戸惑いを見せると、飾り細工師はますます固い声音で話す。
「人魚の肉の一件の時だって、だんなは間違ったことをしたわけじゃないが、やりかたが間違っていたと、あっしは思いますよ」
こいつは己に説教をしようとしているのか?
うんざりとした気持ちで、あからさまに顔をしかめてしまう。
飾り細工師は、その固い声音に怒りの感情を上乗せし、己をますます厳しい表情で睨み据えた。
「だんな、だんなは一人じゃあ、ありません。無鉄砲に飛び込んでいくばかりが、正しいやり方なんかじゃあ、ありませんよ。今回のことだって、突っ走る前に、なんであっしに一言二言教えてくれなかったんです? それだけで、たったそれだけで、あんたはこんな無駄に怪我をすることなんかなかったんだ!」
飾り細工師が己を叱りつけるように声を荒げていく。
子どもの縄を解いていた奉行人の一人が、ちらりとこちらを見た。
顔が赤くなっていくのを自覚した。
「己は別に、このくらいはどうということもない」
「だんなが平気でも、あっしは嫌ですね! 二度も助けてくれた恩人が、無茶をして、しなくていい怪我をするなんて」
これは、一体何なんだ。己の内にふつふつとわく感情があった。怒りでも、失望でもない。もっと大きくて、もっと底なしにわいてくる、これは一体何なんだ。
悪かったと、ぶっきらぼうに己が謝ると、ようやく溜飲が下がったのか飾り細工師の男から怒気が消える。
深々とため息を吐き、男は言った。
「約束してください。もし次に何かあったら、突っ走る前にあっしに相談すると」
相談? なぜ?
怪訝に思うが、男は真剣そのものの顔だ。
「なんでそこまで……」
己に関わろうとする? 声にならない言葉を胸の中で呟く。
今まで己を気味悪がる者や厄介者として避ける者は山ほどいたが、ここまでまっすぐに言葉を投げかけてくる者などいなかった。
男は先ほどの様子とは打って変わって、きょとんとしていた。なにを当たり前なことを、とでも言いたげだ。
「それは、だんなだってそうじゃありませんか」
「……」
男は黙り込む己に、ますます不思議そうにして言い募る。
「見ず知らずのあっしのために動いてくれたじゃあありませんか」
「己は別に……」
『犬は素直じゃないねえ、せっかく人間の友だちが出来たっていうのに』
いつの間にか戻っていた白いカラスがふわりと己の隣に舞い降りてくると、いかにもおかしそうにケラケラと笑った。
つられて、欠けた皿と欠けた徳利、それから欠けた鏡がカチャカチャと素直じゃない素直じゃないと囃し立ててくる。
友だち? こいつが?
その時、奉行人が室内に光を入れるため、傾いた戸口を力ずくで開いた。
外から差し込んできた光が、己と男を眩しく照らし出す。
男がニッと笑い、己に手を差し出した。
「行きましょう、だんな。まずはその傷の手当てをしないと」
己は男の手を取り、ぎゅっと握る。男は己にぎゅっと握り返す。
己と男は、どちらともなく、笑い合った。