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夜叉と落武者  作者: 門戸
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4.洞窟に閉じ込められた落武者

 

 次に目覚めた時、柚部ゆべは強烈な空腹、そして十分な体力の回復を感じた。


 しかし周囲は暗い。



――なんだ、まだ夜明け前か…。



 楽な姿勢で再び休もうとしたが、…妙な感覚がする。


 ずいぶん寝た気がするのに、まだ明けていないというのが変だ。平生、柚部は一度寝たら朝まで起きない性質たちである。



「おかしいな…」



 呟くともなく立ち上がり、外の様子を見てみようと洞窟の出口に向かう。


 その、出口がなくなっていた。


 上方、ごくごく小さな隙間から漏れる、頼りない光によって柚部が目にしたもの…。それは洞窟の口を、いくつかの巨大な岩がふさいでしまっている、という事実であった。



 しばらくの間、柚部はほうけたようにその場に突っ立っていた。


 やがて思い立つ。



「…出なければ、いかんなあ…」



 岩々の隙間を調べ始めた。通り抜けられそうな間など、どこにもない。押してみた、…微動だにしない。


 上の方にいくつか開いている隙間には、やや大きめのあなもあるようだが、いかんせん手が届かない。外を見ることもできなかった。


 岩に手足をかけてよじ登ろうとしても、突起がまるでない。柚部は無様ぶざまに、何度もすべり落ちた。


 次いで、他に抜けられそうなところはないかと別方向をも探ってみる。洞窟の奥側も岩の壁沿いによくよく調べてみたが、やはりこちらは完全に閉ざされていた。


 脇の下にいやな汗が流れ、柚部の心はじわじわと不安に侵食されていく。


 こぶしに口をあてる。叫びたい、わめきたい…。そんな衝動と、叫んでも何にもならないぞという理性が拮抗する。柚部は深く長く、息をついた。


 とりあえず、空気の流れる孔はある。息がつまって死ぬことはないだろう。



「おーい」



 柚部は叫んでみた。



「助けてくれ!!!」



 こたえるものはない。山鳥の鳴き声すら、聞こえなかった。



 竹筒の水を飲み、炒り豆をよくよく噛んでいるうち、全く望みのない状況ではないのかもしれない、と言う思いが頭をよぎる。



――洞窟の中に焚き火の跡があったのだし、この道を行き交う者が必ずいるはず。



 昨夜の嵐で山肌の上部が崩れ、雷に打たれて落ちてきた岩石が、格好の休憩所だった洞窟の入り口をふさいでいるのだ。道行く者は嫌でも気づく。


 嵐の後は道が悪いから、みな峠越えは控えるだろう。だが二日もたてば、里人たちの知ることとなる。きっと、助けが来る。


 外は晴れているようだ。黄みがかった陽光がやがて暮れていき、柚部は不安をごまかしながら眠りに落ちた。



 翌朝は晴れていたが、漏れ入る光が次第にかげりを帯びてゆき、再び雨になったらしい。


 柚部は平常心を保とうと苦心した。しかし、この雨で峠に人の往来がなくなることを恐れる気持ちは、どうしてもやりこめられない。


 ごろごろごろ、と嫌な音がとどろき、またしてもひどい降りを伴う雷雨が迫っているのがわかった。



・ ・ ・ ・ ・



 どれくらいの時が経ったのか。


 柚部が目覚めると、周りには漆黒の闇しかなかった。…闇。自分の手すら見えない。


 ずいぶんと長い間待ってみたが、夜が明けることはなかった。


 …そうして柚部は知った。


 昨夜の雨で、岩の上に土砂が崩れ、あの小さな孔までが完全にふさがれてしまったことを。


 今度こそ、柚部は我を失い、生きながら葬られてしまった自分の墓の中で、獣じみた咆哮を重ねた。




 皮肉にも、膝の傷だけが時の流れを柚部に教える。


 半日ごとに老女の薬を塗らないと、耐えがたい鈍痛に見舞われるからだ。まぶたを開けていても、閉じているのと何ら変わりないが、柚部は慎重に軟膏の入った貝殻を扱う。取り落としたら周りの石に混じって、もう分別がつかなくなるだろうから。


 きりきりと惨めに胃の腑が痛む。震える手を何とか抑えて炒り豆を口に含むものの、もう残りがわずかでしかないことは、見えずともよくわかる。


 横になってやり過ごすうち、朦朧もうろうとし始めた柚部は奇妙な想像にとらわれた。



――このまま…炒り豆を口に含んだまま、俺は死ぬのだろうか。



 胃の腑に残った豆は、自分のむくろかてに芽を出し、土と岩とを貫いて、いつか地上に葉を輝かせ、花を咲かせるかもしれないと思う。


 長年耕してきた畑の中には、骨折りばかり要する岩ころだらけの地も多かった。そんな所でも花を咲かせる豆ならば、このくらいの岩肌など、ものともしないかもしれない。


 …そこまで考えて、ふと気づく。口元が引きれる…ずいぶんしばらくぶりに、笑えたものだ…。



「炒り豆に、花がつくか」



 このまま飢えと渇きによって死ぬのなら、自力で苦しみを縮めた方が利口ではないのか。


 柚部はみずからに問いながら、手にした長刀なぎなたの刃先を喉元に押し当てる。…そのまま勢いよく、前方に倒れ込めばいい。腰には太刀たちも持っている。


 だが、そうして長刀に触れるたび――その白樫しらかしの親しんだ感触が、柚部を思いとどまらせる。


 竹雄たけを熊市くまいち熊次くまじの顔が闇に浮かぶ。良生よしきは、自分を生かすために道を作ったのではなかったか。加七かしちは…無事に逃げ延びただろうか…。


 まだ。まだだ…。まだ、終われない。


 嗚咽を噛んで、柚部は耐える。


 弥衣やえの顔は、どうしてもはっきりと思い浮かべることができない。



・ ・ ・ ・ ・



 まず軟膏がなくなった。


 貝殻底に残ったひとしずくを傷に塗りつけていて、柚部は自分の左脚から感覚が消えつつあることに気づく。動かせば鈍い痛みがあるものの、何かの絵空事であるかのような、ぼんやりとしたものでしかなくなっていた。


 最後の豆は勢いよく飲み込んだ。あの馬鹿らしい想像が、現実になるとは思えない。


 豆がからからに乾ききった喉を落ちて行く時、かすかにかびの臭いを感じた。やはり相当の時間が経ったらしい。生き埋めになって以来、幾度となく叫び続けてはきたものの、応えるものは何もなかった。


 助けが来ようとは、もう思えなかった。…もし誰かが気付いたとして、一体何ができるというのだ。


 柚部は、あまりに深い所にいる。


 長刀の刃を喉にあてるにも、柚部はすでに上半身を起こせない。衰えきっていた。


 時折、さまざまな夢がかすかに脳裏をめぐった。はるか昔の風景だ。


 お山にうさぎが来たのだねえ、春の訪れにひくく優しく笑う母の声。おだやかな光をのせて流れゆく、故郷熊河のあの川。そこからすっと目を上げれば、澄んだ青さが視界いっぱいに満ちる…。


 しかし、柚部を励ますかのように広がったその空は、目を開けた途端かき消えてしまう。



「闇にまぎれて行くだけだ…」



 自分で呟いたその言葉に、心があらがう。涙がとめどなく流れる。



――もう一度、光を浴びたい。本当の空を見たい。



 胸に抱いたその願いだけが、吸いついて身を蝕む闇と腐食から柚部を守って、かぼそく抵抗を続けている。




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