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聖弾の祓魔師《エクソシスト》- 荒野の教会篇  作者: 伊藤 薫
第2章:影
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[1]

規則的な仕事は女を疲れさせ、男を破滅させる。 モンヴァサの諺

〈エメリア領東アファル・遺跡発掘現場〉


 3日後の夕方のことだった。現地の作業員が教会の壁をぐるりと取り囲み、熱心に発掘作業を進めていた。ギデオンはこれまでモーガンが作業員に支払っていた賃金の低さに呆れ果て、すぐに賃金アップを命じた。モーガンの落胆をよそに、現場は活気に満ちていた。


 ギデオンはまだ暗いうちにホテルのベッドを出て、夜明け前から現場に入り、作業に取り組んでいた。仕事のリズムはすぐに取り戻し、経験によって培われた自信を持って、ムティカや作業員を楽々と仕切っている。アンはアシスタントとして、細かい仕事を担当させた。


 教会の発掘は想定していたよりも容易だった。砂まじりの土は柔らかく、シャベルやこてを当てるだけであっけなく崩れる。これほど長い間、遺跡が埋まっていたこと自体、奇跡だった。壕はすでに教会の周りをぐるりと取り巻き、場所によっては2メートルほどの深さと幅に掘られている。


 カテドラルの常として、建物は東を向いて十字架の形に建っていた。十字架の縦軸に当たる身廊は幅がちょうど22・5メートル、長さは33メートル。南北に伸びている翼廊、すなわち十字架の横軸はドームの下で十字が交差する部分を除いて、幅10メートル。


 ドームを眼にするギデオンの心は騒いだ。これほど謎に満ちた教会は他にない。その答えはすべて教会の内部にある。今の段階で教会に入ることは考古学的な常識から言ってあまりに性急だったが、ギデオンはそれがどうしたと言う気になっていた。


 壕の中で外壁の写真を撮っていたギデオンは壕のふちに手をかけ、よじ登って外に出ようとした。その時、ムティカの大きな手がギデオンの手首をがっちりと掴み、引き揚げてくれた。


「ハシゴがいりますね。スロープをつけてもいいかもしれない」ムティカは言った。


 ギデオンが服についた埃をはたきながら答えた。


「それがいいな。モーガンはどこです?教会に入る準備を・・・」


 突然、けたたましい笑い声が空気を切り裂いた。ギデオンは慌てて周囲を見回した。岩の覆われた丘が連なっているだけだ。再び笑い声がこだました。今度はもっと近い。血の凍りつくような声だ。ギデオンは不安そうに尋ねた。


「ハイエナかな?」


 ムティカはうなづいた。


「発掘を始めて以来、しょっちゅう脅しに来るんです」


「昼間でも?」


「はい。狩りが得意な従弟の話だと、ここ2か月ぐらいでハイエナの数が急に増えてるらしくて。その従弟はいつも話が大げさなんですが、この話は本当らしいです」

 

その時、2人からさほど離れていない場所で土を運んでいた作業員が突然、身をよじりながら地面に倒れた。ギデオンとムティカが急いで駆けつける。男は白目を剥き、身体を痙攣させていた。何やら意味不明の言葉をわめている。


 ギデオンの影が身体をよぎった瞬間、恐ろしい悲鳴を上げる。その場から後ずさりしようとした。


「ワイ・エキベ・ニキアル!エキベ・ワイ・キミエキナエ!」


「あなたが悪魔に見えるらしい」


 ムティカは男のそばに膝をついた。


「助けてくれと言ってます」


 ギデオンは身をかがめ、男の額に手をやった。かなり熱があるようだ。


「ぼくは悪魔じゃない。心配するな」


 ギデオンはやさしく言った。ムティカが通訳した。男はさらに身もだえした。立ち上がろうとして足がもつれ、苦しげにうめいて地面に倒れ込んでしまう。ムティカは男の身体を支え、頭を腕に抱いてやさしく揺すった。


 周囲にはすでに野次馬が集まり始めている。ムティカがトゥルカナ語で穏やかな口調で何か言った。おそらくみんなを安心させようとしているのだろう。アンが不安そうな顔でやって来た。


「医者を呼んできて下さい。幻覚症状みたいだ」ギデオンは言った。


「もう呼びました。今朝、足を捻挫した作業員がいたので、ちょうどノイマン医師が来ていたんです」


 2人の作業員が倒れた男を抱え上げる。ギデオンとムティカの後について壕のそばに張られたテントに運んだ。ギデオンはその1つをくぐり、コップと水入れ袋を手に取った。


2人の作業員はテーブルのそばに男を降ろした。ギデオンはコップに水を注ぎ、ムティカに手渡した。ムティカが男の口にコップを当てる。最初は抵抗していたが、やがてゴクゴクと水を飲み始めた。


「あまり一度にたくさん飲ませないほうがいい」


「ええ、前にも同じことがありました」


 ギデオンは帽子を取って周囲を見渡した。照りつける太陽の下で、男たちがシャベルやこてをふるっている。熱い砂埃と乾いた土の匂いに満ち、砂があらゆる隙間から入り込み、肌をチクチクと刺してくる。気候が異常なのか。これほどの暑さはギデオンも今まで経験したことがなかった。


「午後はしばらく休みにしよう。夕方、再開する」


「あるいは、作業時間を短くするかです」


 ムティカの声に非難の響きがあった。ヘレーネが別のテントから茶色のカバンを持って現れた。


「どうしました?」


 ヘレーネは男のそばにかがみこみ、カバンから聴診器を取り出した。ムティカが状況を説明する。ギデオンは少し離れた場所で働いている作業員たちに眼をやった。


 現地人たちは怒りのこもった、硬い表情でこちらを見ている。今に自分を八つ裂きにしかねないような険悪さだ。ギデオンは眼をそらそうとしたが、できなかった。野生の獣はこちらが眼をそらすまで襲ってこないという。奴らは襲ってくるのか。


 背中に冷たい汗が流れた。ギデオンは無意識に後ずさりし、その拍子にムティカの足の甲を踏んでしまった。よろめいて眼をそらした瞬間、ふっと何かが解けた。なんだ、雑談しているだけじゃないか。襲ってくるだなんて、どうかしてる。


「みんな、エメリア人のせいだと言ってます」ムティカが言った。


「というと?」


「教会を掘り起こしたせいだ。教会は呪われているって」


 ギデオンは遺跡に眼をやる。ドームの上に何かが立っている。まぶしい日差しに眼を凝らす。ハイエナか。刹那、その影は消えていた。ギデオンは指で眉間を軽く揉んだ。どうやら自分にも幻覚症状が起こっているようだ。


「ぼくはちょっとその辺をひと回りしてくる。みんなは・・・休憩させてやってくれ」

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