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夜叉と落武者  作者: 門戸
13/35

13.長雨の夜に、故郷を案じる

 

・ ・ ・ ・ ・



 雨の季節となった。


 三日、四日、休みなく降り続く小雨とくらい空に、柚部ゆべの心は鬱々うつうつとする。


 湿気のせいだろうか、膝の痛みが再び強くなった。柚部は一日中、簀子すのこの縁に座ってぽつねんとしている。


 ゆきもすぐ側にいるのだが、こちらも犬なりにつまらなさそうな表情で座り込んでいた。豊かな白い毛がふかふかと膨らんでしまって、ひと回り大きくなったように見える。


 暇を持て余した柚部は、こめに借りた古い木櫛でゆきの毛をき、だに・・のみ・・を丁寧に取ってやった。



 一方で、よう老人といわては連日忙しそうに出てゆく。


 こめが強飯こわめしを持ってきて言った。



「今の時季、よくとれるものもありますしねぇ」



 こんな季節に豊富なものと考えても、柚部には深山のひるくらいしか思い浮かばない。


 山中の里である待山まつやまの夜は冷えた。


 悪夢にうなされ、夜半に叫んで起きることはもうなかったが、今度は寝付きが悪くなっていた。夜具の中に横たわって、柚部は物思いにふける。


 それまで、あえて考えるのを避けていたことがらである。…熊河くまがわの家と父とは、どうなったのか。


 弥衣やえは娘たちとともに実家に戻ったはずだが、息災でいるのだろうか。


 相変わらず、妻と娘たちの輪郭はぼんやりとも思い出せないが、それでもひとたび考え始めるとなかなか眠れない。



 位聡いさとは、外からやって来た者が待山から生きて出ることはできない、と言っていた。嘘とは思えないし、何と言っても柚部は先の戦の敗者、阿武あぶの残党でしかない。無理やり待山を出れば、たちまち貴代川きよかわ勢に捕まって、なぶり殺されるだけだろう。


 出立の時、父は我が身を案じよと言った。


 自分のそばで死んでいった若衆たち、血路を開いてくれた良生よしきの姿が脳裏に思い浮かぶ。そうしてなほに導かれ、いわてとゆきによって救い出された。


 生きながら墓にまで埋められたのに、自分は再びこうして外光をおがみ、生きている。数々の幸運を無碍むげにあつかって、みずから死路へ足を向けることは許されない…そう感じた。待山から出ては、いけない。



――それでも…。



 柚部は故郷への想いに、しがみつかずにいられなかった。



――そうだ。ふみを書いて、父や妻に自分の無事を知らせることはできないものだろうか?



 これまでに何度か、目立たない旅装束すがたの男達を見かけたことがある。家の軒先や簀子に座って、住人の前で荷物を広げたりしていたから、売り歩きをする商人なのだろうと思っていた。


 山の奥深くに隠された待山と言えども、外界から完全に閉ざされている、というわけではないらしい。



・ ・ ・ ・ ・



 ある晩、疲れた顔で夕餉ゆうげを持ってきたいわてに、そのことを話してみる。


 女は何も言わずに聞いていて、…やがて顔を伏せた。


 柚部はどう話を継いでいけばよいのかわからず、二人とも黙りこくってしまう。粥の湯気だけが、ゆらゆらと動いていた。


 大きく深く息をつく音が聞こえ、いわてが低く切り出した。



「…柚部さんは、奥さまとお嬢さま方、お父さまのことが心配なのですね」



 それまで聞いたことのない、しゃがれたような声。



「お気持ちは、よくわかりました。けれど文をしたためてご無事を知らせることで、ご家族の身が危うくなる、という恐れもございます。わたしから…、何とかしてまず、ご家族のほうの無事を探ってみますので、その後で改めて考えてはいただけませんか?」



 明らかに心痛を含んでいるいわての口調に、柚部は胸を突かれてはっとした。もっともだ、と思う。


 父や妻は、いまや阿武の下にあったことを隠して生きのびているかもしれないのだ。戦に参加して落武者となった柚部から直筆が届けば、周囲にあらぬ疑いをかけられてしまうかもしれない。柚部は、目の前に座るいわてに向かって頭を下げた。



「仰る通りです、考えが及びませんで…。どうかそのように、していただけませんか」



 その後はいわてに問われるまま、家族の氏名を詳しく教える。自宅の場所、妻の実家といった在所も。


 戦の始まりとともに、弥衣が実家に引き上げてしまったことを話すと、いわては目を丸くして驚いた様子だった。



「あの…。それでは奥さまは、お父さまをひとり置いて行ってしまわれたのですか?」


「ええ、左様さようです」



 柚部の乾いた返答に、いわての双眸がますます丸くなる。



「平生から、私の父より実の親と長く過ごしていた女ですから。まあ、わかりやすいと言うか」


「けれど…。お父さまの身に何かあったらと、考えないものでしょうか?」


「いえ、父もまだまだ達者です。妻はむしろ、自分と娘たちこそが、父の足手まといになると思ったのでしょう」



 これは柚部の本音である。


 それまで弥衣と過ごした十数年で、それが普通だと思っていた。


 しかし今目の前にいる女、いわては太い眉を寄せ、首を傾げて困惑を隠さない。


 その様子を見て、柚部はふと思った。


 待山の里の習慣は、柚部にとって奇異なものばかりだ。しかし彼らから見れば自分こそが、異質な存在なのかもしれない…、と。





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