空腹の竜
まずい、とヒマリは踏み込む脚に力を入れる……が、全てヒマリの杞憂に終わるのだった。
「おにくッ!」
「うおわっ!!」
腕に飛びかかってきた竜人は女性だった。
琥珀は咄嗟に腕を引くが竜人の動きはそれほど素早くは無く、目標を捕えられなかったその体は空を切ると、勢いを殺せずそのまま砂利の地面にヘッドスライディングしてしまう。
「へぶっ」
と気の抜ける声を発して元通り倒れ伏してしまった。
それを見たヒマリも踏み込んだ勢いを殺すためにつんのめってしまう。
「おっと……ぶ、無事か琥珀……?」
「あぁ……びっくりはしたけど」
「いったいなんだったんだ?」
「俺の腕がご飯に見えたんじゃないか?」
そう答えると琥珀は竜人の方を向く。
再び人形のように動かなくなった竜人だったが、うつ伏せのままうわごとのように喋り始めた。
「あ……うぅ……もう、力が入らないですぅ……、お父様……どうか、私の分まで……お元気で…………」
不謹慎なことを言いながら最後にグウゥゥゥと腹の唸り声で〆た。
「お、おい!しっかりしろ!」
腕に食らいつこうとしたことと言い盛大に腹が鳴ったことと言い、なぜこれほどまでに極限な状態なのだろうか。
この全く動物が見当たらない森と何か関係があるのだろうか、と疑問は残るが琥珀としてはまず人命救助の優先度がそれを上回った。
まずはうつ伏せという、呼吸もしづらい体勢から仰向けにさせてやろうと、琥珀はもう一度手を伸ばす。
しかしその腕をヒマリに掴まれて制止させられる。
「襲われそうになってもコイツを助けたいと琥珀が思ってることは分かった」
「じゃあ……」
「触れる前にまず、その手を洗え」
別にコイツは今すぐ死ぬわけではないだろ。と言ってヒマリは残った方の手で鼻をつまむ仕草をした。
琥珀は意図している事に気付くと駆け足で川へ向かった。
手洗いを終えるとヒマリが竜人の体を仰向けに直していた。
琥珀は冷えた手を擦りながら近寄る。
「寝てるみたいだぞ」
ヒマリはそういうと近くにある岩に腰掛ける。
あとは任せたと言わんばかりにそっぽを向くと小さくあくびをした。
琥珀はそんなヒマリを見て猫の姿だった時のヒマリを思い起こし、変わらないなと心を和ませる。
ウトウトとしつつも片耳を琥珀の方にに向けているあたり、万が一の事態にも備えているようである。
琥珀は手早く済ませるように軽い触診を始める。
呼吸は正常。
脈拍を測ろうと手首を握るが、肩から手の甲まで覆う銀色の鱗に阻まれてうまく測れなかったため、首の方へ手を伸ばす。
「失礼」
念の為そう断ってから首筋に触れる。
脈拍はやや低め、寝ているせいもあるだろうが体力の温存のために体が勝手に調整しているのかもしれない。
最後に顔を覗き込む。
スヤスヤと眠っている竜人の顔立ちはよく整っており安らかな寝顔だが、やはり顔色はあまり良くない。
直接日光が当たらないように左手で影を作り、瞼の裏を見るとやはり色味が薄く貧血気味であることが分かる。
目立った怪我も無さそうである以上、症状はシンプルに栄養失調あたりだろう。
「ひとまず大丈夫そうだけど、結構衰弱してるかも……、早めに連れてってあげないと」
森を通ってきた道中に木の実などは所々で見つけているが、先程の行動や今現在お腹を空かせている事を鑑みれば、この竜人は完全に肉食なのだろうと予想
できた。
琥珀はヒマリの合意を得て、丁度持て余していた猪肉を分け与える事になった。
下処理は十分にできないかもしれないが、よく火を通せば食べれるだろう。
今はいち早く食事を摂らせることを優先しなければならない。
そのためにも琥珀はこの竜人を連れて一旦平原の方へ戻ることにした。
しかし連れていくとは言ったものの立って歩かせる訳にもいかない。
竜人より頭ひとつ分背の低いヒマリに運ばせるわけにもいかず、琥珀が背負って行くことにした。
改めて見てみると身につけているものは薄汚れたワンピース一枚のみで、普通はこんな場所に着てくるような服装ではない。
しかし問題は場違いであるといった部分ではなく、ワンピース一枚しか身につけていないという点であった。
文字通り、ワンピース一枚の女性を背負う事になってしまった。
決して小さくはない竜人の胸が琥珀の背中に押し当たっている。
色々と嫌な汗をかく琥珀をヒマリは半眼で眺めているだけだった。
「い、急ごうヒマリ……、道案内頼めるか……?」
「……うん」
ぶっきらぼうな返事をすると、そそくさと歩いていってしまう。
その小さな背中を追いかけるように琥珀も歩き出した。
なるべく背中の感触を意識しないように。
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