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聖弾の祓魔師《エクソシスト》- 荒野の教会篇  作者: 伊藤 薫
第6章:神の御許へ
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[6]

 ジョセフは眼を開けた。身体に細剣が刺さっているのに痛みを感じない。だが、悪魔は別だった。背後で恐ろしい唸り声を上げる。細剣を振っているのは、ヘレーネだった。ヘレーネは悪魔になったはずだったのに。困惑するジョセフをよそに、悪魔はジョセフを地面に振り落した。

 ゾフィはさらに踏み込んだ。

「主の名において、この神の僕から去ることを命じる!」

 剣先が心臓にずぶずぶと食い込む。悪魔は激痛に荒々しく吠えたてる。

「神に代わって、汝を追放する!」

 悪魔はわめきちらした。心臓に突き刺さった細剣の刃を掴んで暴れ回る。細剣の柄頭でゾフィを殴り続ける。ゾフィは腰をぐっと落としてその場に踏み止まった。洞窟の壁に悪魔を押さえ込む。

《どうして・・・ジョセフ?》

 闇の中から声が聞こえた。ジョセフは背後を振り返った。

 暗がりにルイスが立っている。顔も身体もハイエナに引き裂かれたままだった。見るも無残な姿で胸がぱっくりと裂け、肋骨と心臓がむき出しになっている。ルイスはカンテラのそばに立っている弟に手を伸ばしながら、途切れがちな声で言った。

《なんで・・・助けてくれなかったの?》

「ジョセフ!」

 ゾフィは一喝する。

「そいつを見るんじゃないわ!そいつは絶望を食い物にするのよ!」

 ルイスから背を向けたジョセフは両手で顔を覆った。悪魔はもがいている。ゾフィは心臓に貫通した剣先を容赦なく引き抜いた。左胸から真っ黒な血がぼとぼと流れ続ける。ゾフィは柄頭で悪魔に殴りつけた。

「神が汝に命じる!偉大なる主が汝に命じる!諸聖人たちが汝に命じる!」

 悪魔は全身を痙攣させて嘔吐した。唸り声が次第に弱まる。

「聖霊が汝に命じる!」

 ゾフィは悪魔の左腕を衝いた。

「十字架の神秘が汝に命じる!」

 ゾフィは悪魔の右脚を衝いた。

「殉教者の血が汝に命じる!」

 ゾフィは悪魔の左脚を衝いた。

「穢れし悪霊よ、汝を追放する!」

 ゾフィは悪魔の右腕を衝いた。

 ルイスは洞窟から煙のように消え去った。悪魔の身体から力が抜ける。ゾフィは両腕で抱きとめる。ぐったりと倒れ込んだ悪魔の容姿はヘレーネに変わった。腕の中で激しくすすり泣いている。

 全身に疲労感がどっと押しよせる。ゾフィはヘレーネを床に横たえた。ジョセフも駆けやって来る。ゾフィはジョセフを抱き寄せる。眼に涙がこみ上げてくる。

「もう、大丈夫・・・終わったんだわ」

 その時、ジョセフの眼が恐怖に見開かれた。ゾフィは当惑しながら声をかけた。

「どうしたの?」

 左手にぬるぬるとした生温かい感覚があった。ゾフィはヘレーネに顔を向ける。そこにいた姿は、頭を無残に撃ち抜かれた幼女―ゾフィ・モーデルの頭だった。

 あっと狼狽えた瞬間、ヘレーネは悪魔に変化する。悪魔は途端にゾフィの左肩に噛みついた。激痛にゾフィは叫んだ。悪魔は肩の肉を引きちぎり、洞窟の壁に身体を叩きつけた。ジョセフがゾフィに駆けつける。

 洞窟に無数の唸り声と囁きが混じり合っている。轟々たる怨念が渦巻き、錯綜している。悪魔は姿こそ見えない。だが、存在は感じることができる。

 ゾフィは左肩に手を当てる。咬傷がズキズキと疼き、指の間から血が滲む。

「ジョセフ・・・力を貸してちょうだい」

 ゾフィは自分の声が震えていることに気づいた。

《私は悪魔を恐れている?そんなバカな》

「お姉さんは誰なの?」

「あなたの言う通り姉よ。ギデオンは弟。名前はゾフィ」

「どうやってここに来たの?」

「気まぐれな主のお蔭よ」

 ゾフィは力なく笑った。

「あなた、文字は読める?」

 ジョセフはうなづいた。

「なら一緒に、儀典書を朗読して。耳に聞こえたり、眼に見えたりするものは全て悪魔の嘘よ。集中して。あいつに負けないように。いい?」

 ゾフィはジョセフと眼を合わせた。ジョセフの眼に厳しい色があった。こんな子どもには無縁であるべき厳しさだった。怒りがこみあげる。

 ゾフィはよろよろと立ち上がった。地面から儀典書を拾い上げ、ジョセフに持たせた。カンテラの光が紙面に当たるように儀典書を開いた。

 2人は狭い洞窟の奥に向かって歩き出した。ジョセフには洞窟が地獄の深淵まで続いているように思える。悪魔のざわめきを強く感じる。ゾフィは顔を歪める。左肩の疼痛がより激しくなってきた。

「おお、神よ。その御名によって、我を救い給え」ゾフィは言った。「その御力によって、我が大義を守り給え。始まりと今と未来に等しく、終わりなき世に・・・」

 ジョセフは次節を読み上げる。

「アーメン」

「この(しもべ)を救い給え・・・」

「神よ、この忠実なる(しもべ)を」

 洞窟を通る冷たい風が2人の顔を撫でる。

「ヘレーネのもとに来たれ。おお、主よ。堅牢なる砦となり・・・」

「悪に相対するとき」

「悪しき力がヘレーネの身に及ばぬことを。主の十字架を見よ」

 2人の詠唱は朗々と響き渡る。吹きつける風が次第に強くなり、身体にびしびしと鞭打つようだった。ジョセフは吹き飛ばされそうになる儀典書を抱え込む。

「しりぞけ、邪なる力よ!おお、主よ!我が祈りを聞き届けたまえ!」

「我が叫びの御前に至らんことを!」

 洞窟にこだまする悪魔のざわめきが不意に途絶えた。ジョセフはゾフィを見上げた。何か尋ねようとする相手に、ゾフィは「シッ!」と口許に指を1本当てた。ジョセフは耳を澄ませる。ぐるぐると獣が喉を鳴らす音が至近に聞こえる。

「何かいるよ!」ジョセフは叫んだ。

 暗闇に妖しげに光る双眸が6つ。歯をむき出しにしたハイエナたちが2人を待ち構えている。ゾフィは細剣を抜いた。聖水を刃に垂らしてから水平に構える。

「大天使ミカエルの名により、主と諸聖人たちの名により、汝を追放する!」

 ハイエナたちは飛びかかって来た。ゾフィは獣の喉奥に刺突を繰り出した。喉から脳を貫かれたハイエナが青い炎を上げて消滅する。

「主の御名において、汝を追放する!」

 ゾフィは左腕に食いついたハイエナを柄頭で殴り殺した。

「汝に命じる!」

 ゾフィは右脚にかかったハイエナの首を切り落とした。

「天の高みより地獄の深みへ、汝を追放せし主に代わって!」

 ゾフィは背中に圧し掛かるハイエナの心臓を突き刺した。

「この神の創造物より、退散せよ!」

 ゾフィは胸に飛びかかってきたハイエナを胴体で真っ二つに斬り殺した。

「ゾフィ!」

 ジョセフは再び叫んだ。ハイエナとは違う邪悪な獣が2人に肉迫した。

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