4
あやかしものは普通、人には見えないものなのだ。
己にまとわりつくあやかしものも、狒々の首さえ己以外の人には見えなかった。なのに、人魚の鱗は別だったようだ。
人魚から貰った鱗にひもを通し根付にして売り出してみたところ、飛ぶように売れた。
己は人魚の鱗で得た金で甘味や玩具を購入して、人魚に会いに行く。人魚は海に出向けば必ず会えた。
『わあ、海彦さん、これなあに?』
人魚の鱗を売るようになってから、己は幼名の犬から海彦と名を改めた。村からついて来たあやかしものたちは相変わらず己を犬と呼ぶが、別に呼び名が何であろうと己は己だ。好きに呼べばいい。
人目を阻む場所にある小さな入り江で、己は人魚に買ってきた品を並べて見せる。
「これは飴、こっちは団子、そっちは草双紙、それは独楽」
『人間すごいねえ、いろんなものを作るねえ』
「人魚の鱗のおかげで売り上げも安定して、助かっている。遠慮せず受け取ってくれ」
『そう? 友だちの為だから気にしなくてもいいんだけど、じゃあ遠慮しないね』
数日おきにこうして海に出向き、たわいない話をひと時して、鱗を受け取り帰る。
こんな生活を始めてはや数ヶ月が過ぎていた。
元いた町からはさすがに移動したが、人魚のいる海からはそう遠くない別の町で暮らし、なんとなくその町にも馴染んできていた。
ある日、道を行く家族らしき三人が妙に目についてしまい、己は首をひねる。年若い男と女、それに幼子の三人家族のようだ。その内の男の顔が、なぜだか気になってしまう。どこかで見たことのあるような、しかしあんな男に知り合いなどいないはずで。
男の方でもこちらが気になるのかチラチラと視線を寄こしていたのだが、己と目が合った瞬間に破顔して、近づいてくる。
「お久しぶりです。覚えていますか? ほら、あの時人魚の肉を買おうとしていた者です」
言われて思い出す。
確かにこの男は、あの時人魚の肉を買おうと必死になっていた客の男だった。
「あの時は止めていただき、本当にありがとうございました。おかげさまで、人魚の肉なんてなくてもこの通り、家内もすっかりよくなりまして」
だんなの言う通り、人魚の肉より飴の方がよく効きましたよ。
苦笑いする男の隣で、若い女が静々と頭を下げる。それを見た幼子も、つられるようにひょっこりとお辞儀した。
「そいつはよかったよ」
己も無駄に追い回されたわけではなかったようだ。
男はあの時と違い、身体にも肉がつき顔色も悪くない。二、三軽く雑談をした後、鱗の根付を三つ買ってくれた。
「変わった根付ですね。これは……?」
光に透かして目を細めながら、男が尋ねてくる。
「人魚の鱗だ」
人魚、という単語に反応して男がびくりと体を震わせた。
危うく取り落としそうになった根付をあわてて持ち直し、軽く己を睨む。
「悪い冗談はよしてくださいよ、だんな」
「冗談じゃねえよ。そうゆう商品だ」
「はあ……人魚の鱗、ですか」
男はしげしげと再び根付を眺め、何かを決心したようにひとつうなずいた。
「ねえ、だんな。これ、あっしに卸しちゃくれませんか?」
「こんなもん、どうする気だ?」
「あっし、まだ駆け出しではありますが、飾り細工を作ってるんです。それで、これはいい飾りの素材になると思うんですよ」
どうでしょう? 男は真剣な顔で己に提案してくる。
「……」
この男がなにか悪だくみを考えているようには見えないし、これは己にとっても悪い話ではないのだろう。
しかし己が個人的に売り出すのではなく、継続的に卸す先を持つのであれば、先に人魚に確認を取るべきなのかもしれない。
考え込んでいると、袖を引くものがある。
『犬、あれはまずいんじゃないのか』
白いカラスだ。
