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夜叉と落武者  作者: 門戸
19/35

19.悪い知らせ

 

・ ・ ・ ・ ・



 待山まつやまに夏が来た。


 里の空気は心もち蒸している。しかし盆地の熊河くまがわよりは、ずっとしのぎやすい暑さと柚部ゆべは思う。


 どこの家でも、垣根や作物が豊かな深緑色の葉を輝かせている。屋形やかた離れでの生活は相変わらずだが、柚部は畑に出るようになっていた。


 いわても足しげく外出しているようだが、朝晩たいてい顔を合わせる。粥をもらい、ようと交互に軟膏を処してくれていた。


 朝は他の里人同様、深めの藁笠わらがさをかぶって畑へ向かった。慣れた土の感触がきよい。


 ゆきはほとんどの時間を、柚部の周囲で過ごしている。日が高くなると木陰にもぐり、うつらうつらと寝転ぶ。柚部が豆づるから芋虫を引っぺがすとすかさず食べてしまい、うらなり冬瓜の実をかじっては遊んでいた。



・ ・ ・ ・ ・



 知らせがあったのは、夜半の虫の音が最高潮にかしましくなった、文月ふづきはじめの頃である。


 熊河ほどではないが、だいぶ毒虫のたぐいも多くなり、柚部は畑に出る前に薬湯を欠かさず使うようになっていた。いわてが薄荷はっか、どくだみ他を煎じて冷まし、用意してくれるものである。これを手巾に浸して絞り、全身を拭く。こうすると虫が寄ってこないので助かるが、いかんせん汗に流れるのでまめに拭き直す必要がある。


 この日は朝方から水を撒いて畑の雑草を抜き取り、拭き直しに離れに戻ろうとしたところで、こめが小走りに寄って来るのが見えた。


 き立てられて汗まみれの野良着を替え、母屋おもやに向かう。


 いわてと時々はと麦湯を飲む台盤所だいばんどころではなく、その先の狭い板敷の間へ通される。そこにいわてと、もう一人若い男が座っていた。紺の狩衣かりぎぬ姿の男は、柚部に向かって丁寧に頭を下げ、礼をした。



「柚部さん、こちらは忠葦ちゅういさんと言います。熊河の地を探って、けさ待山に帰って来ました。柚部さんのご家族について、知らせがあるそうです」



 いわてが落ち着いた調子で、そう告げた。柚部は息を止めたまま、忠葦の側に座る。つい気がいて、いつものようにゆっくり左膝をかばうのを忘れ、ぎいんと鈍痛が疼いたが…それより何より、熊河の報と聞いて心がはやった。



「…どうか、お聞かせください」



 いかつい顔つきの若い男は頷くと、口を開いた。



「おやっさまに命じられて、元阿武あぶ氏下・熊河の地を廻って参りました」



 他人の口から、その名を聞くのは本当に久しぶりである。かつて自分が属した主家の名…阿武。



「まず、かの地一帯は完全に貴代川きよかわのものとなり、今は新たに西方からやって来た者たちが、おおかたの地所を占拠しています。元からいる農の民たちは、貴代川にくみすることを誓って生業なりわいを続け、いちど焼かれた家畑も再建が進んでおります…」



 柚部は固唾かたずを飲み込む。



「そして、うかがった在所へ行ってまいりました。そちらの一画は家も畑もことごとく焼かれ、お屋形の柱の残骸が見えるばかりでした。近所の者によれば、お父上は貴代川の武者が来るまで屋形に残っておられたそうです。やがて往来に出され、目の前で火をつけられた家が焼け落ちてゆくのを、ずっと見ていらしたと…」



 父らしい、と柚部は胸の中で思った。老父は威厳をもって、家の終焉を見届けていたのだろう。



「…そしてそこへ、奥方さまがいらっしゃいました」


「!!!」


「奥方さまは、お父上と、そこに居合わせた里人たちに向かって、はっきり公言なさいました…。熊河仕下、柚部ゆべ主水もんどは、白髪原しらがはらにて若衆ともども討ち死にした、と」



 柚部は驚きのあまり、何も言えずにいる。そんな所に、妻が…弥衣やえが、なぜ?そしてどうして、そんなことを言う?


 忠葦の表情が、やや苦くなった。



「そして、自分は義父を連れて里へ帰るが、もともと貴代川の側にあった実家ゆえ、何ら阿武つながりの叱責を受ける所以ゆえんはない、と仰ったのだそうです」



 柚部は困惑した。


 妻の実家は阿武と直につながりのない里にあったが、貴代川であったためしもない。戦火を逃れて生きのびるため、方便を使ったということなのか。あるいは…。まさか…。


 忠葦は話を続ける。柚部の父は愕然と弥衣を見つめ、再度柚部の安否を問いただしたという。



≪お屋形さまは白髪原にて討たれ、ごきょうだい二人も戦の後に狩られて亡くなりました。若衆の一人であった加七かしちさんが捕らえられ、打ち首となる前に文をよこして知らせて下さったのです。間違いありません≫



 そう毅然と言い切った弥衣の前に、父は膝からくずおれ、そのまま死んだという。弥衣に付き従ってきた者たちが父の亡骸をむしろにくるんで運び去ったのが、里人たちの見た最後の風景だった。


 加七が生きのびて捕らえられた、それはありうることだ。けれど文を送るなど…ましてや柚部の妻に送るなど、どうしたって有り得ない。若衆たちは字を知らなかったのだから。それなのに、絶望した父はそれをたやすく信じてしまった。


 柚部は何も、…何も言えずに、両の手を握りしめている。握った手中はどこまでも冷たく、柚部は夏のさなかに寒さを覚えている。









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