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聖弾の祓魔師《エクソシスト》- 荒野の教会篇  作者: 伊藤 薫
第6章:神の御許へ
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[3]

「待て!」

 ギデオンは祭壇に飛びついた。

 すでに遅かった。石段から響いてきた悪魔の嘲笑が次第に遠ざかる。ギデオンは儀典書をポケットに入れ、石段を駆け降りる。底の丸い岩戸はすでに開いていた。ギデオンは寺院に踏み入れた。

「たとえ死の影の谷間を歩くとも、悪を恐れまい。主よ、御心とともにある限り」

 深い闇の中、何かが駆けていく音が響いた。ギデオンはカンテラを振り回した。カンテラの光に浮かび上がる物は悪魔のレリーフと古い祭壇だけだった。祭壇の表面に掘られた溝に新しい血が滴り落ちている。

 何かが床に光った。ジョセフにあげたロックハンマーだった。ちょうど肉食獣の頭を持った彫像の真下に落ちている。ギデオンはようやくこの彫像の名前を思い出した。病と苦悩を司るアッカドの神、シュコドラ。

 ギデオンはロックハンマーを拾い上げる。シュコドラを一瞥した。石像の後ろに切り立つ岩壁をカンテラで照らしてみる。岩の間にやっと人が通り抜けられるほどの狭い割れ目がある。ギデオンは大きく息を吸い込んでから、割れ目に踏み込んだ。

 左右から岩が迫ってくる。自分の呼吸だけが耳に激しく響いてくる。

「ジョセフ?」

 声はしわがれた囁き声になった。心臓の鼓動が雷鳴のように轟き、身体を走る全ての神経がざわめいている。

「ああ、主よ。どうか我が道を守り給え・・・」

 背後から息づかいが聞こえた。ほとんど自分の耳元だ。カンテラを背後に回し、危うく岩壁にぶつけそうになる。ほんの一瞬、悪魔の顔が視界に浮かんだ。ギデオンは恐怖のあまり、しばしその場に立ちすくんだ。

「悪魔を仇の許に追い払いたまえ。その信念により、彼らを滅ぼしたまえ。あらゆる苦悩から我を救い給いし主よ、ゆえに我は今、敵を見下す」

 ギデオンは歩を進めた。しばらくすると、足元になじみのある感触がよみがえる。床をカンテラで照らしてみる。でこぼこした石畳にうっすらと積もった雪が光っている。

 胸が苦しい。前方から歌声が聞こえてきた。少女の軽やかな声。やや赤みがかったブロンドの髪をお下げにして、質素なブルーのワンピースを着ている。

 ギデオンは眼を見開いた。ゾフィ・モーデル。ヘンケに射殺された女の子。ゾフィがトンネルの出口らしきところに立っていた。

 ギデオンは駆け出した。カンテラが揺れる。追いつけば、今度はゾフィを救うことができるかもしれない。

「ゾフィ!」

 ゾフィはニッコリと笑って手を振った。もう少し。あとわずかで手が届く。

 突然、大きな塊が身体にぶつかった。ギデオンは地面に叩きつけられた。上体を塊に押さえつけられる。息が苦しい。血の匂い鼻を突き、顔に濡れた布地が振れる。塊を振り払おうとして身体を必死にもがいた。ようやく重い塊を押しのけ、カンテラを当てる。

 大きな黒い縁の眼鏡が眼に入った。レンズが割れている。アンだ。すでに息絶えている。左胸に細剣が突き刺さっている。

「シスター・アン・・・」

 打ちのめされたギデオンは懸命に吐き気を抑えながら、後ずさりした。自分を怒らせたこともあったが、アンは善人であり、よきシスターだった。少なくとも、自分よりはマシな人間だった。胸の内に怒りがこみ上げてくる。

「神よ、我らが主の父よ。その聖なる御名に、いやしくもお願い申し上げます。どうか、ご慈悲を。今、あなたの創造物を苦しめているあらゆる不浄の悪霊と闘う力を、どうぞこの僕に、主を通じてお与え下さい」

 ギデオンは上体を屈める。祈りを呟いた後、死者の魂のために最期の秘跡を行った。アンの胸から細剣を抜き、首にかかっていた紫色のストーラを手に取る。ストーラには全く血が付いていない。まさに神のしるしだ。ギデオンは恭しくストーラに口づけし、そっと自分の首にかける。細剣は腰に吊るした。

 さらにトンネルを進む。眼の前に広い空間が開けた。天井は高い。カンテラの光は全く届かない。眼の前でトンネルは3つに分かれている。いずれも漆黒の闇につながっている。悪魔とジョセフの姿はどこにも見えない。ギデオンはカンテラをそれぞれのトンネルの入口にかざしてみた。

「ギデオン・・・!」

 ジョセフの声が聞こえる。心臓が飛び上がる。声の出所を確かめようとする。こだまが洞窟じゅうに反響している。

「ギデオン・・・!」

 もう一度、声が聞こえた。今度は遠くなっている。

「ジョセフ!今いくぞ!」

 ギデオンは3つの入口にカンテラを振り向ける。足跡か。何かヒントになる物はないか。必死に眼をこらす。

 中央のトンネルの奥で、ほんの少し何かが動いたように見えた。ギデオンは飛び込んだ。トンネルの天井が急に低くなる。すぐに四つん這いにならなければならなかった。

「ジョセフ!」

「ギデオン、助けて!」

 はるか彼方からジョセフの声が聞こえた。

「こわいよ!助けて!」

 ギデオンは這いつくばって進む。耳に自分の呼吸が荒々しく響いてくる。

 天井はさらに低くなる。もはや匍匐前進するしかない。周囲に堅い岩盤が迫ってくる。立つことはもちろん、振り向くこともできない。ひたすら進んでいくと、背後から呻くような唸り声が聞こえた。思わず飛び上がってしまい、頭を天井にぶつけた。身体をひねろうとするが、トンネルが狭すぎる。両脚は完全に無防備だ。兵士の足を引きずっていったハイエナの姿が脳裏をよぎる。

「ああ、神よ。我が祈りを聞き給え。我が前に立ちはだかり、非情の者が我が命を狙う。神を神と思わぬ者どもが」

 また踵の辺りで唸り声が聞こえた。後ろに向かって懸命に足を蹴ってみる。何も当たらない。叫び出したかった。いっそ気が狂ってしまえば、恐怖と焦燥から解放されるのではないだろうか。なんとか身をよじりながら先に進む。

「神よ、我らが主の父よ。その聖なる御名に、いやしくもお願い申し上げます。どうか、ご慈悲を。今、あなたの創造物を苦しめているあらゆる不浄の悪霊と闘う力を、どうぞこの僕に、主を通じてお与え下さい」

 カンテラの光がかげった。恐怖がパニックに変わる。四方を堅い岩壁に挟まれた闇の中で、悪魔とともに地中に閉じ込められる。なんとか落ち着きを取り戻そうとしてカンテラの火にそっと息を吹きかける。

 明かりが消えた。呼吸が次第に速くなる。祈るようにカンテラを叩いてみる。突然、カンテラの火が勢いよく燃え上がった。

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