第一話 春休みのはじまり
説明回です
本日五話投稿します
このお話は二話目です
あたたかな風が春の香りをはこんでくる。
馬酔木や沈丁花の甘い香り。柔らかくなってきた土の香り。芽吹いた葉の香り。
桜が咲くにはまだ早いが、山深いここ吉野にも春はやってきた。
眠りから目覚め、少しずつ力がみなぎっていく山の中を、一人の少年が走っていた。
ツリ目がちの大きな目はキラキラと輝き、ただでさえボサボサの黒髪は風を受けてあちこちにはねる。
顔立ちにはまだ幼さが残り、制服に包まれた身体も少年らしくほっそりとしている。
しかし、神速ともいえる速さで山を駆ける姿はしなやかな獣のようであり、彼が日常的に身体を鍛えていることがうかがえる。
少年の名は、日村 晃。ここ吉野に暮らす、十三歳の少年だ。
晃はウキウキした気持ちで家に向かって走っていた。
今日は終業式があった。明日から、いや、今から春休みだ。
中学に入って成長期が始まり、一年前の入学式と比べると十センチは背が伸びた。毎日の登下校で体力もついた。
「春休みになったら長期の修行についてきてもいい」と祖父が言ったのは、一週間前。
やっと一人前の男として認められたようで、うれしくてたまらない。
「ただいまー!」
「おかえり。晃」
勝手口から元気いっぱいに帰ってきた晃に、料理中の祖母が声をかける。
「手ェ洗って着替えておいで。じいちゃん達、帰ってきてるよ」
「うん!」
急いで手洗いを済ませ、自室で制服から私服に着替える。
居間に入ると、十数人の男達が食事をしているところだった。
年代は様々。二十代の青年から、祖父達七十代まで色々だ。
皆一様に同じ装束をまとっている。
「ただいまー!」
「おう、おかえり。晃」
「晃ちゃん! 久しぶりだなー。元気だったか?」
「また大きくなったんじゃないか?」
男達に迎えられて、晃も笑顔で食卓につく。
「晃ちゃん。学校はどうした」
「今日終業式だったんだよ。もう春休み!」
いただきます。と手を合わせて、取り皿に次々と大皿の料理を取っていく。
「学校から帰ってきたにしては早いな。さては、『縮地』で帰ってきたな?」
男達の一人、隣家(といってもかなり離れている)の勇悟おじさんににらまれ、エヘヘと笑ってごまかす。
「ったく、気持ちはわかるが、一般人にバレないように気をつけろよ?」
「大丈夫だよぉ」
そう言いながらぱくぱくと食べつづける。
男達は、修験者だ。
山に籠もって厳しい修行を行い、己を鍛える。
そうすることで、より強い『霊力』を得ることができる。
ここ吉野は、修験道の聖地の一つだ。
晃の家は代々修験者をしている。
元をたどれば南北朝時代に吉野に移り住んだ王の側近。王を守るために修験道を修め、南朝が無くなった後もこの地に残った一族の末裔だ。
この地域の家のほとんどが王の側近の末裔で、修験者だ。
普段は別の仕事をしていて、休みの日や行事があるときには修験者として活動する。
皆高い霊力を持っているし、神速で山を駆ける『縮地』もできる。
むしろこの地域の子供は小さい頃から遊びがてら霊力の使い方を教わり、公園で遊ぶ代わりに山を駆ける。物心つく前から修行をしているのだ。
ただし、このことは世間には秘密だ。
この世界には『霊力』がある。
生きとし生けるものには草木や虫にも宿っているし、山や川などの自然物にも霊力は宿る。
ただし、ほとんどの人はそのことを知らない。霊力が少ないため、感知する能力が少ないのだ。
霊力が人に宿る量は大小あり、強い霊力を持つ者は『能力者』と呼ばれ活動しているが、霊力の少ない一般の人々が知ることはない。
世の中のほとんどの人は霊力が少ない。
ゆえに、霊力が強い『能力者』と呼ばれる人々の起こすことを「うさんくさい」「詐欺師だ」と言うこともある。実際、霊力が少ないのにさも能力者のようにふるまって人を騙す者もいた。そのために能力者が迫害された歴史があり、「能力を誇示しないこと」は、能力者の暗黙のルールだった。
能力者と呼ばれる人々は市井に溶け込み、普通に仕事をし、普通に暮らしている。
一般の人々の知らないところで何かを守ったり、依頼を受けたりしている。
晃の住む地域の大人は、ほとんどが能力者であり、修験者として『要』である吉野山を守っている。
日本中のあちこちには『場』と呼ばれる場所がある。
強い霊力を宿している場所や、地形の関係などで霊力が集まりやすい場所のことだ。
当然、そこでは強い霊力が存在する。
そのため、霊力が固まって何かが生まれたり、立ち入った者に影響を与えたりすることがある。
現代では『聖地』『パワースポット』と呼ばれることも多い。
もちろん、人にとって良い『場』もあれば、悪い『場』もある。
良い『場』は清涼で人々の生気を高めるが、悪い『場』は邪気や陰の気を集め、『悪しき存在』と呼ばれる怨霊や妖などを生み出したり、力を強めたりする。
そんな『場』の中でも、特に大きな霊力を宿す場所は『要』と呼ばれる。
宿す霊力が大きすぎるため、もし少しでもバランスが崩れたら霊力が暴走して大災害を起こしてしまう。それを防ぎ守るため、ほとんどの『要』では神社や寺院を建立し、その地の能力者が霊力を巡らせることでバランスを保っている。
吉野山もそんな『要』のひとつだ。
『場』を守るために植樹をし、堂を建て、山を歩くことで『場』の霊力を巡らせ、安定させる。
吉野の修験者が山を巡るのは、霊力の強い『場』で修行することで己の『器』を大きくし、霊力を高めるため。『要』である山の霊気を循環させるため。
そして、山に異常がないか見守るため。
先人達が何百年と行ってきたことを、吉野の能力者は受け継ぎ、現在も行っているのだ。
大きな休みになると、普段街で暮らしている修験者や修験者体験をしたい一般人がどっと山にやってくる。その前に、山に異常がないか確認するため、祖父をはじめ地域の大人十数人で、昨日から山に入っていたのだ。
担当エリアを一泊してまわり、問題無しと帰ってきて、皆で昼食をとっているところに晃が帰ってきたのだった。
晃の家は宿坊として宿泊することもでき、修験者が集まることが多い。
大勢での食事もよくあることだった。
山の様子や明日からの予定を聞いていると、ふと、慕わしい気配を感じた。
周りの大人達も感じたようで「おや」と箸を止めた。
「白露様がいらしたな」
「久しぶりだな」
大人達が話しているのをよそに、晃は大急ぎで食事を口に詰め込む。
「ごちそうさま!」と手を合わせ、あわただしく食器を流しに持っていく。すぐに居間に戻り。
「おれ、白露様のところに行ってくる!」
言うが早い飛び出していく晃を、大人達は笑って見送った。
次話は15時投稿予定です