1.9 森に残るもの
左之助と偽奴隷の戦いを見ていたスキンヘッドの男はさらなる恐怖に包まれた。
自分がさきほどまで一緒にいた奴隷と思った男は謎の男で、
突然現れた目の前の男は理解できない強さを見せて、再び自分に近づいてきている。
「あの男、縛らないのか?」
訳が分からない状態で、スキンヘッドの男は変な質問をしてしまった。
「ん?……いつでも殺せると言っただろう?」
しかし、左之助の思わぬ答えに、男が恐怖に塗りつぶされる。
「『いつでも殺せる』にお前も入っているんだよ。わかれよ。コロスゾ?」
その言葉を発した左之助の目はとても冷たく、
男の恐怖は最高潮に達し、そのまま気絶した。
そんな男の姿に大きくため息をつくと、左之助は簡単に手で印を組み
「追跡印」とつぶやくと印を解いて両手を広げた。
すると、広げた両手からビー玉くらいの光の玉が飛び出し、
そこにいる全員にすごいスピードでぶつかって消えた。
「よし!これで逃げられても追跡できるからとりあえず放置して……」
周りを見ると、ウプは馬車の荷台に体を半分入れて中をのぞいている。
そのため、左之助もウプに近づき、一緒に荷馬車の中をのぞいてみた。
すると、頑丈そうな鉄格子の箱の中に、血だらけで丸くなっているシルバーウルフがいた。
ウプに比べると一回りは大きいようだ。
(あっ!このシルバーウルフを連れて行けば、王への良い報告になるな)
そう思った左之助は荷台に乗り込むと、シルバーウルフの入る箱に近づいた。
「あら、どなたですか?」
丸くなるシルバーウルフの鉄格子の奥、
荷馬車の一番奥にも鉄格子で作った大きな牢屋があり、
そこにいた人間がこちらに話しかけてきた。
「申し訳ありません。ここから出していただくことはできますか?」
薄暗い馬車の中。左之助はじっと声のする方を注視する。
すると、そこには薄い光の中だけでもきらりと光る金髪に長い耳。
白いローブを着た美しい女が牢屋の中で箱に座ってこちらを見ていた。
その顔は穏やかで微笑んでいる
「自分はただの旅人です。用事はシルバーウルフだけなんで、すみません。
責任取れないんで」
微笑む美女に、左之助は顔色一つ変えることなくお断りした。
「そうですか。では、この牢屋だけでも開けてもらえません?」
左之助の返事に女も顔色一つ変えず、再び問いかけると、左之助は牢を眺める。
「報酬はありますか?」
「そうですね……ここをでもあなたを殺さないと約束するのはどうですか?」
殺さないという言葉を微笑んで左之助に投げる女。
「交渉決裂です」
左之助は女から目を離し、
シルバーウルフが入っている鉄格子の箱をつかむと、あっさり鉄格子を引きちぎった。
それを見ていたウプは興奮し、「ォン!」と鳴いて尻尾を振っている。
左之助はすぐに傷ついて動かないシルバーウルフを持ち上げた。
(……息はあるみたいだな)
持ち上げたシルバーウルフの胸が動いているのを感じる。
「すみません。同じようにこの牢の鉄格子を壊していただけません?」
「ですから、報酬は?」
女の方を見ることなく、女の言葉に返事をする。
「では、あなたを殺さずにエルフの国までの案内役とします。これは大変な名誉ですよ?」
「エルフの国なるものには用事ないので、残念です」
左之助はシルバーウルフを抱え、女に背を向けた。
「お待ちください。その狼は大変な傷を負っています。どうでしょう。私、治癒魔法は得意なのでその狼を癒して差し上げます。この牢を開けていただけますか?」
左之助は抱えたシルバーウルフを見る。
息はしているが確かに反応は弱弱しい。
できれば早く治療してあげたい。
「交渉成立です。ちょっと待っててください」
左之助はそれだけを伝え、シルバーウルフを手にしたまま荷馬車を降り、
ウプの前にシルバーウルフを置くと、ウプは一生懸命その狼をなめ始めた。
それを見た左之助は再び荷馬車に戻り、女の入る牢の前に立った。
そうして、先ほど同様に女の入る牢の鉄格子をあっさりとこじ開けた。
「ありがとうございます」
女はゆっくりと箱から立ち上がると、こじ開けた鉄格子から牢をでた。
