フラム・ドラウニル
微かに残る血の匂いや琥珀が木に刻んだ傷跡を頼りに来た道を戻りながらヒマリは思っていた。
やはり大きい方が好みなのだろうかと。
人の姿になった時は気にも止めなかったが、猫だった時の11歳という年齢をそのまま投影されたためか、幼女はまだしも童女と言って差し支えない身体でこの世界へ来た。
ヒマリは自分の胸元を見下ろし嘆息する。
その短い所作を琥珀に気付かれまいと、逃げるようにずんずんと進む。
そんな琥珀はといえばヒマリについて行くので精一杯だった。
普通なら人一人背負って歩く事くらい造作もない自信があった琥珀だが、問題が二つ。
一つ目はここが舗装などされていない獣道であり、両手が塞がった状態だと一歩一歩慎重に踏み出さなければ簡単に木の根などに足を取られてしまう事。
二つ目は竜人が想像以上の重量を有している事だった。
尻尾や翼を加味しても異様に重い、鉄の塊でも背負っているのではと思わせるほどである。
木陰の下で直射日光はほとんど無いが琥珀の額には汗が滲んでいた。
その様子を見てヒマリは疑問を口にする。
「琥珀は身体強化の魔法を使えないの?」
「ん?あぁ、魔法の事はまだあんまり知らなくてな……、使い方がよく分からないんだ……」
琥珀はできる限り疲労を表出さないよう返答した。
優先すべきは一刻も早く目的地に着く事だからである。
それを聡く察しているヒマリは、琥珀の様子を伺いながらも足を止めることなく続ける。
「私も詳しくは分からないけど、イメージすれば結構その通りになる。血をイメージして魔力を腕とかに流し込む感じ」
「なるほど、パンプアップみたいな感じか」
ヒマリの助言を早速実践する。
これにはまず魔力の実態を感じ取れるようになる必要がある、その上で魔力をコントロールし強化箇所へ集中させなければならない。
眉根を寄せて渋い顔をしている琥珀はなかなかコツを掴めないでいた、血の流れをイメージしてもいまいち身体強化が上手くいっている実感が湧かない。
ヒマリもこちらの世界に来てまだ一度しか使用していないためか正確な使い方についてはまだあやふやだった
実際何が起きる訳でもなく精神的に疲れただけに終わった。
身体強化の魔法は一旦断念し、後ほどヒマリに教えてもらうことに決め、今は足取りを遅らせない事に集中した。
川までの道のりから五割増し程の時間をかけ、帰り道もまた何の生物とも遭遇することなく森をくぐり抜けようとしている。
茂みを掻き分け日の下へ身を晒すと見覚えのある臓物が目に入る。
その近くでようやく足を止め無事に戻れたのだと実感すると、琥珀の体がぐらりと揺れ後ろに倒れそうになった、それは背負っていた竜人が突然動き始めたためである。
咄嗟に体勢を持ち直したが、後ろに振られた勢いで竜人はそのまま転落し地面と激突する。
「んがっ……」
「やべっ!だ、大丈夫か!?」
仰向けの状態から尻尾を使い自力でうつ伏せになる。
血なまぐさい臭いで目を覚ました竜人は自分の隣にある幻ではない肉塊を目撃し、虚ろだったその眼に生気を宿す。
「お肉……お肉だぁ……」
あたかも野薔薇を見つけた少女のようなキラキラとした表情をすると、匍匐状態のまま地面に置いてある胃袋にかぶりついた。
生であるにもかかわらず豪快に咬み千切り咀嚼する。
どうすることもできずに手をこまねいていた琥珀は黙々と食べ進める彼女に対して、お腹を壊すのではないかと別の心配をし始めている所だった。
そしてヒマリはそそくさとその場を離れており、嫌そうな顔をして遠くからその様子を眺めていた。
規格外の大きさを誇るイノシシの胃袋を一人で平らげ、さらにその勢いのまま肝臓と心臓まで食すとようやく満足したようである。
頭をイノシシの腹の中に突っ込みながら食事をしていたせいで、汚れてはいてもまだ白さを保っていたワンピースは完全に赤黒く染まっている。
ほぼ全身に血液を纏い固まりかけているそれをそのままに、銀色だった竜人は正座で両手を地面に付け頭を下げていた。
琥珀の知るところでは土下座の形である。
「た、たいへん申し訳ございませんでした!!」
「いやちょっ、ちょっと!そこまでしなくても、頭を上げてください!」
血塗れの女性がワンピース一枚で土下座している、はたから見ればあらぬ誤解を受ける事は必然の光景である。
数回の不毛な問答を繰り返し、ようやく竜人は頭を上げ、つられて正座していた琥珀と対面する形になる。
向かい合った彼女のぱっちりとした目つきやまだ幼さの残る顔立ちは良くも悪くも素直な子のような印象を感じさせる。
まだあせあせと落ち着かない彼女に琥珀の方から話を切り出した。
「えっと、まずは自己紹介からしましょう、俺は不知火琥珀で後ろの女の子はヒマリ」
「はいっ!私はフラム・ドラウニルと申します!この度は大変なご迷惑をっ!」
「いやいやいや!そんなにかしこまらないでください!」
「そ、そう仰られましても……空腹だったとはいえあなた方の食料を奪ってしまって……」
「別にそれは元々あげるつもりだったから……」
フラムと名乗った竜人は背中の大きな翼も縮こまってしまいより一層小さく見えた。
そんなフラムをお構い無しに、興味無さそうにそっぽを向いていたヒマリが口を挟む。
「最初は琥珀の腕に噛み付こうとしてたけど」
その時の記憶が無かったのか、ヒマリの話を聞いたフラムははっきりと分かる程に顔が青ざめていた。
「ちょっ、ヒマリ!余計な事言わなくていいから!……だ、大丈夫ですよ!特に何もなかったので!」
琥珀はフォローするも、フラムは先程よりも勢いよく頭を地面に打ち付け土下座の姿勢に戻ってしまった。
ゴンッと低い音が響き、もはや額は地面にめり込んでいる。
「い、命の恩人にとんだご無礼をっ!!かくなる上は腹を切ってお詫び申し上げますっ!」
「ほんとに待って!それ本末転倒だから!!」
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