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聖弾の祓魔師《エクソシスト》- 荒野の教会篇  作者: 伊藤 薫
第2章:影
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[6]

 日没の最後の光が消えた後、まばゆい宝石のような星を散りばめた夜空になった。村にひと気がなく、窓に明かりはほとんど無い。通りを寒風が吹き抜ける。木立が暗闇の中で揺れ、ざわざわと音を立てた。


 ヘレーネは病院の裏手にある小さな住居に暮らしていた。狭い簡素なキッチンで小さなテーブルの前に坐り、一束のタロットカードの中から3枚抜き出して並べる。最初は雷に打たれた塔の絵。2枚目は鎧を身に着けた白馬に乗った骸骨。3枚目は山羊の角と蝙蝠の翼を持った悪魔が裸で鎖につながれた男女の前で立ちふさがっている絵。


 塔。死。悪魔。


 ヘレーネは顔をしかめる。3枚のカードを束に戻してよく切った後、再び3枚をテーブルに並べた。並んだカードは最初と全く同じ。順番まで一緒だった。奇妙に思い、カードをじっと見つめる。


 突然、ドアをコンコンと叩く音がした。上体をびくりとさせ、ヘレーネは顔を上げる。戸口にギデオンが立っていた。


「こんばんは。ちょっとお時間ありますか」


 ヘレーネの顔に安堵が広がる。自然と笑顔がこぼれた。


「ええ。どうぞ」


 部屋に入ってきたギデオンを見るなり、ヘレーネは叫んだ。


「まぁ、どうしたの!その耳?シャツも・・・血まみれじゃない!」


「ちょっと事故があって・・・」


「はやく手当しなきゃ!さぁ坐って、すぐ戻るから」


 ヘレーネは急いで診察室に向かった。


 ギデオンは今までヘレーネが座っていた椅子に腰を下ろした。椅子にはヘレーネの温もりがまだ残っていた。そこに座ると妙に親密な感じがした。テーブルにタロットカードの束と、めくられた3枚のカードがのっている。塔。死。悪魔。ギデオンは並んだカードを束に戻してよく切った後、3枚抜き出して並べてみた。


 塔。死。悪魔。


 ギデオンは眉をひそめる。カードを元に戻そうとした時、ヘレーネが治療具のトレーを手に戻ってくる。


「まず、シャツを脱いで・・・手も切れてるじゃない?いったい何があったの?」


「今日はいろいろと、奇妙なことがあって・・・」


 ギデオンはシャツのボタンを外しながら言った。ヘレーネが治療を施している間、ギデオンは黙って座っていた。ヘレーネの手は柔らかく、身体からいい香りがする。包帯を巻く際に身を屈めた時、シャツの襟元がかすかに開き、胸のふくらみがちらりと見えた。ギデオンは頭にかっと血が上るのを感じ、思わず椅子の上で身動ぎした。


「痛かった?」


 ヘレーネは掌の包帯を止めながら言った。


「いや、大丈夫です」


「あとが残ってしまうわ。すぐ来れば良かったのに」


「ちょっと忙しくて・・・」


 シャツの袖に腕を通しながらギデオンは言い、話題を変えようとテーブルの上を指し示した。


「タロットカードですね?オカルトが趣味だとは思わなかった」


 ヘレーネは照れたように笑った。トレーを脇に押しやってギデオンの向かいに腰を下ろした。


「ここで見つけたの。結構、いいヒマつぶしになるのよ。カードの意味、知ってる?」


 ギデオンは首を横に振った。


「神学校では教わらなかった」


「カードは左から右に順に過去、現在、未来を表してるの。塔は破壊。すなわち完全な破滅という意味よ。後には何も続かない。それが過去ね。死は変容。つまり、ひとつの場所や形から別の場所、形への変化。それが今、起こってること。悪魔は誘惑。特に肉体の誘惑で、それが未来」


「ところで、あなたはクーベリックも治療したんですか?」


 ギデオンの声は思ったより大きく響いた。


「治療したかったけど、何もできなかったわ」ヘレーネは言った。「身体には何の異状も無かったの。病気や感染症の兆候は全く見られなかったし。あれは完全な精神疾患。それもかなり重度の」


