1
幼いころより曲がったことが大の苦手で、どうにも融通というものがきかなかった。
己は辺境にある小さな村で生まれ育った。
小さな村には力が無い。少し収穫が悪かっただけで村全体が飢える。質の悪い山賊が周辺に住みつけば、ただでさえ少ない人の足が途絶え孤立し干上がる。子が生まれなければやがて人の手が無くなり老いて朽ちる。
村人は苦境を守神様にすがることでやり過ごしていた。
『おい、犬。てめえの考えなぞ、手に取るようにわかるぞ』
畑仕事をしていると、どこからともなく欠けた皿と徳利があらわれて己の頭に登り、カチャカチャと囃し立ててくる。
いつものことながら、鬱陶しいことこの上ない。
『この前はター坊のみみっちい嘘に怒って殴っただろ?』
「みみっちいことなんかじゃ、ねえ。妹の芋、奪って食ったのは、みみっちいことなんかじゃねえぞ」
ケラケラと笑い声が聞こえ、見ると白いカラスが己の頭上をくるくると飛んでいた。
『その前はミー坊が山で獣に襲われたって泣いてるのを、犬は怒鳴りつけてたな』
「自分よりちっせえ獅子の子いじめてたんで、親が怒っただけだ。襲われたのとは違うだろ」
きらりと光るものがあり、欠けた鏡が畑のふちで、己に向かってゆらりと手を振るように反射させた光を当ててくる。
『そうかいそうかい、犬は本当にもう、頭が固いのだから仕方がないねえ』
「ほっとけ」
己は村人から疎まれ遠巻きにされていた。親もなく兄弟もみんな飢えて死んだというのに、己だけが生きながらえたものだから気味悪がられているのだ。厄介はごめんだとばかりにみんな、己に関わろうとはしない。
だが、なぜかあやかしものには好かれる質のようで、こうして何をするにも四六時中うるさく付きまとわれていた。
この人でも獣でもないものたちのことを、村人たちはまったく見えもせず声も聞けずで、いくら説明しても気味悪がられ馬鹿なことを言うもんじゃないと怒声を上げられる。そのくせ正体も知らぬ守神様とやらの存在は信じて疑わぬのだから、おかしな話もあるものだ。
『だがなあ、犬よ。悪いことは言わんから、今回ばかりはおとなしくしておけ』
旋回を止め、己の肩に舞い降りた白いカラスが、たしなめるように言う。
犬という名前は、名前すら持っていなかった己に村人たちが付けたものだ。痩せ衰えた野犬のように物欲しそうな目をしているから、犬、らしい。まだ幼いころ、その話を白いカラスにすると、カラスは馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばした。犬は犬でも、おまえは忠義に熱い狛犬だろうよ、と。己からすれば犬は犬であることに変わりが無いのだからどうでもよかったが、白いカラスの妙にさっぱりとした物言いに、なぜだか惹かれるものがあった。
そんなカラスが今、真剣な面持ちで己の顔を心配そうにのぞき込む。
『村人はすっかり守神などと信じ込んでいる。犬がどれだけ村を想って行動を起こそうが、なじられるだけなのは目に見えているだろう』
「あんなんは、神でもなんでもねえよ。なんで村を守りもしないただのあやかしものに生贄なんてもんが必要なんだ」
前回の生贄の儀の時、己はまだ幼過ぎた。生贄がなんなのかも、守神の正体も知らず、ただただ見ていることしかできなかった。
でも、だからこそ、今回の儀は阻止しなければならない。
前回は雨が降らないという理由で生贄が捧げられてしまった。
今回は病気が流行して若者が動けず働き手がいない、という理由で儀式を決行するらしい。
もう贄の娘も決まり、日取りも明後日に決まっている。己はもちろん何度も抗議したが、聞き入られることは無かった。
『村人の好きにさせてやればいいのさ。犬は知らんぷりしてればいい』
「そんなわけにもいかんだろう」
『犬は本当に聞き分けが無いのだから、仕方がないねえ』
もう齢12になるというのに、いつまでも子ども扱いされているようで癪に障るが、今までなんとかやってこれたのも、あやかしものたちが何くれと世話を焼いてくれたからだった。己はこいつらに頭が上がらない。
『でも、どうする気だい。村の連中は犬の話なぞ、聞きやしないだろうに』
「一つ、考えがある」
あまり頭のよくない己なりには考えたつもりだった。
話し合いで止められればそれに越したことはなかったが、もうこうするしかないのだろう。
己は畑仕事を投げ出して、決心がしぼむ前にと急ぎ足で贄の娘の家へと向かう。
家の前まで来ると、娘に会わせてくれと大声で嘆願した。しかし、門扉はぴっしりと閉じられ、応対するものもいない。無視を決め込まれているのだ。己は畑仕事で使う鍬を持ち出し、扉に叩きつけた。二度、三度と叩けば扉は壊れ、中では怯え切った贄の娘とその両親が奥の方で縮こまって震えている。
な、なんのつもりだ、と父親が騒ぐが鍬で脅し、娘を引っ張り出して思い切りよくその顔面に拳を入れた。悲鳴が上がる。
贄になるための条件として、傷ひとつない清らかで美しい乙女、というものがあるのだが、これで顔面に傷が出来た。すぐに腫れあがり数日はそのままであろう。贄としての役目は果たせなくなったというわけだ。
驚きの表情で己を見る娘を無視して、今度は山へと急ぎ向かった。
守神などと呼ばれる狒々は寝床を持っており、いつもそこでだらけて眠っている。己がそこへ行くと、案の定狒々は惰眠を貪っていた。
「おい、狒々、起きろ」
『なんだ、犬か。贄の準備ができたのか?』
「贄などない。もうこんな悪趣味なこと止めろ」
『……止めろもなにも、人間が始めたことだろうが。わしは知らん』
「神でもないのに神を名乗り、贄を貪り食ったであろうよ」
『知らん。人間が勝手にやっていることだ』
「そうか、止める気はないということだな」
己は狒々の体に深々と鍬を突き立てる。
扉と違って狒々の体は丈夫だ。何度となく力いっぱい鍬を突き立て続け、最後に狒々の首を切り落とした。
己は落とした狒々の首を持って、村に戻る。
村は大騒ぎになっていたが、知ったことではない。己は手にした首を村人たちに掲げ、声を張り上げた。
「贄はもう必要ない! 守神はただのあやかしものの狒々だ! 己が、今、殺してきた! こいつがその生首だ!」