31.待山の冬の夜
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更衣の後は、一挙に冷え込んできた。
多くの樹々が紅に黄金に染まり、鹿の鳴き声が遠くこだまする。
柚部は畑で働き、こめが青物を干して冬に備えるのを手伝う。
百乃は相変わらずまめに通ってくる。
やがて里人総出の稲刈に駆り出され、藁を使って青竹宅の屋根修繕も完了した。
家々の神棚には新米が供えられ、裏山の小さな祠の前では、質素な新嘗祭が執り行われた。
霜が降り、初雪がちらつき、井戸端で吐く息が白くなった。季節は移ろっても待山の里の暮らしはつつがなく、何も変わることなく続いて行った。
いわてだけが居なかった。
柚部はようとこめの門前小家で毎度の食事をとるようになり、その都度いわてと、黒塚一族の勤めに関わる話を聞く。
揺るぎない信頼を置く老夫婦に、いわては柚部への想いを明かしていた。すべて事情を呑んだその上で、老人老女はやってきた落武者・柚部に、待山の深みを語る。
温かい炭櫃の側で豆を選りながら、あるいは衣や道具の修繕をしながら、代わる代わるに話が継がれた。
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もともと黒塚の家は、裏手にある大小の山々を神体と祀る旧い神主の家系であったとされる。昔の待山は、今のような奇異な里ではなかった。一帯の有力豪族の下に細々と生をつなぐ、ごく小さな村だったのである。
しかしある時、西から落ちのびて来た貴人の一党が流れ着き、里の女達を娶る。そこから周辺との断絶が始まった。
待山を囲む自然の障壁で来るものを選ぶよう、さらに道が細められる。柵こそないが、堅牢な砦のような集落を、さらに樹々の壁で覆い隠す。
西の貴人たちがもたらした戦の技術を継承しつつも、時折外からの流入を許して取り入れる。大陸伝来の薬効知識と毒殺秘術とを活かして、どの豪族をも主とあおがず、ひたすら名を隠しながら各地の戦で暗躍する。それが黒塚氏の長、“大夜叉”の勤めであった。
現在はいわての叔父にあたる男が大夜叉で、いわてはそれに次ぐ“中夜叉”の位にある。いずれも夜叉と呼ばれる黒衣の男女、“夜叉衆”を束ねている。
夜叉衆とは、待山の里で最も策略・薬識に優れた男女の使役者をさし、ようとこめもかつてはその一員として、各地をひろく行脚したのだと言う。
いわては戦に赴くと言ったが、夜叉衆は白兵戦に討ち入るわけではない。
敵将の元に入りこんで位聡に使ったような毒針を吹き撃ったり、あるいは例の蛭を寝床に送り込んで失血死に至らせたりする。逆に蛭に悪い血を吸わせ、怪我人の治療を行うこともあった。最後に見た時、いわてと男たちが携えていた葛籠の中には、眠ったままの蛭を詰めた甕が入っていたらしい。
現在西の都で起きているという混乱の裏では、“大夜叉”いわての叔父が暗躍していた。その負傷の穴埋めにいわてが呼ばれたのだった。
…何度か重複して聞かされても、柚部にはどうにも想像しにくい事柄ばかりである。
「…それで、いわて様は。危うい目に遭っているのでしょうか?」
肝心の問いに、老夫婦ははっきり答えることができずにいる。
離れの夜は、深々と凍てついた。
柚部は重ねた夜着の中にくるまって、哀しく吐く嘆息が闇に白く浮かぶのを見る。この繭の中に、いわてがいればどんなに温かいだろうと想う。
どうか無事に早く帰って欲しいと、そればかりを柚部は願った。




