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第三十八話 ちょっとだけ

 ナツがこれ以上食べられないと判断したトモの祖母は「ちょっと横になっていなさい」とナツを畳の上で横にしてくれた。

 お行儀悪く座布団を二つ折りにして枕にし、そこに頭を乗せると、トモの祖母がよしよしと頭をなでてくれた。

 母がしてくれていた感覚を思い出し、懐かしくてうれしくてまた涙が出た。

「何かかけるものを持ってこようね」とトモの祖母が出て行ったのと入れ替わりに、ヒロの父――隆弘がナツの側に来て座った。


「なっちゃん。無事でよかったな」

 トモの祖母よりも乱暴に頭をなでられる。



 ナツは隆弘とは数えるほどしか会ったことがない。

 ハルとヒロと三人で遊んだ小さな頃に数回会っただけだ。

 ハルの父である晴臣とはけっこう会っているが、隆弘とはここ数年会っていない。

 なんだろうと思っているのが伝わったのだろう。

 にこりと笑って、ないしょ話をするように顔を近づけてきた。


「なっちゃん。なっちゃんに、オレのこと教えてあげる」

 ヒロにも話してないことだよ。と言われ、戸惑う。


 何で自分に?

 何を言う気?


 よくわからないが話を聞こうと起き上がろうとしたが、隆弘に止められる。

 押されるままにまたごろんと横たわり、座る隆弘を見上げる。

 隆弘はまるで猫でもなでるようにナツの頭をゆっくりなでながら口を開いた。

 ちいさな、ちいさな声だった。



「オレね。今の君くらいの年齢(とし)に、家族みんな亡くしてるの」



 突然の告白に目をみはる。

 隆弘は何でもないことのように穏やかな顔のままだ。



「昔、大きい地震があったの、知ってる?」

 問われ、うなずく。


 今でも毎年その日になると慰霊の特番が組まれている。

 若いナツでも知っていた。

 隆弘は目を細めて微笑む。

 さわり、さわりとナツをなでながら、ささやくように静かに続ける。



「気がついたら、もう何もかも失ってた。親も、兄弟も、友達も、みんな」


 ナツの顔がこわばる。

 起き上がろうと力を入れたら、なでている隆弘の手に難なく押し返され、座布団に頭が沈む。



「オレだけ、たまたまベッドとタンスの間の隙間に入っててたすかった。

 オレだけ、生き残ったんだ」


 隆弘はそっと目を閉じ、つぶやいた。

 当時を思い出すように。


「何で? て、何度も思った。

 何でオレだけ? 何で皆は死なないといけなかったんだ?

 何で? 何で? て、いつも苦しかった」



 その、絶望。


 ナツにはわかった。

 痛いほどよくわかった。

 胸が苦しい。つらい。隆弘の穏やかな声が、痛々しさを増させた。


「一人はつらくてなぁ。

 皆に会いたいって。

 オレも早く皆のところに行きたいって、そればっかり考えるようになった」



 自分と同じだ。


 眉が寄ったのがわかったのだろう。

 隆弘はにこりと笑うと、頭をなでるのをやめてナツの眉間のしわを伸ばしはじめた。

 そのままマッサージをするように、眉を、額をなでていく。



「そしたら。

 その頃世話になってた人に、言われたんだ。

『お前は世界のことをどれだけ知っている?』って。


 世界なんて知るかよって思った。

 オレの世界は壊れたのに、のうのうと続いている世界なんて、知ったこっちゃないって。


 だって、そうだろう?

 オレの家族や友達は皆死んだのに。

 オレはこんなに苦しいのに。

 毎日朝がきてメシくって、夜になって寝てって、世界はオレらのことなんか関係なく廻ってるんだ。

 ムカつくじゃないか」


 ムカつくと言いながら隆弘は笑顔のままだ。



 ナツにはその気持ちがよくわかった。

 自分も同じことを考えていた。


 まだ小さかったナツにはその気持ちを言語化することはできなかったけれど、今隆弘が言語化してくれた。

 そうそう! そうなんだよ! と、すとんと腑に落ちた。


 うんうんと真顔でうなずくと、隆弘がわかっているよというように頭をなでた。



「でも、そのおっちゃんか言うんだよ。

 『壊れたならまた作ればいい』って。

 はぁぁ? だよ。

 死んだ人間は戻らないって、幼稚園児だってしってることだ。

 なのに、おっちゃんけろっとして言いやがるんだ。

『全く同じである必要があるのか?』

『ちがう形になっても、また作ればいい』って。


 わけわかんなかったよ。

 わけわかんねーって言ったら、そりゃ世間知らずだからだって言いやがる。

 で、世界見てこいって外国に放り出された。

 いや、ホームステイしながら留学て形だったけどな。


 高校卒業までその家で世話になって、そのあと2年間、色んな国を転々とした。

 色んな国には、色んな人間がいた。

 それぞれに事情があって、それぞれに大切な人がいた。

 国が違っても、人種が違っても、おんなじだった。

 うれしいも、悲しいもあった。

 楽しいも、苦しいもあった。

 そうしているうちに、日本に戻って、友達ができた。

 かわいい奥さんと、子供ができた。

 あの時失ったものが、形を変えてできたんだ」



 その笑顔は幸せそうで。

 自分と同じ苦しみを経験をしてきた人がそんな顔で笑っていることに、ナツは何だかこわばっていた心がゆるむのを感じた。

 そう感じて、初めて自分の心がこわばっていたと気付いた。



「…いいのかな」


 ぽつりと言葉がこぼれた。

 声に出して、そんな言葉をこぼした自分に驚いた。



 自分は母を失ったのに。

 母に会いたくてたまらないのに。

 苦しくて苦しくてつらいのに。


 この人みたいにおだやかに笑えたらと、あの時から初めて思った。


 隆弘はナツの頭をなでながら「いいよ」とだけ言った。

 言いたいことは全て見透かされているとわかった。



「さっきサト先生もおっしゃってたろ?

