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夜叉と落武者  作者: 門戸
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22.長刀弟子の少女

 

・ ・ ・ ・ ・


 しばらくたったある午後。井戸で水を汲もうとしていた柚部ゆべは、あたふたとした様子でこめが門前小家から出て来るのを見かける。


 いわてのはと麦を切らしてしまったので、もらいに行くのだと言う。代わりに行こうかと申し出ると、こめは心底から救われたような顔になって、安堵した。



「ああ、助かった!どうしても急がなくちゃならないつくろい仕事があったんですよ。本当に、柚部さんは何てありがたい方なんでしょう」



 はと麦のお使いひとつでそこまで言ってくれなくても…と苦笑しつつ、ゆきを呼んで出かけた。


 行き先は里外れに近い家、青葉の茂った柿の木に囲まれて建っている。


 明るく光の入る玄関先でおとなうと、背の高い女房が出てきた。


 早雪さゆきというこの女とは面識がある。以前、湯治の折に夫ともども一緒になったことがあって、実直でい夫婦だ。この家では大麦はと麦を育てている。特にはと麦は、芳しく炒ったものが里じゅうで好まれていた。


 奥で早雪が包みを用意している間に、小さな椀を盆にのせて、十くらいの娘が板敷の間に入ってきた。こちらは初めて見る顔である。



「おじさん、柿の葉のお湯をどうぞ」


「おや、どうもありがとう。柿の葉湯とは珍しいね?」



 内心、漂ってきた匂いに怖気づいていたが、屈託ない少女の笑顔の手前、柚部は口に含んでみる。



「珍しくも何ともないのよ。うちの柿の木に、あたしが登って採ってきたんだもの」



 柚部は吹き出しそうになった。初めて口にした葉の湯はとてつもなく不味まずかったが、目の前に座った娘は笑顔満面、嬉しそうに柚部を見ている。



「においはきついけど、体に良いのよ!うちの伯母さん、きれいでしょう?毎日柿の葉のお湯を飲んでるからなんだけど、あたしもああなりたいから、まねして飲んでるの」



 桃の実のような丸い赤い顔で、娘は力説した。


 この丸さのせいで、実際よりもぽっちゃりとして緩慢な印象を受ける。早雪の姪で、百乃ものという名だった。


 次女の紗与さよと同じくらいか、という思いがほんの一瞬、脳裏をかすめた。


 考えてみれば、待山で子どもと接したのはこれが初めてだ。



「百乃ちゃんも、教所に通っているのかい」


「うん、お昼まで読み書きしてる。本当は太刀たちも習いたいんだけど、位聡いさとさんがだめだって」



 聞いて、柚部は首を傾げた。



女子おなご得物えものの扱いなんて、おぼえるもんじゃないって言うの。漢文を習えるだけでもこの里の女子は域を出ている、をわきまえろとかごちゃごちゃ言って、教えてくれないのね」



 聞いているだけでも、ごちゃついた言い分だなと柚部は思った。



麻見あさみ先生は時々弓を教えてくれるんだけど、おじいちゃんだからすぐに疲れちゃって、お稽古もおしまいになるからつまんないの」


「ふうん。女の子が得物を使えても、私は構わないと思うがねえ?」



 実際に真剣を使って、戦に出向くとなったら話は別だが。畑で男同様にくわすきをふるうものが、それを太刀に持ち替えて何の問題があるだろうか?


 故郷熊河くまがわにも、たまに鍛錬に加わる中年の女房がいた。娘ばかり何人もいる家の女で、世の中いつ何が起こるかわからないのだから、とっさの危機に自分と娘たちの身を守れるくらいにはなりたい、そう言って棒切れをぶん回していたものである。



「おじさん、本当にそう思う?」


「思うよ」


「じゃあ、何か得物の扱いを教えて。おじさんはお武者さぶらいだったんでしょう?」



 柚部は目を丸く見開いた。そこへ、早雪が入って来る。



「百乃ちゃん、途中から聞こえてましたよ。人さまに何かを頼む時は、何て言うか忘れたの?」


「あ、そうだった。おじさん、どうぞお願いいたしまする」



 老人ぶったようなしかつめらしさを装って言う少女の姿に、面白みをおぼえて柚部はぷっと噴き出した。



「いやはや、教えろと言われてもなあ…。私は長刀なぎなたを使うのだけれど、人に教えられるような腕前ではないんだよ。しかも長刀は重くて長い、さおのような得物だからね。子どもには使いにくいやも」


「へえー、長い刀ってことなの?じゃあそれこそ、棹を持って行くからそれで教えて。ね、早雪おばさん、使っていない竹竿が物置にあったよね?」



 柚部の困惑をよそに、少女は乗り気である。まあやるだけやってみるか、と軽い気持ちが湧いた。



「それじゃ、伯母さん伯父さんとようく話してお許しをもらってから、黒塚くろづかの離れにおいで。たいてい畑に出ているから、来たらようさんかこめさんに言いなさい。…それでよろしいですか、早雪さん?」



 早雪はにこにこしていた。主人にも伝えておくが、元々百乃に太刀を習わせるのに賛成していたから、異論はなかろうと言う。


 はと麦の小さな包みをもらっていとまを告げると、百乃が門前まで見送った。



「おじさん、本当にありがとう。あたし、必ず行くからね」



 香ばしいはと麦の香りが漂い、柚部の胸中に満ちる。



・ ・ ・ ・ ・



 あくる日の午後、枯れた豆づるを引っこ抜いていると、百乃が本当にやって来た。


 ゆきがまとわりついて歓迎し、百乃も全く臆せず白い毛玉を撫でくり回している。手には古い竹竿を持っていたが、さすがに長すぎた。


 柚部はまず、百乃に長刀を見せた。心もち軽い方の木刀だが、少女は両手に持った途端、声をあげる。



「うわっ、重いぃ」



 案じていた通り、実際の長刀では到底無理そうだった。


 そこで、ようになたを借りてくる。竹竿を慎重に切り詰めて、小柄な娘の身の丈に合わせてみた。だいたいこんなものかという長さにしたところで、百乃に持たせる。


 構えを教え、十字方向に向けて足をさばかせてみる。最後に何度か、上段の振り下ろしをさせて、終了とした。


 百乃は素直に従っていたが、物足りなさそうな顔をした。



「もう、おしまい?」


「いっぺんに色々教えても、それを覚えて続けていくのは、大変だろう?」


「それにねえ、百乃ちゃん。柚部さんは膝がお悪いんですよ。絶対に、無理を言っちゃだめですよ」



 事情を話しておいた、こめが出てきて後ろから言った。門前小家で冷たい水を飲んでおかえり、と優しく促す。


 汗ばんだ顔に真面目な笑顔を浮かべ、百乃は柚部に向かって丁寧に頭を下げた。



「おじさん、どうもありがとうございました。また、よろしくお願いいたしまする」



 後ろ姿を見送って、柚部は苦笑する。



――飽きっぽい子どものことだ、いつまでもつかな…。



 皮肉でもなく、そう思った。





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