「かなりって?」


「ここで2日ほど入院してたんだけど、2日目の終わりに口から泡ふいて暴れたのよ。ムティカとオラトゥンジに押さえつけもらわなきゃならなかったくらいにね」


「それで、ここの人たちは教会が呪われてると思ってるのかな?」


「それと行方不明者のせいね」


 ギデオンは思わず顔を上げた。


「行方不明者?」


「聞いてないの?」


「どうやら誰も、ぼくには何にも教えてくれないらしい」


 ヘレーネが微笑む。片えくぼができた。


「発掘が始まってからこの数週間に、10人あまりの人間が消えてるのよ。オラトゥンジの奥さんもそう」


「消えたって、どこかに失踪したとか?」


「それとも悪魔にさらわれた?」


 ヘレーネは小さく笑い声を上げた。ギデオンの耳にどこかわざとしらく響いた。それでも不愉快ではなかった。ヘレーネと一緒にいるだけで、いい気分になれる。ヘレーネの裸の腕はテーブルの上に置かれている。ギデオンの眼は入れ墨をとらえた。ヘレーネがそれに気づき、ギデオンは顔を赤らめた。


「すいません、失礼を・・・」


「興味を持って当然よ」


 ヘレーネは指を腕の入れ墨に滑らせた。


「私の父は強い人でした。アメンドラの連中が反対派の一斉検挙を始めた時、父は躊躇せず反対派の人たちを屋根裏にかくまったの。でも誰かの密告で私たちは捕まり、強制収容所へ送られたの。後は知っての通り」


「誰にも理解できないでしょう。つまり、実際に経験した人でなければ」


「そうね、私の夫はその1人だった。私たちは心から愛し合ってた。ある晩、私は夫に真実を伝えなければと思ったの。アメンドラのこと・・・連中が私に何をしたかを」


 ヘレーネは言葉に詰まった。咳払いをする。


「大間違いだった・・・夫はその後、私に指1本ふれなくなったわ」


 ヘレーネの顔が苦痛に歪んだ。ギデオンは思い切って手を伸ばし、ヘレーネの手の甲に触れた。冷たい手だった。ヘレーネはギデオンの眼を見つめ、声をひそめて言った。


「人は命がかかってると、何でも出来るものね。苦痛に耐えたり・・・」


 ギデオンはうなづいた。


「それで、アファルへ?」


「たぶん、ここに引き寄せられたのね。ここの人たちを助けるために。トラブルがあるからと言って、諦めないわ」


 ヘレーネは椅子の上で姿勢を正した。手がギデオンから離れた。


「で、神父さんはどうして、考古学者になったのかしら?」


「最初は考古学者だったんです」


 ヘレーネが微笑む。


「答えになってないわ」


 ギデオンはその率直さにたじろいだ。ヘレーネの好奇心を全て満たしてあげたいという衝動にもかられ、我ながら驚いた。ヘレーネが自分の話に耳を傾け、自分という存在に注目してくれることが嬉しかった。


「実体のある仕事がしたかったんです。自分の手で直接、触れることのできるものを相手にしたかった」


「戻りたいと思う?神父に」


 ヘレーネの単刀直入な問いにギデオンは驚いた。苦痛を見せまいとして顔をそむけた。


「戻りたいと思っても・・・意味のないことです」


「時どき神の姿がいちばんよく見える場所は、地獄だと思うことがあるの」


 ギデオンはその言葉を反芻しつつ、じっと自分の膝を見つめた。しばらくして椅子から立ち上がった。


「もう休まなくては」


 ギデオンは立ち去り際に振り返った。


「明日の朝、クーベリックに会いにエヴァソへ行きます」


 ヘレーネは驚いた様子だった。


「何のために?」


「現場のことで。教えてもらうべきことがありそうなので」


「あまり期待しない方がいいわ。ムティカがトラックに乗せた時には、よだれを垂らしてたわ」


「とにかく会うだけ会ってみます」


「それなら、まずポリトウスキ神父を訪ねるといいわ。サナトリウムの院長よ」


「分かりました。それから、手当てをありがとう」


「治療代、忘れないでね」


 ヘレーネは笑った。また頬にえくぼが出来る。ギデオンは思わず笑い返した。


「おやすみ、ドクター」


「おやすみなさい」

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