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夜叉と落武者  作者: 門戸
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18.待山へ帰る

 

・ ・ ・ ・ ・


 あくる朝早く、いわては待山まつやまの里に帰った。その後もよう老人に付き添われて、柚部ゆべは繰り返し湯に浸かる。


 翌々日には真桐まぎりときみがやって来て、ようが入れ替わりに待山へ降りて行った。


 長雨の間は腰がきしんでかなわなかった、と真桐はのんきにぼやいて湯に浸かる。その夫妻が待山へ降りた後も、途切れ目なく里人たちがやって来る。山中で夜を過ごすうち、ここでも柚部はずいぶんと知己を得た。


 そういう者たちが皆、「柚部さんどうぞ」と粥や汁をふるまってくれるのである。恐縮しつつ頂戴したから、ようが持参していた食糧はほとんど減らない。


 ゆきはずっと、柚部の側にいた。時折、野ねずみやもぐらの類を捕まえては、ばりばりかじっている。


 湯小屋の物入れの中に古い釣竿を見つけたので、一番近い淵へ行って糸を垂らしてみる。小ぶりの山女魚やまめらしいのが釣れた。頭と肝を分けてやると、ゆきはそれも嬉しそうに頬張った。


 一日に何度も湯に浸かっていると、それまで心身を支配していた重さだるさが溶け出るかのようである。


 十一日目。よう老人が再びやって来た時、柚部は待山に降りたいと告げた。




 地を踏みしめてゆっくり待山への山道をたどる途中、柚部は老人に話を乞う。里の畑作について、知りたいことがたくさんあった。


 黒塚くろづか屋形やかたの畑、その他の家々では何を作っているのか。そうして、また以前のように野良仕事を手伝わせて欲しいと頼んだ。


 かつて、熊河くまがわで自分の生活の主体だった仕事をすれば、多少なりともいわてや里の助けにならないだろうかと思ってのことだ。


 ようはうんうんと頷きつつ、ふと思い出したようにこう言った。



「…おやっさまに頼み込まれて、いま左衛さのえさんが長刀なぎなたを作っているんですよ」


「えっ、長刀を?」


「そうそう。柚部さんのお話に出て来た、長刀です。うまく行けば、秋口くらいには出来上がるかもしれませんねぇ」



 朗らかに話すようの傍ら、柚部はどきりとしている。



――長刀…。



 これまで人々と話した限りでは、待山に長刀を使う者は皆無であるらしい。自分の使い方はつたないが、長刀の便利さを伝えるくらいはできるかもしれない、とほのかな希望が胸をよぎる。


 そして左膝を何とか使える状態に維持し、自分の食い扶持ぶち分だけでも、何か畑でこしらえてゆくことができれば…。ここまで考えて、ふと感じの悪い若者のことを思い出した。



「…あの、ようさん。つかぬことを伺いますが、位聡いさとさんは運び込まれた後、私と同様に屋形の離れで療養されたのですよね?」


「ええ、左様さようです」


「全快なさった後は、すぐに屋形を出て、あの教所のある家に移られたのですか?」


「いいえ。その前に里端の、眞梶まかじさんの家に住み込まれました。しばらく眞梶さんの養蚕を手伝っていたのですが、その頃に麻見先生の身が不自由になりましてね。そちらを手伝う形で、教所に移ったんです。麻見先生の読み書きに加えて、自分でも太刀たちを教えるようになってからは、あの家もずいぶん賑やかになったものです」



 老人は苦笑した。



「…私もいつかは、屋形のお世話から出なければいけません」



 半ば自分に言い聞かせるように、柚部は言った。



武者つわものというより、私は元来が農の者です。どこか荒れ地の一画でも、里からお借りできれば…」



 ようは目を丸くして、やや慌てたように柚部を見た。



「柚部さん、柚部さん。あなた、あれだけひどい怪我をしてから、まだ三月しか経っていないのです。当分は無理なすっちゃいけません。離れを出るのは、まだまだずっと先のことですよ」


「はい。しかし、いわて様や皆さんに、ここまでお世話になっていては…」


「お湯に浸かって、だいぶ楽になられたのはわかります。けれど養生する時は、けっして焦ったり繰り上げたりしてはだめなのです。確かに柚部さんには、いつか本復して離れを出られる日が来るでしょう…。でも今は、落ち着いて時を重ねなければいけませんよ」



 親しい物言いの中に、優しさの混じる調子でようは言う。



「いやはや…。位聡さんは最後までおやっさまにすがって、屋形から離れたくないと駄々をこねていたものですが…。柚部さんは真面目なお方だ。あなたがいらしてから、うちの女房もおやっさまも、みんなやたら機嫌がいいんですから。私としちゃ、お引止めしたいくらいですよ」


「はい…?」



 機嫌どうこうは初めて聞く話である。柚部は首を傾げた。



「いえね、あれだけ涼しい顔をして、うまそうに飯をたいらげる殿方はなかなか珍しいと、こめが言うのですよ。確かにおやっさまの粥をお代わりできる人もねえ、珍しいというか…初めてお目にかかりました」


「そうですか?私には生まれついての好物なものですから…。そう言えばなほさんのと言い、いわて様のと言い、待山のご女房がたが作られる粥は、絶品ですね」



 その瞬間、ようは口をあんぐりと開けて言葉を失ったまま、まばたきしながら柚部の顔をじっと見つめた。


 何か変なことを言ってしまったのだろうか、と柚部が訝しんだあたりで、待山の里外れにある粟の畑が目に入る。





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