28.野分の嵐あくる朝
朝は静かにやって来た。
夜中を廻ってから、赤子を胸にのせたまま柚部は板敷に横になっていた。眠れたわけではもちろんない。ぎしぎしと筋張った感触を全身に感じつつ、ゆっくりと起き上がる。
老主人は夜に見た姿のまま、炉の前に背を丸めていた。
赤子が、何やらもにゃもにゃ言っている気がした。布にくるみ直し、そうっと奥の間に入っていくと、産婆が察して腕を伸ばしてくる。
「本当に、ご苦労様でございました。美葛さんも、もう落ち着いて寝入られましたし、この子には重湯をやってからそばに置いてやりましょう…」
そう囁いて、柚部の腕の中から赤子を抱き取る。
几帳の向こう側で、ようやく生まれた二人目の子と母とは、一緒に横になっているらしい。その几帳の陰から、いわてが出てくる。
柚部をみとめると、疲れた顔に微笑を浮かべた。
「無事に済みました。帰りましょう」
・ ・ ・ ・ ・
生乾きの狩衣が体に重い。しかし心軽く、柚部といわてはぬかるんだ細道を進んだ。
雨はすっかり止んでいる。あの轟きが嘘のように風もおさまって、里の樹々の合間に静けさが満ちていた。まだ薄暗い早朝だったが、通り過ぎるいくつかの家の周囲には、朝餉の粥が香っている。出産にはよく手を貸すのかと、いわてに何気なく問うてみた。
「難しくなった時だけです。今回はそうそう危なくもなかったのですが、双子でしたから産婆さんも大事をとったのでしょう。二人目が出て来てからの後産もすぐでしたし、美葛さんもすぐに良くなると思います」
答えるいわての口調に、安堵が滲んでいた。
「いわて様も、本当にお疲れさまでした」
「わたしより、柚部さん。…実を言うと、一緒に来て下さると仰った時に、びっくりしたんです。しかもずっと手伝って下さって…。熊河のお里では、殿方はお産に付き添われるのですか?」
「いいえ。単にあの嵐の中、あなたを一人で行かせたくなかっただけです」
いわては目を丸くして、脇を歩む柚部を見る。
「…こめさんも言いましたけど、お産は不浄の域です。親族でもない限り、たいていは避けるのが普通でしょうに」
柚部は首を傾げた。本当に、いわての言う通りなのだ。柚部の知る限り、関係のない男が他の女房のお産の手伝いに加わるなど、どこの里でも聞いたことがない。それなのに昨夜は、とにかくいわてについて行くのが当たり前だとしか思えなかった…自分で自分の言動が不思議である。
「…まあ、不浄も何も、私は一度死にかけたところを助けていただいた身ですから。里の居候として、できることなら何でも手伝いますよ。と言っても、赤子を抱いて寝転んでいただけでしたが」
「あら、雨漏りもふさいでくださいましたよ」
「ああ、そうでした。近いうちに改めて、青竹さんの家の茅葺きを、直しに行くとしましょう…」
木立を抜けて、ふいと開けた視界の中に黒塚の屋形が入る。こめに頼んで朝餉を作ってもらい、自分は少し休むといわては柚部に告げた。
「一緒にいて下さって、嬉しゅうございました」
そう言い残すと、先に立って母屋の内に消えてゆく。
離れに帰りつく。柚部は疲れ切った体を投げ出すようにして、板敷の床上にのびた。
目を閉じると、夜半に見たいわての姿が脳裏に蘇る。血塗れの両腕で、産婦を介抱していたあの姿。
子の誕生と引き換えに、女が自らの命を死に近づける出産というものを、初めて間近に見た。
死が色濃くまとわりつくからこそ、不浄とされる穢れどきではあるが、柚部はそういった感覚を抱かない。
鉄色になっていたいわての腕も手も、恐ろしくはなかった。小さな命を引き出し、死の危険から遠ざけて生に引き戻した腕なのだ。尊く思いこそすれ、汚いとは思えない。
「あの人は、俺にも同じことをしてくれた」
思わず、呟きがこぼれ落ちた。
いわてが位聡を死に追いやったのは事実だ。しかしあの闇の墓…洞窟の奥底から自分を救い出し、生に引きとどめたのは、紛れもなくいわてなのである。
自分は、いわてに与えられた生の部分だけを見てゆこう、と柚部は思った。




