聖女、王都の掃除をする 4
誰が最初に私をマザーと呼んだのか。今になって考える事がある。
財産目当てで資産家の夫と結婚したものの、退屈な毎日にうんざり。
悪い人じゃなかった。
欲しいものは何でも買ってくれる。ただし、外出は禁止された。
家の中にいるだけで、すべて使用人が世話をしてくれる。
言う通りにすれば、不自由などさせない。それが夫の口癖だった。
自由という名の不自由、そんな憤りが募る。
ある日、私は夫を殺した。旅に出たいと思ったからだ。
その為にはお金がいる。夫の有り余る財産を処分すれば大金が手に入る。
顔に枕を押し当て続けるだけの簡単な作業だった。
元々、心臓が弱かった夫なものだから誰も疑問視しない。
捜査も驚くほど、簡単に打ち切られた。どこかで恨みを買っていたかもしれない。
はたまた、よい妻を演じていたおかげか。
力の限り泣き喚けば、周囲も同情してくれた。
何日も引きこもって見せた。
皆が優しくしてくれる。
私にはそうされる才能があると思った。
当初の予定通り、私は旅立つ。
護衛の冒険者に笑顔を絶やさず、すべてにおいて尽くした。
依頼の報酬をほとんど受け取らずに、冒険者は満足して去る。
孤児がいれば勉強を教えてやった。
気がつけば、辿りついた街の誰もが私を賞賛する。
私が優しくするだけで、皆が喜ぶ。本当に快感だった。
大金にものをいわせて学校や孤児院を建ててやった。
世の為、人の為と謙遜すれば効果は倍増どころではない。
勝手に人が寄ってきて、我も我もと協力してくれる。
私は無意識のうちに救済を必要としている人達を捜すようになった。
どこへ行けば褒められるのか。
国内の各地を放浪しているうちに、私の名が広まったようだった。
そう、この頃から私はマザーと呼ばれるようになったのだ。
だけど人は慣れる生き物。もっと褒められたい。
いや、そうではないと気づく。
私が何かをしてやれば、されたほうが感謝を強要される。
私が彼らを支配しているのだ。
私が彼らをコントロールしているのだ。
何とも言い表せない快感だった。
もっと、もっと支配したい。その為には金がいる。
もっと善意で殴りたい。
夫が私に優しくした理由がわかった。
一人の女を支配下に置きたいだけだったのだ。
何の事はない。善意、優しさなどというのは単なる承認欲求でしかない。
歴史に名を残した聖人と呼ばれる者達も、きっと承認欲求の怪物だったのだろう。
今、私は真夜中の廃墟にいる。
金持ちの強欲ジジイと取引をして更なる金を得る為だ。
さぁこい。護衛でも何でも連れて、ここへ来い。
「こんばんは」
背後から声をかけてきたのは女だ。
女がこんな廃墟に何をしに来た。
邪魔だが一度、冷静になるしかない。
「おやおや、よかった……。すみません、道に迷ってしまって……」
「そうなんですか。大変ですね、ご案内しましょうか?」
「歳のせいか、どこを歩いているかもわからなくなってねぇ」
私をマザーと知る者かどうかはわからない。
呆けババアを演じれば、どうせこいつもすぐに優しくする。
そうなれば私の支配下だ。
「どちらへ案内すればいいでしょう?」
「どっちかねぇ……」
「困りましたね。本当にわからないんですか?」
「そうよ、そうなのよ……」
時間を稼げ。
もうすぐ、あのジジイがやってくる。
私達にとって、この女は共通して邪魔なはず。
つまり二人で協力して殺せばいい。
「本当に迷ったんですか?」
「そうなのよぉ……」
まだか。遅すぎる。
金が絡めばこの上なく正確に行動するジジイのくせに。
「迷ったんですね……」
「そうだって言ってるじゃないかぁ……」
「人としての道がどこかわからなくなるほどに迷ったんですよね」
こいつ、何だ。何を言ってる。
何か言わなければ。何か、何かを。
「あ、あー……。なんだって?」
「司祭……いえ、マザー・グレース。ルイワード侯爵はここには来ませんよ」
「あ、あぁ?」
こいつ、やっぱり最初から。
私を知っているどころか、取引相手であるジジイの名前まで。
あのボケジジイ、まさかしくじったのか。
「お久しぶりです、マザー・グレース。暗がりの中、恐縮ですがソアリスです」
「ソアリス……あのソアリスかい?」
「はい、驚かれるのも無理は……」
「フ、フフ……」
そうか、そうかい。
このババア、危うく心臓発作を起こすところだった。いや、少し大袈裟か。
封印されたはずの聖女がここにいる。誰だって仰天するさ。
だけどね、これでも伊達に長く生きてないんだ。
むしろ、あの聖女をあの程度の魔導具で完全に封じ込められるわけがない。
何より私はよーく覚えているよ。何せ私はね。
「ソアリス、あんたをこの手で殺したくてしょうがなかった」
「私はあなたを尊敬していました」
「私はあんたが嫌いでしょうがなかった」
「ショックです」
何がショックなものか。こっちのセリフだ。
つまるところ、こいつも承認欲求の怪物でしかない。
問題なのは私以上にその刺激を得ているところだ。
だから私は考えた。
この小娘に優しくすれば支配できる。
聖女とマザー、志を同じとすれば自然となつく。
思惑通りだった。現に今、こいつは目を伏せている。
「大人しく私に支配されていれば、傷つかずに済んだものを……」
「マザー、少しお話をしましょう」
「あ?」
なんでここで笑える?
こいつの笑顔は憎たらしい。
そうか、この私を支配しようとしてやがるのか。
この私で欲求を満たそうとしてやがる。
私の半分も生きてないクソガキが。上等だ。
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