有効利用
落下のエネルギーを乗せた拳を打ち込まれたイノシシは無惨にも頭部を陥没させ絶命している。
しかし今、琥珀の目はその上に立つ金色の瞳の少女に釘付けになっていた。
頭頂部の猫耳を見て獣人である事を認識した瞬間は身をこわばらせたが、風に揺れるふわふわとしたセミショートの白い髪が彼の愛猫であるヒマリの毛並みと重なり、違う意味で動けずにいた。
「ヒ……ヒマリ……?なのか……?」
「よくわかったね、色々あって琥珀を助けに来たよ」
ヒマリは淡々と話すが、尻尾が立っているのは嬉しさの現れである。
もう会えないと思っていた主人に名前を呼んで貰えたこの感情を、今のヒマリにはどう表現すればいいのか分からなかった。
まだ元の世界で生きているはずだったヒマリが獣人の姿になって目の前に居る。
琥珀は困惑を拭いきれない頭を横に降り無理矢理落ち着かせる。
何よりもまず、しなければいけない事がある。
照れ隠しなのか固い表情のままでいるヒマリをちょいちょいと右手で招いた。
それを見たヒマリはぴくりと耳で反応を示すと身軽そうに飛び跳ね、イノシシの上からふわりと芝の広がる地面へ降り立ち琥珀の前へと歩く。
「助かったよ、ありがとうヒマリ」
そう言って琥珀はヒマリの頭を撫でた。
昔のように、ふわふわとした毛並みをなぞるように。
そうしていると固い表情のままだったヒマリは次第に口元を綻ばせ、気持ち良さそうに目を細めると、しばらく身を委ねていた。
「さて、聞きたいことは色々あるんだけど、まずはこのイノシシをどうにかしないとね」
琥珀はそう切り出すが、髪を梳く手はそのままである。
それを気にすること無くヒマリは答える。
「手加減はできなかった、というより手加減が分からなかった。こっちの世界に来ていきなりだったから」
「まあ、それは仕方がないよ、ただ命を奪った以上は俺たちの糧としてやるのが礼儀だろう」
「そう……なの?」
これは人の感性なのだろう、あるいは色々な土地を歩み色々な体験をした、琥珀独特の弔い方なのかもしれない。
ヒマリにはいまいち理屈が分からなかったが、琥珀の言ったことに反論することも無く受け入れる事にした。
何より考えてみればこの先を食いつなぐ食料は必須である。
「解体……は一応やったことはあるけど、このサイズは骨が折れるな……」
「数百キロはあるものね」
話が噛み合ってるようにも噛み合ってないようにも聞こえる会話を交えつつどう処理するかを思案する。
ひとまずは血や汚れを落とすための水場が必要である。
つまり川か何かを見つけなければいけない。
「とりあえず川を探そうか、できれば近場にあるといいんだけど……」
「ぱっと見だったけど平原の先には当分進んでも無いと思う、さっき落ちてくる時に見た」
「ってことは森方面に進まないと駄目か……」
琥珀はイノシシが出現してきた方の森を見やる。
生き物が居るということはそれなりの住環境が整っているはずである。
こんな森の端の方にイノシシが出てきたこともあり、そう遠くない場所に水場を見つけられる期待は大きい。
しかし森の中は文字通り獣道であり、歩きにくいだけではなく方角を把握出来なければ高確率で迷ってしまう。
「ちゃんとここに戻ってこれるかも怪しいし、コイツを持ち運びながら探索するわけにもいかないし、さてどうしたものか……」
「提案だが、イノシシの血を抜いて森の入り口のあたりに撒いてくれれば、雨で流されるかかなり遠くまでいかない限り臭いで辿れるのではないか?」
「……なるほど、ヒマリって嗅覚は猫の時のままなのか?」
「おそらくは、少なくとも人よりは良いと思う」
つくづく頼りになると琥珀は頷き準備を始める。
血を抜くとは言ったもののそんなことをする機械があるわけでもなかったため他の手を打つ事にした。
琥珀は短剣をイノシシの鳩尾あたりに突き立て、一文字に切り裂いた。
破れた腹からは臓物が流れ出てくる、その中から胃と腸を切り取り腹の中から引きずり出した。
「安全面を考えて内臓はさすがに食べれないからここを有効利用させてもらおう」
「うぇ、臭い……」
ヒマリは鼻を押さえながら言った。
この反応ならマーキングとして十分効力があるだろう。
内臓も巨体に比例してとてつもない大きさがあるが、琥珀はなるべく引き摺らないように持ち運ぶ。
そんな琥珀から数メートル離れてヒマリも付いて来る。
森の手前まで来るとその場に内臓を下ろす。
「さてと、ヒマリ、これで大丈夫そうか?」
「大丈夫だけど……、琥珀、臭い」
琥珀との距離は数メートル離れたままだった。
内臓を素手で持っていたのだから無理もないが、ヒマリに距離を置かれた事にがっくりと肩を落とすと、何としてでも水場を探し当てて汚れを落とさなければと固く決意した。
読んでいただきありがとうございます、楽しんでいただけたら幸いです。
感想や評価をいただけると励みになります、今後ともよろしくお願いいたします。