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聖弾の祓魔師《エクソシスト》- 荒野の教会篇  作者: 伊藤 薫
第3章:破滅へのプレリュード
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[5]

 現地人の村落では、楽隊の一団が笛とドラムで出産の歌を奏でている。族長セビトゥアナの丸い小屋からロキリアの唸り声が聞こえていた。


 フェラシャデーは村の入口でいったん立ち止まった。ムティカからもらった薬瓶をシュロの葉に包んだ。小屋の外ではセビトゥアナをはじめ長老たちが輪になり、松明を掲げて心配そうに立っている。


 フェラシャデーがロキリアのいる小屋に入ろうとした時だった。セビトゥアナが少女の腕をがっちりと掴んだ。


「白人の家に行って来たな。お前は自分を汚した。お前が入ると、赤ん坊も汚れる。入ってはならん」


「家のそばを通り過ぎただけです。中には入ってません。産婆のティティから、もっと薬草を持ってくるよう言われたのです」


「見せろ」


 ロキリアが絶叫する。痛みを止める薬が必要なのに、夫がそれを許さないのだ。男に産みの苦しみが分かるわけがない。だが、族長に誰にも逆らえない。ドキドキしながら、フェラシャデーがシュロの葉を差し出そうとする。その時、新しい声が割って入った。


「そこにいたの!」


 ティティが小屋から顔を突き出している。


「さっさと薬草を持っておいで。さぁ!」


 セビトゥアナが声を上げる間もなく、フェラシャデーは小屋に逃げ込んだ。ほっと息をついた。たとえ族長といえども、出産の間は小屋の中に入ることは許されない。


 丸い小屋の中で小さな火が焚かれている。年配の女性が立っているロキリアの裸体を支えていた。フェラシャデーはシュロの葉を産婆のティティに渡し、ロキリアを支えている女性を手伝いにいった。


 ロキリアがまた叫んだ。その顔は激しい苦痛に歪み、張り出したお腹の筋肉が波打っている。フェラシャデーは唇を噛んだ。この叫びを聞くと全身の毛が逆立つようだった。耳を塞いで、この場から逃げ出したくなってしまう。そんな自分をフェラシャデーは心の中で叱りつけた。もう10回以上、ティティの手伝いをしてきたのだ。子どもを産む時はどんな女でも必ず叫ぶ。だが、ロキリアの叫びはちょっと違うように思える。その悲鳴で血が凍りそうになる。


 この間にティティは白人の医者からもらったモルヒネをコップに入れ、山羊のミルクを加えてロキリアの口元に持っていった。


「これがきっと効く」


 その時、セビトゥアナがコップを叩き落とした。薬はジューッと音を立てて火の中にこぼれてしまった。小屋の入口からセビトゥアナがティティを睨みつけている。痛みに苦しむ妻に眼もくれず、セビトゥアナはティティの手から薬瓶を奪い取った。


「白人の薬だ。わしの妻に毒を飲ませるな!」



 ギデオンは教会の屋根に立っていた。頭上には満月が輝き、辺りは本が読めそうなぐらいに明るい。クーベリックのスケッチを広げ、ギデオンはそこに描かれた二重の教会を見ながら、屋根を歩き回った。

 

 ギデオンは眉をひそめた。もしこれが何らかの比喩ではなく事実を描いた絵なら、かつてこの教会の上に第2の教会があり、屋根のどこかにその痕跡が残っているはずだった。しかし、そのような跡は全く見受けられない。


 デッサンを丸め、尻のポケットにしまった。ドームを覆っているカンバスをめくり、教会の深みを見下ろす。バックパックから2つのフックがついたロープの束を取り出してフックをドームの縁に固定し、ロープを教会の中に落とした。ギデオンはバックパックを背負い直し、慎重に縄はしごを降りはじめた。


 まるで月光の柱を降りていくようだ。やがて底に着き、ギデオンは固い大理石の床に降り立った。影の群れが威嚇するかのように、自分を取り巻いている。


 背筋がすっと寒くなる。真夜中に独りでここに来るなんて、全くバカとしか言いようがない。バックパックからカンテラを取り出し、ライターで火をつけた。また大天使ミカエルの像の上に、カラスが集まっていた。この前よりも数が増えている。獰猛な黄色い眼がギデオンに向かってゆっくりと瞬いている。


 石像の足元の床に何かがギデオンの眼を引いた。カンテラを下に向ける。胸の悪くなるような光景が浮かび上がった。何十羽ものカラスの死骸が散らばっていた。胴体はバラバラに裂かれ、肉は食いちぎられ、血や羽が絡まった内臓が辺りに散乱している。


 カンテラの光が揺れた。手が震えている。懸命に気を静めようとする。何も珍しいことはない。鶏でさえ同類を食べることがある。それに、カラスは決して夜中には飛ばない。襲われる危険はない。


 ギデオンは用心深く石像の間を通り、祭壇の台座に近づいた。石像にとまったカラスたちは身動きしたり、しわがれ声で鳴いたりしているが、そこから離れる気配はない。


 祭壇にカンテラを置いた。クーベリックのデッサンを再び広げた時、ギデオンは身震いした。無数のカラスの眼が鋭く自分に注がれている。根本を折られた十字架は相変わらず宙を浮き、上方を見つめる主の眼もじっとこちらを見ているようだ。


 ギデオンはデッサンを見つめた後、天井を見上げて教会と比較した。違和感を覚えた。デッサンには4体の天使像、逆さ吊りの十字架があり、その上に第2の教会が建っている。ギデオンはあることに気づいた。


 逆さなのだ。


 十字架は今では逆さに吊るされているが、元は上を向いて立っていた。デッサンを上下にひっくり返してみた。第2の教会は足許に建った。


 不思議と興奮を覚える。デッサンをバックパックにしまい、祭壇を入念に観察する。柔らかいカンテラの光でモザイクがきらめいている。8枚、10枚の翼を広げた天使たちが剣や槍、棍棒などを振りかざしている。普通ならニカイア教会のモザイクは美しく静謐な天使たちの情景が描かれるが、この天使たちは怒りをむき出しにしている。


 ふっと冷たい隙間風が顔をよぎった。ギデオンは火をつけたライターを祭壇の前でゆっくりと左右に動かす。やがて炎が大きく揺れ、ひらひらと躍る場所を見つけた。祭壇に指を這わせる。天辺のあたりにある継ぎ目を探り当てた。


 ギデオンはバックパックからハンマーとバールを取り出した。心の中で神への冒涜を非難する声が聞こえる。構わずバールを祭壇の継ぎ目にこじ入れてハンマーをバールの頭に当てる。それを数か所に行い、祭壇の蓋を力強く押した。

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