それから左之助は女より先に荷馬車を出ると女を待ち、女が荷馬車から出ようとするとき、
そっと手を差し伸べ、女は何も言わず左之助を手に取ってゆっくりと荷馬車を降りた。
「女性へのマナーをご存知なのですね。旅の方では珍しい」
「そうですか……とりあえず、報酬をもらってもいいですか?」
それを聞いた女はうなずくと、近くに横たわるシルバーウルフとウプに近寄ると手をかざした。
「エクストラヒール」
シルバーウルフとウプが緑色の光に包まれ、
ウプになめられても何の反応もしていなかったシルバーウルフが目を開け、
元気よく立ち上がった。
「ウーォーン!」
立ち上がったシルバーウルフは大きく鳴くと、
完全に回復したようで、女の匂いを嗅いだ後、ウプと臭いをかぎ合っている。
「さて、これで報酬はお支払いしました。それでは、エルフの国までお願いします」
左之助は黙った。何を言ってるんだという言葉も飲み込む。
正直、気絶させて森に捨て置こうかとすら思う。
そして、思わずため息が出た。
「その話はあとにして、とりあえずここから離れますか」
女は馬車の周りで倒れて動かない男たちに目をやって口を開けた。
「あら?ここの者たちはこのまま捨ていくのですか?」
「そうなりますかね」
「……そうですか」
作り物のような笑顔になった女は、左之助に微笑むと、
先ほど左之助に地面に叩きつけらた偽奴隷に向かって手を向けた。
「素は闇の精霊の残滓、汚れた血の顕現、ブラッドランス」
すると、地面に倒れていた偽奴隷の身体に何本もの真っ赤な槍が刺さった。
「その者は、私を偉そうに監視しておりました。そんな不敬は放置できません」
そういって振り向いた女の顔は張り付いたような笑顔のままだった。
いま、人を一人殺したことに対して何の後悔も見られない。
「……そうですか」
左之助はあきれながら、もうこの場に居ても良いことはないと思い、
ウプとシルバーウルフを連れてはやくこの場を離れようとしたが、時すでに遅かった。
回復したシルバーウルフが、地面に倒れた男たちを襲い始め、
動かない男たちの喉元に牙を突き立て、辺りは男たちの血が飛び散り、
血だまりを作っている。
シルバーウルフの攻撃はたった噛みつき一回。
それだけで人間の頭は砕かれ、大の男一人が木の枝のように投げ捨てられ、宙を飛ぶ。
シルバーウルフの戦闘力と危険性をまざまざと見せつけた。
ただ、シルバーウルフが最後に生き残ったスキンヘッドの男に咬みつこうとしたとき、
左之助はシルバーウルフの頭を押さえ、地面に押し付けて制した。
「怒っているのはわかったから、落ち着け。頼むよ」
左之助に抑えつけら、最初は抵抗していたシルバーウルフだが、
押さえつけられてまったく動けないことがわかると静かになった。
そうしてウプが近づいてきてシルバーウルフの顔をなめはじめるとだいぶ落ち着いたようで、
左之助はシルバーウルフを解放する。
その時、目を覚ましたスキンヘッドの男と左之助は目が合った。
その体はガタガタと震え、その目にはまだ自分が悪夢の中にいるのことに絶望が浮かんでいた。
「とりあえず、あんたはここでは死なないようだけど」
左之助は立ちあがりながら男に話しかけるが、
スキンヘッドの男は歯を鳴らして言葉がでないようだった。
「俺たちはここで消えるから、とにかくあなたは帰れるよ。帰りに何かに襲われなければ」
「俺は!このまま帰ればあの商人に殺される!何なんだ!!何なんだお前は!」
恐怖に打ち勝ち、男は絞り出すように左之助に向かって叫んだ。
そんな男の前に立つと、左之助はしゃがんで男の目を見る。
「誰にでも不運は訪れるし、死ぬ時は来る。
お前は森で何かに襲われ、奪われた。お前たちが獣にそうしていたようにだ。
相手が誰かは関係ない。ただのよくある話だろ?」
そう言われてからすぐに、スキンヘッドの男の前から悪夢は去った。
そして、血の池と転がる仲間の死体という悪夢の残骸と、男だけがそこに残された。
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