ヴェルル・デ=グロート Ⅰ
北暦291年
ケプラー日時 1月3日 16:30
サクラメント・エレクトロニクス テストパイロット専用待機室
アストはフローレンスと共に模擬戦を終えたヴェルルとクリスを引き連れサクラメント・エレクトロニクスのテストパイロット専用待機室へ来ていた。
「2人共、模擬戦お疲れさん。とりあえず一休みさせたいところだが……俺達には時間がない。 この後クリスは1月7日の出港までの期間、このサクラメント・エレクトロニクスでギリギリまで彼女に指導してもらう」
アストは隣にいる黒衣を羽織った女性をクリスへ紹介する。
「サクラメントエレクトロニクスの代表、フローレンス・N・ウールウォード。
元宇宙連合軍中尉だ」
「短い間だけどよろしくね」
「あ、えっと。よろしくお願いします……
指導というのは、私の戦闘に何か問題でもありましたか?」
「その逆だ。あの模擬戦の内容が良かったってことさ――そうだろ?」
アストは雑にフローレンスへ確認を取ると「えぇ」とフローレンスは軽く頷いた。
「では早速訓練を開始してくれ、詳細はフローレンスから説明がある。
ヴェルルは俺と少し話した後にそちらへ向かわせる」
「分かったわ。 クリスティアナさん、訳も分からず大人の都合で振り回してごめんなさいね。 歩きながら説明するから行きましょうか」
本当に時間がないのだろうフローレンスはそう言うと足早にパイロット専用待機室から退室していく。
「は、はい!」
クリスは慌ててフローレンスに続き流し目でアストとヴェルルを見ながらその場を後にした。
小走りで後ろに追いつくとフローレンスが振り向くことなくスタスタと歩きながら話始める。
「とても素晴らしい模擬戦だったわ」
「――ありがとうございます」
声色からフローレンスは見なくとも彼女の不機嫌な表情が安易に想像できた。
「失礼だけれど、私はあなたがヴェルルとあそこまで張り合えて尚且つ引き分けるとは微塵も思っていなかった……ごめんなさいね」
「いえ、結果は引き分けでしたけど……最後、銃口はコックピットへ向けられていました。 だからあれは――負けです」
「そう?」
あら、意外と素直ね。
「今度は必ず勝ちます」
再び戦える日があるかも分からないのに、勝利を宣言したクリスにフローレンスは思わず笑う。
「そっか、"勝ちます" か……そうよね。模擬戦の合間にあなたの訓練生時代の記録を見させてもらったわ。過去に何があったかは分からないけれど、相当努力したようね。 それでもただの人間が、ただ努力しただけでは一生ヴェルルに勝てる見込みはないわ」
ただの人間?
「だからしっかり付いて来なさい。 この4日間でクリスティアナさんには今までの努力を超え、更に精進してもらうわ。 それはこれから戦うであろうCypherや、今後のENIMとの戦いにも必ず意味を成す」
この人はいったい何を?
クリスはそう思いながらフローレンスの顔を少し覗き込む。
その表情は少し険しく、そして微笑んでいた。
「そして最終的にはただの人間がいつかヴェルルに勝る。その瞬間を私も見てみたいもの」
***
フローレンスとクリスが出て行ったのを見送り、アストはどう切り出そうかと数秒沈黙した。
アストは小さく深呼吸すると話を切り出した。
「ヴェルル、俺は今日の模擬戦で君の実力がどの程度か見ていた。結果は想像以上、いや、想定外な強さだった。だから変なことを聞くのは自分でも承知しているし、それがただの操縦技術だった場合は謝る」
銀髪の少女は表情一つ変えず、その紅い瞳でアストの目を見詰めている。
「終盤の機体の動きはアーシア・アリーチェそのものだった。 俺の知る限りヴェルル以上のパイロットなら何人も見てきたし、知っている。物真似をする程度ならある程度の腕がある者なら出来る事だが、他者の動きを完璧に模倣できる。そんな技術、技量のあるパイロットは見たことも聞いたこともない。 君は一体……何者なんだ?」
しまった……もう少しオブラートに聞こうと思っていたのに――勢いで普通に聞いてしまった。
そんなアストの後悔を他所に、ヴェルルはあっさりと答える。
「私は"ヴェルル・デ・グロート"に擬態したENIMから生まれました」
「――は?」
今なんて言った? ENIMから生まれた?
「正確にはDrive Dollへ擬態したENIMのコックピット内部に当時妊娠中のヴェルル・デ・グロートが生成されおり、私はその母体から取り出されました」
擬態するENIM……俺の勉強不足かもしれないが、そんなNamedの存在は知らなかった。
Namedに接敵した宇宙連合軍兵士はその階級に関係なく確実にそれらを報告せねばならず。それらの情報は整理された後、宇宙連合軍全体に完全公開され、軍人であれば如何なる時にも閲覧できなければならない筈だ。
それは宇宙連合軍に所属している者ならば、誰もが知る全うしなければならない軍規の一つ――
擬態するENIM
ENIMから生まれた人間
こんなとんでもない情報が埋もれる筈がない
となれば確実に総司令部以上の権力者よってこの情報を隠蔽されているとしか……
「ヴェルル、君の出生の件はフローレンスは勿論知っているとは思うが、こんなに簡単に俺に言ってしまってよかったのか?」
「グランドマスターにであれば伝えてもいい。と、マスターからは指示されていましたので」
「そ、そうか……」
ここはまず落ち着こう。
アストは再び深呼吸――というより大きくため息をつき鼻から下を左手で覆い俯いた。
つまりなんだ? 擬態できるENIMから生まれたから、ヴェルルは生まれ持って擬態じゃないにしろマネできる能力を備えていたということだろうか?
ブラックロータスの人間には到底扱えないであろう性能。小柄な少女でありながらそれに耐えられる身体。そして人間離れした他者の操縦技術の完全模倣……
アストは考える様な仕草のままもう一度ヴェルルと静かに目を合わせる。
それは曖昧で不明瞭な感覚だが、長年奴らと戦ってきたアストには分かる。
表情一つ変えないヴェルルのその紅い瞳の奥にENIMと同じ何かを感じた。