『なっちゃんのお母さんはなっちゃんの中にいる』って。

 オレも、そう感じるときがあるよ。


 朝鏡を見たとき。

 公園で遊んでいる子供を見たとき。

 何気ない街の中。

 普段は気付かないけれど、ふっと感じるんだよ。

 あぁ、ああだったなぁ。こうだったなぁ。って。

 生きてたら今頃こうだったのかなぁ。って」



 そうやってこの人は抱えている苦しみを自分のものにしていったのだろう。

 そして今でも失った人達に話しかけているのだろう。



「なあなっちゃん」

 どこか遠くを見ていた隆弘は、再びナツの目をのぞきこんできた。


「人間、どんなに死にたくなくたって、いつかは死んでしまうんだ。

 それなら、急いで今死ななくてもいいじゃないか。

 ちょっとだけ、寄り道するようなもんさ」


「…ちょっとだけ?」

「そう。ちょっとだけ」


 親指と人差し指を近づけて「ちょっと」と仕草で示し、にひひっと笑う。


「ちょっとだけなら、先にいった人だって、待っててくれるかもしれないだろう?」



 そうだろうか。

 そうかもしれない。

 隆弘はさらに言った。



「生きるってことは、大事な人に会うまでの、ちょっとだけの寄り道さ」


 ちょっとだけ。それなら、いいのだろうか。

 隆弘のいたずらっ子のような笑顔を見ていると、それも悪くないと感じた。



「――ちなみに、『ちょっと』ってどのくらい?」

「んー…。オレの場合、今四十四だから……あと五十年くらい?」

「それってちょっとなの?」


 あきれてナツが言う。

 起き上がろうとすると、今度は押さえられなかった。

 そのまま起き上がり、隆弘の横に並んで座る。


 隆弘は大袈裟に目をむいて言った。もう普通の声量だった。

「ちょっとだろ?! 京都千二百年の歴史から見たら一瞬だよ!

 地球四十六億年の歴史から見たら(またた)きですらないよ!」


 大真面目に言う隆弘に、思わずぷはっと笑ってしまう。

 こんな風に笑ったのなんて、いつぶりだろう。

 こんな風に笑える日が来るなんて、考えたこともなかった。


「なっちゃんはあと九十年な」

「それ、百歳()えるんだけど」

「いいじゃないか。なっちゃん達がそのくらいの年齢(とし)になる頃には、平均寿命そのくらいになってるよきっと」

「いいのかなぁ」

「いいよ」


 そう言って身体を寄せてトンと肩を押してくるので、ナツも押し返してみる。

 普通の男子中学生がじゃれているようで、そんな自分に戸惑いながらも悪い気はしなかった。


「ヒロとハルとなっちゃんと三人で、よぼよぼのじじいになりな」

「じじいかぁ」


 そんな先のこと考えたこともない。

 そんな未来があるなんて考えたこともない。

 でも、ヒロもハルも一緒だと考えたら、悪くないかもとちょっと思った。


「まぁヒロはじじいになってもかわいいだろうけどね!」

「…ヒロ、大好きなんだね」


 今朝のハグはとても衝撃的だった。

 あんな風にヒロをかわいがる人も、あんなヒロも初めて見た。


「いや、ヒロ、かわいいだろ?!」

 真顔でたずねられても「そうかなぁ」としか言えない。

 ナツにとってはヒロは頼りになる友達だ。

 しっかり者で強くて優しい。

「かっこいい」はあっても「かわいい」はちがうと思う。


「いやもうヒロのかわいさを語れって言われたら、オレ、何日でもしゃべり続けるよ!

 しっかりして見えるけどちょっとぬけてるところとか、ツンツンしていても身体を気遣ってくれるやさしいところとか!

 ちょっとかまうと、シャーって猫が毛を逆立てるみたいになるだろう?

 あれがまたかわいいんだ!」


「…そーゆーことばっかりしてると、嫌われるよ?」

「それ! あの、毛虫でも見るかのような蔑んだ目がまたたまらないんだよー。ゾクゾクしちゃう!」


 おれよくわかんないと放置しようとしたところで、ドタドタと階段を降りる音がした。

 かと思った途端。


 スパアァン!

 隆弘の頭がスリッパではたかれた。


「何をキショいことを叫んでいるかこのアホ父ーー!」


 真っ赤になったヒロを、どうどうとトモが後ろからはがいじめにして止めていた。

 当の隆弘は頭をなでながらうれしそうだ。


「え? なっちゃんにヒロがいかにかわいいかを語ってたんだよ」

「何しくさってるかー!! ナツ! こんな奴の話聞いちゃダメ! 耳がくさる!!」


 じたばたと暴れるヒロを晃も前から押さえる。

 二人がかりでどうどうと押さえられるヒロがめずらしくて、思わず声を立てて笑った。

次話は明日12時投稿予定です

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