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聖弾の祓魔師《エクソシスト》- 荒野の教会篇  作者: 伊藤 薫
第6章:神の御許へ
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[4]

 悪魔が眼の前にいた。ギデオンは思わず後ろに退こうとした。途端に身体が岩壁にひっかかる。悪魔の爪がギデオンの顔を引き裂いた。焼けつくような痛みが肌に走り、生温かい液体が頬に伝わる。悪魔が歓喜の叫びを上げ、何度も爪を立ててくる。必死にポケットに収まった聖水に手を伸ばす。

「聖なる主よ、全能の父よ、永遠の神にして我が主の父よ。かつての暴君を天より追い落とし、永劫の業火に引き渡したもうた主よ・・・!」

 聖水の瓶が掌に収まった。ギデオンはすかさず蓋を開け、聖水を悪魔に振りかけた。たちまちジュッと肉が焼けるような音を立てて、悪魔の顔が溶け始める。眼から真っ黒な液体を流しながら、悪魔は金切り声を上げる。怯えたように洞窟の奥に身体を引っこめた。

「・・・主よ、主の葡萄畑を荒らす獣を恐れさせ給え!」

 ギデオンはさらに聖水を振りかけようとしたが、今度は悪魔がギデオンの手首を掴んで力任せにひきずり出した。刹那、ギデオンの身体が宙を舞った。背中が岩壁に衝突して堅い岩の床に投げ出された。息が詰まる。体勢を立て直す間もなく、背後から凄まじい力で持ち上げられ、横の岩壁に投げ飛ばされた。全身に激しい痛みが貫いた。力を失くしたギデオンは床に倒れた。聖水の瓶はどこかに飛んでしまった。

「あたしの方がずっと近くにいるのに、なんであいつの名前なんか呼ぶのさ?」

 悪魔は囁いた。ギデオンはなんとか立ち上がろうとした。途端に悪魔はギデオンの首を掴み、怪力でギリギリと締めつける。悪魔はギデオンの上体を持ち上げた。悪魔の手首を掴んだギデオンは睨み返した。両脚が地面から浮き始める。

「あらゆる悪から・・・おお、主よ・・・我らを救い給え」

 声をなんとか絞り出す。

「主の怒りから・・・我らを救い給え。すべての罪から・・・我らを救い給え。悪魔の誘惑から・・・」

「誘惑だって?」

 悪魔が顔をギデオンの目の前に突き出してきた。眼から黒い膿が溢れ出している。

「あたしは誘惑なんかしてないよ、ギデオン。あんたが自分から近づいてきたんじゃないか。万死に値するね」

「救い給え・・・怒りと憎しみ・・・すべての邪なる意思から、我らを救い給え。あらゆる色欲から、我らを・・・救い給え」

 突然、首の圧迫が緩められた。悪魔はギデオンの耳に囁いた。

「戻りたくないの?」

「戻る・・・?」

「そうさ。戻るんだ、ギデオン。あの日からもう一度、やり直したらいい。自分の罪も帳消しにできる」

「・・・嘘だ」

「戻りたいくせに」

「神の御力によって・・・我らを・・・」

 口がもつれた。ふいにギデオンはヘンケの傍らに立って拳銃を奪い取り、ヘンケの顔を吹き飛ばす幻覚を見た。いけない。復讐は神が行うもの。しかし、幻覚はなかなか去ってはくれない。

《戻り・・・たい・・・》


 気が付いた瞬間、ギデオンは灰色のこぬか雨の中に立っていた。足元は石畳。空気は冷たく湿っている。村人たちが身を寄せ合い、兵士たちに囲まれて震えている。広場に兵士の死体が眼を開けたまま横たわっている。雨に濡れた黒い制服に身を包んだヘンケが顔を歪めて笑った。

「おい、神父。名は何という?」

「ローレンス神父だ」

「こいつらは・・・貴様の信徒か?」

 ギデオンはうなづいた。

「それなら、告白を聞いたはずだ。さぁ、犯人の名を言え」

「この中にはいません。誰にも、こんなことは出来ない」

「私の言ったことを聞いてないのか?」

「今日、神はここにいないと?ええ、分かってます」

 ギデオンは平静に答えた。ヘンケは困惑した表情を浮かべた後、沈黙した。瞬時にギデオンは次に何が起こるのかを把握した。ヘンケは怯えている村民たちに向き直った。

「お前らの中から10人を銃殺刑に処する。犯人に犯した罪の重さを思い知らせるためだ」

 ヘンケは50代の男に近づいた。エリク・リヒター。拳銃を抜き、リヒターを引きずり出し、石畳にひざまずかせた。兵士たちはサブマシンガンを群衆に向けている。

「でかい手をしてるな」

 ヘンケは銃口をリヒターのこめかみに当てる。リヒターの喉がごくりと鳴った。

「農家か。子どもはいるのか?」

「はい、娘が2人」

「よし、まずはお前からだ」

「待て!」

 ギデオンは叫んだ。ヘンケは振り向いた。

「何か異論があるのかね、神父?」

「あんたの部下を殺したのはぼくだ。ぼくを撃て」

「そうか」

 ヘンケは不敵な笑みを浮かべた。

「気持ちは分かる。羊たちを救うために、我が身を投げ出す羊飼いってとこか。だが、そうはいかん。あんたに選んでもらおう。さぁ、5秒やる」

「ぼくには・・・出来ない」

 ギデオンは絞り出すように言った。全て同じことの繰り返しだった。もう何千回、この場面を脳裏で再現したことだろう。ヘンケは一番近くにいた娘を引きずり出した。ゾフィ・モーデル。ヘンケは拳銃を持ち上げる。

 ギデオンはヘンケに飛びかかった。驚いた兵士たちが茫然と見守る中、ヘンケの手を捻じり上げた。ヘンケが悲鳴を上げる。ギデオンは拳銃を手にしていた。勝ち誇った笑みを浮かべ、ヘンケに拳銃を突きつけた。村民たちは不安そうに顔を見合わせている。

「部下に武器を置いて立ち去れと言え!さもないと、貴様を撃つ!」

 ギデオンは声を荒げた。ヘンケはまず銃口、それからギデオンを一瞥した。

「好きにするがいい、神父。ただし、私の部下は武器を置かないよ」

 兵士たちはサブマシンガンの狙いを群衆に定めた。ギデオンはすかさずトリガーをひいた。ヘンケの頭が吹き飛び、血と脳漿が飛び散った。ヘンケは壊れた人形のように、しぶきを上げて水溜まりの中に倒れた。

「撃て!」

 兵士の1人が叫んだ。

「皆殺しにしろ!」

「やめろ!」

 ギデオンが振り向いた瞬間、サブマシンガンが一斉に火を噴いた。

 ゾフィが苦痛を顔に浮かべて倒れた。リヒターも撃たれた。兵士の1人がギデオンに銃口を向ける。逃げる間もなく、トリガーをひかれる。ギデオンは衝撃で吹き飛ばされだ。身体が地面に叩きつけられる。痛みは感じない。機銃掃討を食らった村民たちが倒される様子が見える。やがてギデオンの眼は重くなり、瞼を閉じた。

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