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 欠けた皿と欠けた徳利、それから欠けた鏡がカチャカチャと犬、犬、と言って己にすがりつく。

 なんとか縄をほどこうとしてくれているようだが、固く結ばれた縄は容易には解けない。

 ふと、そういえば白いカラスの姿が見えないと、視線をさ迷わせる。

「残念ですがね、ええ、助けなんか来ませんよ」

 勘違いしたまがい物売りが釘を刺してくるが、己はそれでも周囲を見回した。

 人攫いどもが屋内のそこかしこにいる。子どもも、まるで物のようにそこかしこに転がされている。

 沸騰しそうになる頭を何とかなだめ、見える範囲でカラスのあの白い姿を捜した。

「根無し草の辻売りの最後がこれですか。ええ、まったく惨めなものですよねえ」

 頭の上から、蔑むような声が降ってくる。

 あやかしものたちも呼応するように惨め惨めと盛り上がった。

 おまえたちは一体どちらの味方なのかとにらみつけると、愉快そうにカチャカチャと笑う。

『犬こっち見たー!』

『犬怒ったー!』

『犬元気ー!』


「無駄な正義感なんぞ、クソの役にもたたないっていうのにねえ、ええ、ええ、一人で馬鹿みたいに突っ走って、結局何もできずに子どもたちを見殺しにしなけりゃならないなんて、ええもう、そりゃあお辛いでしょうねえ」

 粘りつくような声が、己に執拗にからみつく。

「それもこれも、全部余計なことをしたおまえさんのせいですからねえ。あの時おまえさんが商売の邪魔をしなけりゃ、子どもを材料に人魚をつくろうなんて考えもつかなかった。今もそうだ。おまえさんがここを突き止めなけりゃ、子どもたちはあと数日くらいなら生きられたかもしれないのに」

「……どういう意味だ」

 無視を決め込むつもりだったが、引っ掛かることを言われ、つい反応してしまった。

 まがい物売りが嬉しそうに嗜虐的な笑みを見せる。

「いえね、ここはもう安全に在庫を管理できる場所じゃないんで、さっさと処分して、場所を移そうかと思ってるんですよ」

 在庫の、処分。

 血の気が引くのがわかった。

 己の顔色が変わるのを、まがい物売りは満足そうに見下している。

「おい、止めろ」

「おまえさんのせいで死んでいく子どもたちのかわいそうな姿を、そこでじっくり見ていなさいな」

「ふざけるな! この卑怯者が!」

「ハハハ、卑怯者ときたか。ガキの心配はさておき、おまえさん、少しは自分の心配でもしたらどうだい」

 在庫の処分が終わったら、次はおまえさんの番ですよ。

 顔色一つ変えずまがい物売りは言う。


 ぽつり、廃屋の崩れかかった屋根に水滴が落ちた。

 ひとつ、ふたつ、小さな音を立てたかと思えば、あっという間に水滴は数を増し、ざあざあと嵐のような有様になった。

 磯の匂いが辺り一面に濃く立ち昇る。

 雨音とは明らかに違う、ばしゃりと、量のある水を盛大に溢したような音がした。

 何事かと思っている間に、水を含んだなにかを引きずるような不可解な音がして、それが徐々にこちらへ近づいてくる。

「おい、何の音だ」

 不穏なものを感じさせる音に、まがい物売りは警戒して辺りを見回した。

 ずるう、ずるう、と音はますます接近し、不気味な声まで聞こえ始める。

『……びこお……海彦お……どこだあ……』

「なんだ、なんなんだ!」

 恐怖を押し隠すように人攫いの男の一人が、大きな声を上げた。

 己は聞き覚えのある声に、驚きで目を見開く。

 ふと、よろよろと動く白いものが視界に入った。今までどこへ行っていたのか、白いカラスが疲れ切ったように危なっかしくこちらへ飛んでくると、己の顔の横にへたりと着地する。

『まったく、犬は世話が焼けるよ』

「……おまえ、今まで一体どこに居たんだ」

『人魚のところさ。ここまで運んでくるのは大仕事だった』

 ここまで運ぶ?

 白いカラスは己の問いかけるような視線を無視して、器用に縄をくちばしで解いてから、言った。

『ほうら、来たよ』

 

 雨脚がさらに強まったようだった。

 暗がりから、ぬわりと、磯の匂いが濃く香る。

『人間、いっぱい、かわいいねえ』

 らんらんと光る大きな目。鋭く生えそろった歯。ぐっしょりと重く濡れた独特な質感の長い髪。そして下半身にびっしりと生えた鱗と大きな尾ひれに背びれ。

 人魚だった。

 人魚が崩れかけた家屋の床を、ずるう、ずるう、と腕の力だけで這ってくる。

 人攫いどもの息をのむ音がした。

 しかし、まがい物売りだけは違った。

「こいつはいい。ええ、偽物を売っていたら、本物の方から来てくれたとは、ええ、ええ、なんとも商売冥利に尽きますねえ」

 不敵に笑いながら、まがい物売りは男たちに一喝する。

「おい、なにぼさっとしてるんだ! さっさと捕まえろ!」

 まがい物売りの一声で、人攫いの男たちはハッと我に返り人魚に向き直った。

 まずい、と己が思うと同時に、白いカラスがガアアとしゃがれた声で鳴き声を上げる。

 立ち直りかけていた男たちは、続けさまに起こる怪異現象に困惑して、再びピタリと動きが止まった。

『さて、もうひと仕事してやろうかねえ』 

 やれやれといったふうに言うと、白いカラスはおもむろに身体を揺すり始めた。

 カラスが体を揺するたび、その体がむくりむくりと膨れていく。カラスが大きくなるにつれ、欠けた皿と欠けた徳利、それから欠けた鏡までもが同じように大きくなっていった。


 呆気にとられる己を前に、人間の三倍ほどの大きさまで膨れ上がったあやかしものたちは、どこか誇らしげで、カチャカチャとやかましく音を立てながら人攫いの男どもに襲い掛かる。

 あやかしものが見えず、わけもわからないまま張り倒された男が悲鳴を上げ、困惑は混乱に変わってあっという間に伝染した。

「おい、おまえたち! 情けない声を出すんじゃない!」

 まがい物売りが叱責するが、もうその効果もなく、大の大人がみな右往左往するばかりである。


 そんな中、白いカラスは他の男どもを一切無視して、まがい物売りの耳元にくちばしを寄せ囁いた。


『正義感も激情も、まあ役には立たんのかもしれないがね。少なくとも、悪い人間に身を落とすよりもずっとマシさ。しかも自身の外道を他責にするような半端な悪なんざ、幼児の遊戯にも劣る』

 カラスの言葉が通じたのか、まがい物売りがぎょっとする。

 そして顔を真っ赤にして、うるさいうるさいと駄々をこね、子どものように地団太を踏み始める。

 いつの間にやら、家屋にいた男どもは皆あやかしものたちが蹴散らし、気絶させていた。

 白いカラスはこの惨状を見て、ケラケラと笑い、体を揺する。

 先ほどとは逆で、今度はするすると小さくなっていき、あやかしものたちはみな、元々の大きさに戻った。

『じゃあ、戻るとしようか』

『うん。人間いっぱいで、かわいかった。海彦さん、また今度ねー!』

 白いカラスが人魚に近づくと、人魚がカラスの足を掴む。

 カラスはそのまま飛び上がり、人魚をぶら下げて外へと飛び立っていく。

 白いカラスとともに人魚が去ると、大雨は嘘のように降り止んだ。

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