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聖弾の祓魔師《エクソシスト》- 荒野の教会篇  作者: 伊藤 薫
第3章:破滅へのプレリュード
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[2]

 室内は墓場のように静まり返った。心臓の鼓動だけが耳に響いてくる。ギデオンは用心深く歩を進め、ぐちゃぐちゃになったクーベリックの首を見下ろした。切り裂かれた皮膚と肉がガラスの先からぶら下がり、その周囲に血だまりがテラテラと光っている。

 

 胃が激しくむかつき、ギデオンは嘔吐した。しばらくして落ち着いてくると、部屋の冷気がいつの間にか消えていた。拳銃を懐にしまい、ハンカチで口元を拭う。

 

 ギデオンは死体をよけて机に近づいた。隅にある据え付けのベッドの下は何枚ものスケッチが散らばっている。1枚の紙を手に取った。木炭で描かれた、遺跡の教会のスケッチだった。4体の大天使ミカエルの彫像は形のない塊のように描かれ、判別するのに少し時間がかかった。その背景に、逆さ吊りにされた十字架がより丁寧に描かれていた。


 奇妙なのは、教会の上に、さらに別の建物がのっていることだ。簡単なデッサンなのではっきりと分からないが、太古の寺院のように見える。内部では一群の人間がさまざまな性行為にふける様子が克明に描かれている。血なまぐさい場所にも関わらず、神学の徒としてのギデオンの頭脳が動き始めた。この絵が伝えようとしていることは明白だ。


 退廃と快楽が愛と信仰よりも上位に位置している。


 ギデオンは本能的にデッサンを床に戻そうとした。だが、何か思い当たることがあり、それを丸めて持ち帰ることにした。再び死体を避けて歩き、鍵のかかっているドアに手を伸ばす。


 ドアノブが手の中でくるりと回転した。驚いたギデオンは床の血と吐瀉物に足を滑らせ、背後の壁にドシンとぶつかった。黒い聖職服を着た中年の男が部屋に入ってきた。屈強な現地人のスタッフが2人、後に続いている。中年の聖職者は死体を見下ろし、スタッフに後始末を命じた。


「安らかに眠り給え」


 聖職者はギデオンに挨拶した。


「ポリトウスキ神父です。お待ちしておりました」


 午後の風が花々の香りを運び、椰子の葉が静かにそよいでいる。


 ギデオンとポリトウスキはサナトリウムの裏手にある小道を歩いていた。わずかな時間でも、狂気に囲まれて過ごした後では、戸外の新鮮な空気がことさらありがたく感じられる。


「なぜぼくが来ることをご存じだったんですか。ヘレーネから連絡があったのですか?」


「いや、教皇府からです」


 ギデオンは思わず立ち止まった。


「何ですって?なぜ、ぼくがデラチから来ることを教皇府が?」


「ローレンス神父、あなたは神の御許から遠ざかりすぎて、何も見えなくなってしまったんですか?教皇府から枢機卿が来て、クーベリックは悪魔に触れたと判断したんです」


「悪魔憑きですか?ポリトウスキ神父、失礼ですがぼくにはとても・・・」


 ギデオンは苦笑した。


「憑かれたとは言ってません。ただ、触れただけだと」


「触れた?それは一体、どういう意味です?」


「400年ほど前、マッサリアのヴェルサンにある修道院で悪魔憑きが異常発生しました。34人の修道女が悪魔に触れ、口に出来ないような行為にふけったんです」


「ええ、その話なら知ってます。フランク・ルーダンという不埒な色男が修道院長を誘惑して、大勢の修道女と一緒に乱交パーティーをやったという話ですね。山羊も登場したという話があるが、それは誇張でしょう。でも、修道女たちは別に悪魔に取り憑かれたわけじゃなく、ただ欲情して・・・いろいろ創意に富んだ作り話を書いて、鬱憤を晴らしていたのでしょう。一方、ルーダンは枢機卿の命令を拒んだ。枢機卿は地元の検察官に指令を出してルーダンを逮捕させた。悪魔と契約したという廉でね。教会はルーダンを拷問にかけ、罪を白状させようとした。ルーダンがそれでも無実を主張すると、火あぶりの刑に処した。要はセックスと政治だ。それ以上の何物でもない」


「当時の記録には、セックスと政治以上のことが記載されてます」


 ポリトウスキは反論した。


「ヴェルサンには当時、マルク・ジンメルという助祭がいました。ジンメル氏はこう記録しています。『尼僧たちはまるで首が折れたかのように、頭を自分の胸と背に、凄まじい勢いで打ちつけた。また腕を肩、肘、手首の関節で二重三重に捻じ曲げた』ほかにも、エビ反りになって頭を足につけ、その姿勢のまま、猛スピードで走ったとも書いてあります」


「その記録の真偽のほどは、証明されてません。そもそも、あの記録はジンメルの筆跡で書かれてない。どちらにしても、ジンメルには黒ミサをやってたという話があるから、教会に対して偏向があったのかもしれない。とても信頼できる証言とは言えません」


「悪魔祓いのために、4人の神父が派遣されました。そのうち3人は悪魔に取り憑かれ、命を落としました。最後の1人は悪魔との闘いによって気が狂ってしまった。クーベリックにも同じことが起こった。デラチでは悪が徘徊してるとも、枢機卿は言いました」


 ギデオンはポリトウスキの前で、声を上げて笑い出したい衝動にかられた。しかし、脳裏にいくつもの映像がよぎった。逆さ吊りにされた十字架。ジョセフを無視し、ルイスを貪り食ったハイエナたち。クーベリックの首を切り裂いたガラスの破片。凍るような部屋。ギデオンはじっと押し黙った。


「私はあなたの悪魔祓いに立ち会ったことがあるんですよ」


 ポリトウスキはギデオンの眼をじっと見ていた。


「・・・」


「3年前に。まぁ、そのときは助祭でしたが」


「仮に、クーベリックが悪魔に触れたとして・・・」


 ギデオンは低い声で言った。


「クーベリックはガラスで首を切って自殺してしまった。だとしたら、悪魔も・・・」


「悪魔も天使と同じように階級があるのは、ご存じでしょう。弱い悪魔は強い悪魔の奴隷のようなものです。死ねと言われれば、死ぬ。デラチの遺跡には、強大な悪魔がいるでしょう」


 ポリトウスキは懐から1冊の本を取り出し、ギデオンに手渡した。


「悪魔と闘うには、これが必要です」


 ギデオンは本を見た。悪魔祓いの儀典書。


「ぼくはもう神父ではありません」


「あなたは常に神父です」


 ポリトウスキはギデオンの肩をたたいた。


「ギデオン・・・聖ゲオルギーから取られたんですね。竜を倒した英雄。侵略者から民を解放した者」


「ぼくは民を殺したんです」


 ギデオンはその場から立ち去った。

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