第30話 アセルスの誤算
「お前みたいな下っ端の店員じゃ話にならねえんだよ! 代表者呼んでこい!」
高級レストラン《シャルトローゼ》の客席――。
清らかな雰囲気が漂うその店内で、怒声を張り上げる男がいた。
多くの聴衆に感動を与えたメルビスの歌唱配信。
それが終了しようかという、間際の出来事である。
メルビスは騒動が起きた状況で配信を切るわけにもいかず、声を上げたアセルスをじっと見つめている。
遠巻きに見ていたゴーシュもミズリーも、あまりに場違いな騒動を引き起こしている人物に視線を注いでいた。
「あの人! 半年前にゴーシュさんを追い出したチャラチャラ横暴ギルド長さんじゃないですか!」
「確かに、アセルスだ。向かいに座っているのは……ギルドメンバーのプリムか。しかし、一体何を騒いでいるんだ?」
「ええと、料理にベノムスコーピオンの骨が入っていたとか言っていましたけど」
「ベノムスコーピオン……」
その名前はゴーシュにも聞き覚えがあった。
猛毒を持つことからその名が付けられたサソリ型の魔物だったはずだと。
雨季になると田舎などで見かけることがあり、農家を営んでいたゴーシュも何度か目にしたことはあった。
ベノムスコーピオンの身から少量だけ取れる肉は意外にも美味で愛食家もいるほど。
毒抜きをすれば食用ともなる魔物なのだが、その黒い骨だけは例外である。
絶対に食してはならない部位であり、確かにそんな骨が料理に混入していたとなれば大問題なのだが……。
「お待たせいたしました。当レストランの支配人、グルド・シュタルツと申します」
アセルスの元にやって来たのは、黒い正装に身を包んだ初老の男性だった。
グルドと名乗ったその男性が腰を折ると、アセルスは鼻を鳴らして居丈高に見下ろす。
「アンタがここの支配人か。この料理にな、ベノムスコーピオンの骨が入ってたんだよ。これ、問題だよなぁ?」
アセルスは顔を上げたグルドの目の前に黒い骨を差し出し、鼻を鳴らした。
その様子はメルビスの配信にも映り込み、多数いたリスナーたちも反応を示す。
【メルビスちゃんの歌を聴いて気持ちよく落ちようと思っていたら、変な騒ぎが】
【何だ、あの黒い骨は?】
【なんか禍々しいな……。っていうか料理に入っていて良いもんなのか?】
【いや、ヤバいッス。ベノムスコーピオンの骨は絶対に食うなって言われてるッス】
【うわ、それマジかよ】
【何で《シャルトローゼ》の料理にそんなもんが入ってるんだ?】
【普通の飲食店なんかでも、たまに混入して問題になったとかって配信ニュースでも流れてるし、そういう感じじゃね?】
【確か、野菜の葉の間とかに紛れ込んでることがあるんだっけか? たまに注意喚起されてるよな】
【《シャルトローゼ》ともあろう名店がやっちまったッスね】
メルビスの配信のコメント欄にも不穏な空気が流れ始める。
ちなみにその時のコメントの中には、アセルスがギルド長を務める《炎天の大蛇》のギルドメンバーたちが何人か紛れ込んでいた。
ゴーシュを解雇する配信の際にも行っていた、アセルスお得意の「空気感のコントロール」とやらだ。
【お、何かもっと近くで映してる配信があるッスよ? これの方が見やすいんじゃないッスか?】
【なになに? 『王都一の高級レストラン《シャルトローゼ》から緊急生配信。高級店に潜む闇』――ってこれ、あの騒いだ男が配信してるのか?】
【ほんとだ。そっちの方が見やすそう。移動するわ】
アセルスは内心ほくそ笑む。
実はこの時、アセルスは自身のギルド《炎天の大蛇》のチャンネルでも配信を開始していたのだ。
アセルスの目的はただ一つ。
メルビスの配信から自身のチャンネルにリスナーたちを誘導し、同接数を稼ぐことである。
(クックック。これで同接数が稼げる。なんたってあの歌姫メルビスの配信から誘導するんだからな。同接5桁……、いや、6桁も全然あり得るぞ)
アセルスの胸の内にあったのはそんな下卑た打算だ。
同接数を増やせば広告収益の一部として金が入る。
そして配信を見たリスナーがファン登録をすれば、その後の配信に繋がる固定リスナーを増やすこともできる。
少しくらい過激な内容だったとしても、注目が集められれば良いのだ。
これこそが、配信業界で成り上がるための手法であり、テクニックであると、アセルスは本心から思っていた。
(持ち込んだベノムスコーピオンの骨を料理に混ぜ、頃合いを見て異物混入だと騒ぎ立てる。疑うリスナーがいたとしても、ウチのギルドメンバーたちのコメントでコントロールさせりゃ大した問題にはならねぇ。たったこれだけのことで同接数が稼げるなら、堪んねえよなぁ)
自身の利得のためだけに、他人の迷惑を顧みず、大衆を扇動するその行為。
これが、アセルスの倫理観の中では許されていた。いや、むしろ正義ですらあった。
アセルスは次なる「仕掛け」のため、向かいの席に座っていたギルドメンバー、プリムと視線を交わす。
「……しかしお客様。ベノムスコーピオンの骨が私どもの料理に混入するなどあり得ません。当店は一流の料理人を揃え、扱う食材は何重にも渡ってチェックを行っております。そもそも、当店ではベノムスコーピオンを食材として扱っておらず――」
「そんなの口では何とでも言えるだろ!? もしかしたら、他の奴の料理にも紛れ込んでるんじゃねえのか!?」
アセルスのその言葉で、周囲にいた客たちは自然と自分の料理に目をやった。
「こ、これは、私の料理に黒い骨が……」
「何ということでしょう! 私のにもありますわ!」
料理の中に黒い骨を見つけた客たちが一斉に騒ぎ出す。
そしてそれを確認したアセルスは、プリムに向けてある合図を出した。
すると――。
「う……。何だか胸が苦しく……」
「気持ち、悪いですわ……」
何人かの客たちが突然苦しみ始め、膝をつく。
状況からして、混入していた黒い骨を飲み込んだことによる症状だろうと、客たちは混乱に陥った。
「ほれみろ、支配人さんよ! アンタらが混入させちまった黒い骨のせいで被害者が出てるじゃねえか! どう責任取ってくれんだよ!」
「そんな筈は……」
アセルスが叫び、支配人のグルドも困惑の表情を浮かべる。
配信を見ていたリスナーたちも事件の匂いを察知してコメントを垂れ流していった。
(よくやってくれたぜプリムよ。お前の『魔法』のおかげで、客たちはベノムスコーピオンの骨を飲み込んだと思ってやがる)
(客に軽い毒魔法をかけるくらい、チョロいもんですよぅ、ギルド長。これでギルド長の発言も信憑性を増しましたねぇ)
屑どもたちが視線を交わす。
歌姫メルビスが歌唱配信を行うほどの名店で起きた事件。
この話題に飛びつかない奴はいないだろうと、アセルスは内心で勝利を確信していた。
しかし、その慢心と誤った思想はある男の手によって打ち破られることになる――。
「ちょっと良いか」
「なっ、お前は……」
低い声で割り込んできた人物に、アセルスは目を見開く。
アセルスの目に映ったのは、半年前に自分が笑いものにしつつ解雇を告げた男――ゴーシュ・クロスナーの姿だった。