7.黒塚いわての粥
その粥の中では米と粟がちゃんと粒立って見え、赤いささげと葉物の青みが散っていた。湯気に巻かれながらひと口すすったところで、柚部は顔をほころばせてしまう。
――美味い。
柚部はもともと粥好きである。強飯や餅よりも、腹いっぱいに温かく満ち足りる粥や雑炊が好い。
この粥の中には久し振りに硬めの粒がみえる、しかも豆が入っている!甘辛い塩味も絶妙だった。まさに無心で、柚部は眼前の一杯をたいらげた。
さりげなく席を外していた女が戻ってくる。今度は、はっきりと声をかけることができた。
「いや、たいへん美味でした」
女もはっきりと笑う。
「お代わりを差し上げましょうか?」
柚部はためらわなかった。
「はい、ぜひに」
ほんの少し前まで身を置いていた惨状も、膝の痛みもすべて忘れ、柚部は満足して空椀に白湯をついでもらった。器の内側をぬぐうために添えられた香の物も、何ともうまかった。
「…お口に合いましたなら、嬉しゅうございます」
小さな陶器椀に注いで、自分も白湯を飲みながら、女は笑った。かしこまらずに続ける。
「遅ればせながら。こちらの家主の、黒塚いわてと申します」
それを聞いて柚部は、まだ温もりの残る鉢を高坏の上に置いた。女に向けて精一杯、頭を低く垂れる…両手を床につけることはできない。伏せた視線の先に、自分の膝を見ながら名乗った。疑問が胸中をよぎる。
――家主…?
「阿武・熊河仕下、柚部主水です。危ないところを助けていただき、本当に感謝しております」
ふいと気配が寄る。女が膝を進めたらしい。
「柚部さん、お顔を上げてください。こたびの阿武・貴代川の戦の成り行きを、どこまでご存知ですか?」
やや声を落として、のぞき込むように寄せてきたその顔は、ほそく端正であった。
少し角ばった輪郭にくっきりと濃い眉、整った鼻に男性的な印象を受けるが、豊かな睫毛に縁どられた瞳には深い叡智が潜んでいるように思える。
質素な藍の衣につつまれた肩は厚く、きちりとなでつけた黒髪に白い線は皆無だった。
一見若く見えるが、実際の年ごろの見当がつかない。まさか柚部ほどとは思えないが、妻の弥衣より下なのか、上なのか。
「私は…。白髪原にて、貴代川軍と対峙いたしました。配下の若衆はほぼ討ち死にし、貴代川勢に押されて敗退する中、残りの者とも離れてしまって…」
絞り出すように言う柚部の言葉に、女…いわては静かにうなづく。
「…気がつけば、一人で山野を彷徨っておりました。あくる日に、なほさんに助けられたのです」
なほの名が出た所で、いわては優しく微笑んだ。
「あの方に、待山の里を目指すよう励まされました。そうして、峠を越えて…越える途中で、…」
突然、頭の中に雷鳴と轟音がとどろいたような気がして、柚部は口をつぐんだ。
それから遭ったこと――――洞窟、墓底、…暗闇。
柚部の身体を悪寒が走った。唇を結んでうつむく、…背の中心に、温かみが触れた。
脇に身を寄せたいわてが、穏やかな口調でたずねる。
「そこまでは誰にも会わず、話もお聞きにならなかったのですね?」
ふい、と身体のこわばりが解ける。いわての右手のひらが背から離れた。
「ああ…いいえ、全く」
うなづきながら、いわては元の場所、柚部の正面にすいと座る。女は神妙な面持ちで、静かに柚部を見つめた。
「柚部さん。…率直に申し上げます。阿武勢は、貴代川に潰されました。阿武一族は捕らえられ、奥の地を治める長としての地位を剥奪された後に、死罪となりました」
息をのむ柚部の顔から静かな視線を離さず、いわては続ける。
「あなたの仰る白髪原の戦からは、十五日が経ったところ…。貴代川による阿武残党狩りも、やや下火になって参りましたが、奥の地ではしばらく、危うい状況が続くと言えましょう」
――残党狩り…!
自分がその狩られる獲物となっていることに、柚部は唖然とした。
「待山の里は、阿武でも貴代川でもございません。この地にいる限り、柚部さんが狩られることはありません。ですが待山に来た以上は、これまで属した御身分をはずしていただく必要がございます」
そこで一拍、いわては静かに息を吸い、吐いた。
「…お辛いでしょうけれども。これから名乗られる際、阿武・熊河仕下と仰るのはお控えください」
柚部は押し黙った。静かにまっすぐ見つめてくるいわてから、視線を落とす。父の大鎧を思った、…大切なもの、一心に信じてきたもの…。それまで自分を守ってくれたものが、肌から剥がされていく気がした。
・ ・ ・ ・ ・
器と高坏を持っていわてが下がると、入れ替わりによう老人が薬を持ってきた。
「おやっさまと、話せましたね!」
「ようさんが仰るおやっさまと言うのは、いわて様のことですか?」
「ええ、私ら古いものは、そう呼ぶんです。柚部さんのことは、傷が深いものでずいぶんと心配してらしたのですが…。何しろ連日お勤めで、出ずっぱりでしたからね。今朝になってようやく、こちらに帰ってこられたのです」
柚部はやや混乱してきた。
この家のつくり、下男らしきよう老人の態度、いわての立ち振る舞いからして、黒塚は歴とした貴人の家のようである。
それでも男主人がおらず、いわてが自ら勤めに出向いている、というのはどうしたことなのだろう。
いわての肌はやや濃かった、しかし農家の女房に見られるような灼かれ方ではない。黒塚は豪農なのだろうか…?
そう言えば、あの闇の記憶に吞まれかけた瞬間、背に添えてくれた手のひらが、がっしりと厚く力強かった…。
「今ね、柚部さんの杖を作ってくれている人がいるんですよ。出来上がる頃には、それを使って外を歩けるようにおなりでしょう。さあ、またしっかり休んでくださいまし」
手際よく膝の手当を終え、老人は出て行った。
雨は静かに降りしきっている…今日は簀子の上に、ゆきの笑顔が見えない。