27.嵐の晩の出産
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その二日後、待山の里は野分※に遭った。不穏な風が吹く、徐々にその威力を増してゆく。
「この辺に野分が来るのは、珍しいのですけどねぇ…」
そう言うよう老人に従って、柚部は母屋に離れ、門前小家と次々に用心の打ち付けをしていった。
畑の青物はどっしり実る途中の瓜の類と芋ばかりだから、特に心配はしない。近隣をまわって、左衛宅や教所の打ち付けにも手を貸す。
日の暮れとともに嵐がうなり始める。
いわてと柚部、よう・こめ夫妻は例外的に、母屋の台盤所で冷えた強飯の夕餉をとった。
食事を終え、柚部が離れに引き取ろうとした所で、誰かの訪う叫び声がする。ごうごうと吹きすさぶ風に抗って、必死に呼びかけているらしい。ようが素早く出て行き、間を置かず戻って来た。
「今朝から産気づいている美葛さんが、どうも良くないそうです」
老人の言葉に、いわてとこめは無言で立ち上がる。奥の間へ行くと、幾つかの包みを抱えてきた。
嵐の中を産婦宅に向かうのだと知れ、柚部も立ち上がる。
「ご一緒します。ようさん、どうぞ雨衣を貸してください」
こめがぎょっとした様子で、慌てて柚部に向き直った。
「柚部さん、お産の場は不浄ですから…」
「いわて様が嵐の中を行かれるのに、のうのうと寝ているわけには行きませんよ」
こめの手から、持ち重りのする包みをさっさと取ってしまって、柚部はそう告げる。
降り叩く雨の中では、雨衣も蓑もさして役には立たなかった。
袴をびっしょり濡らして産婦宅にたどり着けば、家の中はもうもうと温かい。家の主である青竹と菱の中年夫婦、同年代の女房ひとりが疲れた様子で、湯を沸かし続けていた。
他にもうひとり太り肉の老女がいて、これが産婆とわかる。産婆は柚部に目を向けて、一瞬おどろいた様子を見せかけたが、すぐにいわてに向き直り、低い早口で話し始めた。
子は双子であった。一人目は何とか生まれ出たものの、二人目に時間がかかって母親を弱らせていた。
いわては奥の間、大きな几帳の向こう側へと回る。そこに産婦が寝かされているのだろう。
苦しげな女のうめき声に加えて、もうひとつ妙な物音がするのに柚部は気づいた。室の隅に目を凝らすと、板敷が濡れて小さく水が溜まっている。青竹は、娘の出産で打ち付けを入念にできなかったのかもしれない。
柚部は暴風の中に再度出て、乱れた茅葺き部分をかき寄せる。藁束を詰めてどうにか固定した。道具を借り、改めて戸を打ち付ければ、柚部はずぶ濡れになっていた。
小袖一枚になって衣と衵を炉端に干していると、奥の間から女のきつい声があがる。周りは俄然ばたばたと騒がしくなった。
低いがはっきりとした口調で、いわてが矢継ぎ早の指示を出している。菱と手伝いの女房は、ひっきりなしに奥と台盤所を行き来する。火の番をする青竹は、両手を揉みしだいて不安に暮れているようだ。
「柚部さん、こちらへ!」
ついに柚部にも指示が飛ぶ。左脚を引いて駆けつけてみると、いわては両袖をまくり上げて、腕をむき出しにしていた。その先の手が両方とも、血塗れである。
几帳すぐ脇の床にいる産婦の方は見ないように努めながら、いわての前に寄る。
「先に生まれた赤子が冷えないよう、肌抱きにしてやってください」
きっぱりと言いながら、いわては母親の夜着の脇、布にくるまれていた赤子を目で示した。柚部はそれを抱いて台盤所の板敷に戻る。小袖をはだけて、赤子を胸と腹に重ねた。
小さな赤い生きものは、目を閉じたまま時折ぴくぴくと動くだけで、静かに柚部に抱かれている。青竹は火の前を離れられない。何も言わずに、穏やかな視線をこちらに注いできた。
この台盤所は家の中でも特に温かいが、母体から出たばかりの弱々しい赤子には、寒かろうと思う。生まれて初めて接した小さな生命に、柚部は恐々としていた。どうにか無事に生き延びてくれと、それだけを願っていた。
自分の娘たちが生まれた時のことを、柚部は何も知らない。
弥衣は習慣通りに里に帰って出産し、十月も熊河に帰ってこなかった。だいぶ大きくなってから、それぞれ初めて娘たちと対面したのである。…
家の外では、嵐が轟音をたてている。屋根や壁が、絶えず揺さぶられた。
自分の身体の熱を分け与え、ひたすら小さな存在を冷やすまいとしていた柚部の周りでは、時が止まってしまったようだった。
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※野分:秋口の嵐、台風のこと




