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聖弾の祓魔師《エクソシスト》- 荒野の教会篇  作者: 伊藤 薫
第3章:破滅へのプレリュード
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[4]

 月明かりの下、ギデオンの運転するジープは墓地のそばを通り過ぎた。不吉な予感に襲われる。白い十字架の群れが動き出しそうな雰囲気がただよっていた。ギデオンは邪念を払い、運転に集中した。夜の道は危険だったが、道端で夜を明かすのは御免だった。


 しばらくして、ようやく村はずれに着いた。夜気は乾燥していて暖かい。どこかでドラムを叩く音が聞こえてくる。小屋から現れた人影がジープのヘッドライトに手を振った。ギデオンはジープを寄せる。人影はムティカと10代ぐらいの少女だった。少女は薬瓶を持っている。ムティカがトゥルカナ語で何か言い、少女はうなづいて闇に姿を消した。


「車が運転できたんですか?」ムティカは言った。


「司祭になった頃、習ったんです。乗りますか?」


 ムティカはうなづいてからジープに乗り込んできた。


「村の人たちは?」


 ギデオンはジープを進めながら言った。


「族長のセビトゥアナに赤ん坊が生まれるんで、お祝いのために集まってるんです。ただ、どうも難産なようで奥さんのロキリアはかなり苦しんでるらしい。さっきの子はフェラシャデー、産婆さんの弟子です」


「へぇ」


「産婆のティティがドクターに薬をもらいによこしたんです」


「どうしてロキリアを病院に連れてこないんです?でなきゃ、ヘレーネがロキリアのところに行けばいい」


「セビトゥアナは西洋医学を信じてない。薬のことは内緒です」


 ギデオンはジープを病院の前に停めた。ギデオンが車を降りた後、ムティカはジープを運転して走り去った。ギデオンは病院に入った。


 病室にはランプが明るく灯り、辺りをこうこうと照らし出している。こんな夜中までヘレーネが働いているのを見て、ギデオンは驚いた。眼の周りに黒い隈が出来ている。ギデオンの足音を聞きつけたヘレーネが顔を上げた。


「帰ったのね」


「ジョセフの様子は?」


「変なの。見て」


 ジョセフはベッドで輾転反側していた。全身汗まみれだ。ギデオンはジョセフに屈み込んだ。首や肩に赤い発疹が広がっている。脳裏にモーガンの顔が浮かび、ギデオンは落ち着かない気持ちで毛布を元に戻した。


 ジョセフの眼がパッと開いた。ギデオンはそばに寄った。


「ジョセフ?」


 その眼は再び閉じてしまった。外ではドラムの音が続いている。ギデオンはヘレーネに向き直った。


「あなたは大丈夫ですか?」


「ちょっと疲れてるだけ。ジョセフはずっとこんな具合なの」


「この発疹は・・・事件のショックだけが原因とは思えないが」


「ここで話すのはよくないわ。こっちへ来て」


 ヘレーネはギデオンをランプの灯った病室の隅に連れて行った。空いているベッドに2人で腰掛ける。ヘレーネが不安そうに言った。


「発疹は完全に無症候性なの。まったく理屈に合わないの。もうそろそろ回復するはずなのに、血圧

が下がって熱が出てる」


「考えられることは?」


「いろいろ考えられるわ。でも、あの子の症状はどの病気にも当てはまらないの。私はただ見守ることしか出来ない」


 何秒か過ぎた。外でドラムが一定のリズムを刻んでいる。ギデオンはヘレーネの顔を見つめていることに気づいた。自分と同じヒスイ色の眼に。ポリトウスキから渡された儀典書がズボンのポケットにずしりと重い。


「明日は朝早くから、現場に行かなくては」


 ギデオンは沈黙を破るように言った。


「もう寝ます。あなたは大丈夫?」


 ヘレーネは疲れた笑顔を見せ、ベッドの端をたたいた。


「ちょっと待って、ギデオン。噛みついたりしないから」


 ギデオンは立ち去るつもりだったが、気が付くとヘレーネの隣に沈み込むように座っていた。腕にとまった蠅を手で振って追い払う。


「エヴァソはどうだった?クーベリックには・・・会えたの?」


「死んだんだ」


「え?どうして?」


 ヘレーネの顔から笑みが消えた。ギデオンは後悔した。


「自殺したんだ。ぼくの眼の前で」


「まぁ」


 ヘレーネは手を口に当てた。


「どういうことなの?まさか、そんな・・・何があったの?もう、私には誰にも助けられないんだわ・・・」


 ヘレーネの眼に涙が溢れる。ギデオンの胸は痛んだ。ハンカチを取り出してそっと涙を拭いてやる。ヘレーネがギデオンの胸にもたれた。ギデオンは少し驚いた後、それからおずおずと肩を抱いた。腕に触れる身体は温かい。黒髪が鼻先をくすぐる。


「ふふ・・だめねぇ」


 ヘレーネは笑った。


「私のほうがお姉さんなのに・・・でも、こうしてると落着くわ。慣れてるのね」


 ギデオンは震える声で言った。


「姉さんがいたんだ・・・名前はゾフィ。とても強い人だったけど、時どき1人で泣いてる時があった。そういう時は・・・ぼくがこうしていたんだ」


 ヘレーネの手がギデオンの顔に触れる。そこがゾクゾクと疼いた。心臓がドラムに合わせて鼓動を打っている。ギデオンはおずおずと身を乗り出した。


 ヘレーネが身体を寄せてキスをした。やわらかい唇だった。ギデオンはヘレーネの肩に当てた手に力をこめる。2人はいったん離れた。ヘレーネが微笑む。


 その時、ジョセフの点滴パックにふっと血が混じり始める。


 ギデオンはもう一度、身を乗り出した。2人はキスをかわす。ヘレーネの手がギデオンの胸や腹を撫でまわす。


 ジョセフのベッドの車輪がひとつ、ゆっくりと転がり始めた。かすかに軋む音がかろうじてギデオンの耳に届いた。車輪はもう一度、キーッと音を立てた。ギデオンはヘレーネから身体を離した。ジョセフのベッドが壁から動き出している。


「何だ?」


 ギデオンは腰を上げた。ヘレーネも一緒に立ち上がり、急いでベッドに駆けつける。点滴の瓶が血で真っ赤に染まっていた。


「どういうことなの?」


 ポリトウスキの言葉が脳裏に浮かぶ。


《クーベリックは悪魔に触れた》


「嘘だ」


 ギデオンは片手をジョセフの額に当ててみる。


 その途端、ジョセフの身体がベッドから跳ね上がった。ジョセフの全身が激しく痙攣し始めた。点滴の瓶が床に落ちて砕け、粉々になったガラスと赤黒い液体が床を流れた。ヘレーネがジョセフを押さえようとしたが、痙攣の勢いで押し退けられてしまった。


「押さえて!」


 ヘレーネが叫ぶ。途端に、痙攣が止んだ。ジョセフは絡まりあった寝具の上に、落ち着いた寝息を立てている。まるで、何ごとも無かったかのようだ。


「いったい何が起きてるの、ギデオン?」


 ヘレーネの声にはヒステリックな響きが混じった。


 ギデオンは口を固く結んだ。自分には答えがない。あるとすれば、あの教会しか考えられなかった。

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