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夜叉と落武者  作者: 門戸
24/35

24.十五夜の侵入者

 

・ ・ ・ ・ ・


 葉月はづきなかば、朝晩が涼しくなってきた。


 日中はいまだ暑く照る、しかし空気が心もち澄んで過ごしやすい。早朝の空に浮かんだ白っぽい月を見て、はて三五夜さんごやであったかと柚部ゆべは思う。



「ええ、早いもので今夜ですよ」



 朝餉あさげの膳を片付けるいわてが、微笑みかけた。



「今日はお勤めもないのです。お月見をご一緒しましょうか」



 言われてふと、山の湯治場でともに見上げた星空のことを思い出した。そうだ、いわては夜空を見上げるのが好きなのだと言っていたっけ。



 午後、いつも通りやって来た百乃ものに稽古をつけてやる。



「あのね…。お友達に、長刀なぎなたやってみたい、という子がいるの…」



 もじもじと切り出されて、柚部は苦笑した。さすがの百乃も、自分一人の秘密にしておくことはできなかったらしい。


 そのうち連れておいで、ただし親御さんにはちゃんと話をしてから…と言って帰す。自分が里の子どもに長刀を教えていると知ったら、位聡いさとは激怒するのだろうな、と想像する。



 夕方、離れの板敷に見慣れないものが置かれているのに気づいた。


 かめに活けられた銀穂の尾花おばな、隣の鉢には山姫あけびが盛られている。こめか、いわてが持ってきたのだろうか。


 あけびの皮の青紫に、柚部は思わず目を細める。ふと、この脇に菊があれば映えよう、とひらめいた。垣根のあたり、開きかけた野菊があったはず。


 暮れかける夕陽の中で、黄と青との菊をたばねて切った。これまでの人生、みやびごとに縁のなかった柚部ではあるが、あけびと菊の色の近さには確信がある。何でも良いのだ、いわてと一緒なら話題のもとは多いほうがよい。


 香る菊の束を、庭の側から簀子すのこ縁に置いたところで、ゆきの唸り声を聞く。



「ゆき?」



 百乃が帰ってから、簀子縁に置いたままだった長刀を咄嗟に掴む。唸り声は次第に猛々しくなっていく。



「ゆき!!」



 柚部は玄関の方へと、左脚を引きずりながらできる限りの速さで回り込んだ。


 ふぎゃああん!!!


 悲痛な声を追ってゆくと、畑に続く小道のあたり、白くふわふわとしたゆきの身体が、何か長い得物えものの先に叩かれ、地べたに押しつけられたのが見えた。



――何だ、あれは!?



 薄闇に溶け込むような柿渋色の衣、同色の頭巾のようなもので目元以外の顔を覆い隠した男たちが、柚部の長刀なみに長い棒を扱っていた。その先端には刃でなく、鍬形くわがた虫の兜のような二股の角がついている。


 これを使って二人がかりで、ゆきの首と胴とを押さえつけているのだ。さっとかがみ込んだ三人目が、すばやく犬の首に布を巻く。ぎうと縛り上げているのを見て、柚部は眼を見開いた。



「何をしている!やめなさい、すぐに犬を放しなさい」



 杖と長刀とを両手に握りしめて、対峙する。


 三人目は、ひんひんと出せない声で唸っているゆきの頭を勢いよく殴りつけると、布から手を放して立ち上がった。


 やはり柿渋色の布で全身を覆っているが、敵意に満ちたまなざしは、見間違うはずもなかった。



位聡いさとさん。このような狼藉ろうぜきは、さすがに許されませんぞ」



 若く屈強な男は、何も言わずに太刀の鞘を払った。真剣の刃が、沈みかける夕陽の残光を宿して光る。


 さっと踏み込んでくるのと同時に、柚部は左手の杖を放して長刀に添えた。


 が、しッッ!!


 相手の籠手こてを素早くはたいて、ともかく太刀を落とさせるつもりだった。しかし行動に入ったその瞬間、左後方から強烈な衝撃を受けて突き飛ばされる。


 柚部は無様に転がった。


 ざりっ、耳にさわる音がして、首周りに輪のようなものが突き立った。背後にいたらしい四人目が、ゆきを封じたのと同じ得物で、柚部をも拘束したのである。


 首をねじって見上げれば、ほんの二歩先のところ、太刀を提げたままの位聡が立っていた。



「身の程をわきまえない、馬鹿なじじいめ」



 侮蔑のこもった声が、覆布の内側から発せられる。



「もう片方の膝もつぶして、足が立たないようにしてから、里の外に放り出してやろう。惨めに這いつくばって、獣のように貴代川きよかわに狩られるがよい」



 位聡は動けない柚部の眼前にかがみ込み、囁くようにして続けた。



「この離れは、俺のものだ。あの女も今宵ここで抱いて、そうして俺のものにす…」



 最後の言葉に合わせ、柚部は右手に持ったままの長刀を一回転させる。勢いよくすべって来た石突で、位聡の脇腹を打った。


 不意をうたれて、横ざまによろけた位聡はしかし、すぐに太刀を振り上げる。


 柚部と位聡、双方の憤怒の視線がぶつかり合った次の瞬間、位聡がぴきっと身を凍らせた。


 左手で首の付け根あたりを探る。何か、きらりと光る長針のような小さなものが、そこに突き立っていた。


 次いで、ひょう・ひょうひょう、と空を切る音がした。


 ばた、ばたり、ばた。鍬形得物を使っていた他の三人が次々にくずおれる。倒れる瞬間、その肩や腕にそれぞれ矢が立っているのを、柚部の目は見た。


 鍬形を両手で外し、柚部は膝を立てた。母屋の方角にいわてが、少し後ろに弓弦ゆづるを構えたこめが立っているのが見える。



 いわての顔は、薄闇の中でもはっきりと白かった。


 山の湯で見せたあの怒りの形相よりもさらに激しい、しかし静かな憎悪の念をいっぱいに湛えて、女は立ち尽くす位聡に歩み寄る。



「…毒針を打ちました。すぐに痺れがまわり、動けなくなります」



 位聡は目を見開いて、いわてを見る。



「あなたがしたことは、黒塚くろづかおさと待山の里に対する謀反むほんです。咎人とがびととして、あなたをヒルニエにします」



 位聡は震える左手で、頭巾をむしり取った。



「謀反だなんて…違う。私は、あなたが欲しかっただけなんだ…」


「もう何十回も、それはならぬと言ってきました。あなたは若者たちをそそのかし、私の犬と客人とを痛めつける手筈をととのえ、侍者が手薄となるこの日を選んで、私を襲いに来たのです。言い訳の余地はありません」



 位聡の頬に、つうと涙が伝った。



「そこまで、私を嫌われますか」



 いわては頷いた。



「あなたは、い人ではありません」


「以前のように、私を癒してはくれないのですか」



 何も答えずに、いわてはついと位聡の横を通り抜けると、矢傷を押さえて悶え呻いている男たちを乱暴に押しのけて、ゆきにかけられた鍬形を外しにかかる。


 位聡はうつむいた。


 あごを伝って、ぽたぽたと水滴が地に落ちる。


 次の瞬間、若い男は太刀の切先を自分の喉元にあてると、勢いよく前方に倒れ込んだ。


 全てを見ていた柚部はしかし、息を止めて動くことができなかった。




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