カラスの示す方へ目を向けると、根付を持った幼子を男が抱えて走っていく姿がある。幼子は、たった今まですぐそこにいたはずの男の子どもだった。
瞬間的に、己の内から烈火のごとく怒りが湧き上がる。
「待たんか!」
怒声を上げ、自分の子がかどわかされたのにも気が付かず呆気にとられる男を無視して、幼子とそれを抱える男を全力で追った。
走り出しは遅れたが、人攫いは幼児を抱えている分、全力では走れないだろう。多少距離があった所でも、己に部がある。
はたして、己は人攫いに追いつき思い切り体当たりをしてやった。人攫いがすっころび、己は幼子を取り戻す。
だが、倒れた男はすぐに起き上がるとわき目もふらずに逃亡した。追っかけてやりたかったが、幼子を抱えては無理だ。歯噛みしていると、いつの間にやらついて来ていた欠けた皿と欠けた徳利、それから欠けた鏡がカチャカチャと囃し立ててくる。
『おい、犬。てめえの考えなぞ、手に取るようにわかるぞ』
そう言って、あやかしものたちは動けない己の代わりに、遠のいていく人攫いの後をカチャカチャと音を立てながら追っていった。
子どもに怪我がないか確認していると、飾り細工師の男が追いついてきた。一人で走り出したというのに、なぜか我が子と一緒にいる己に驚いているが、説明する間も惜しい。己は幼子を押し付けるように男へ返し、すぐに誘拐犯を追いかけた。
見失った背中を求めてさ迷っていると、白いカラスが己を見つけてくれたのでそのまま誘導してもらう。
たどり着いたのは町外れの朽ちかけたボロ屋だった。そっと中をのぞくと、かどわかされて来たのであろう幼子たちが幾人も手足を縛られ転がされている。
『なあ、犬よ。悪いことは言わんから、今回ばかりはおとなしくしておけ』
己は憤り、目の前が真っ赤になるほど我を忘れていた。
なぜ、こうもあってはならぬことばかりが起こるのか。
虐げられる者など、いてはならぬ。虐げる者など、あってはならぬ。そんな曲がったことなど、見たくないのだ。
己はわき目も振らずに廃屋へ踏み込み、子どもたちの縄をほどきにかかる。
部屋の奥から、なんだでめえと罵声が聞こえるが無視すると、肩を掴まれた。己は無言で拳を入れる。
肩が自由になったので再び縄にとりかかろうとした次の瞬間、己は床に倒れていた。なにか固いもので後ろの頭をやられたらしい。あっという間に複数の男に囲まれ、袋にされ、気付いた時には縛り上げられていた。
「おやおまえさん、あん時の」
意外そうな声に、己は自由にならない身体をよじって声の主を見る。
その知った顔を見た瞬間、心中に苦いものが広がった。
「……まがい物の人魚の肉を売っていた奴か」
「あの節は世話になりました、ええ、本当に」
まがい物売りが己を見下ろして、罠にかかった獲物でも見るような目つきでにやりと笑った。
「本当に、ええ、いい勉強をさせていただきました。おまえさんの助言があったから、ええ、こうしてより質のいい人魚を作れるんですからね」
「何の話だ。己は助言など」
「してくれたじゃあないですか。おまえさんのようなずぶの素人から見ても偽物だってわかるような、質の悪い人魚だって、ねえ? だから反省したんですよ、ええ、反省しましたとも。もっと質を上げるために、材料から見直さないと、とね」
己の頭に言葉の意味がしみ込むまで、少しの間があった。
理解が進むのと比例するように胸の内からふつふつと怒りがこみ上げてくる。
「外道が」
己が吐き捨てるように言うと、まがい物売りはまるで勝利を宣言するかのように高らかに笑った。
つまり、ここにいるかどわかされてきた子どもはみな、まがい物の人魚を作る材料にするために集められたということだ。