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賢い猫

「にげろォッ!!!」


 その声と同時にヒマリは車のボンネットを蹴っていた。

 非常に身軽なその体を着地させた少し後ろで、先程まで居座っていた車が濁流にが流されていく。


 しばらくして轟音が収まり、土砂の山だけが残った。

 車は木々に塞き止められ圧力によって扉がひしゃげている。


 土砂の方を向いてヒマリは「にゃー」と鳴く、それは琥珀の返事を期待してか。

 やがて何も返事が返ってこない事を悟るともうひとつだけ「にゃぁ」と鳴いた。

 哀愁を含んだその声はいとも簡単に山の静けさに溶けていく。


 ヒマリはしばらくしてもそこを動かなかった。

 何かを待つかのように鎮座している。


 彼女は事ある毎に琥珀と旅をした日々を思い返し、満足に足る余生だったと、そう思う程に達観していた。

 野生とは程遠い感情。


「旅をする時はいつでも一緒だからな」


 そう言いながら撫でてくれたのは初めて旅行について行った時の記憶だった。

 それからは何処へ行くにも一緒で、その度に車窓から覗く色とりどりの景色を眺めるのが好きだった。


 何十と旅の思い出を掘り返しているうちに日差しの心地良さに負け微睡み始める。

 やがてヒマリは眠りにつき、山谷風が丸くなる彼女のふわふわとした毛並みを撫でる。




「……ヒマリちゃーん?」


 名前を呼ばれたヒマリの片耳がぴくりと動く。

 しかし全く聞き覚えの無い声に答える気分ではなかった。


「ヒマリちゃん聞いてよー、琥珀くんの事なんだけどさ……」


 ヒマリの態度をなんのそので喋り続けた声から主人の名前が出てきたところでヒマリは顔を上げた。

 視界に入ってきたのはやはりヒマリの知らない男と、さっきまで居たはずの道路ではなくどこまでも何も無い異様な空間だった。

 しかしこの空間については今のヒマリとっては些細な事でありすぐに頭の中から廃棄し、その金色の瞳は主人の名を口にした男を見据える。


「おはようヒマリちゃん、とは言っても君は今夢の中みたいなものなんだけどね」


 古代ギリシャ人のような風貌の男が肩を竦める。

 ヒマリはどうでもいいと言わんばかりに今度はその男を睨めつけた。


「そんな怖い顔しないでよヒマリちゃん、お顔がしわしわになっちゃうよ?」


 再び頭を伏せようとしたヒマリだったが男は間髪入れずに続けた。


「さて本題なんだけど、単刀直入言おう、君のご主人である不知火琥珀は先の事故で亡くなった」


 それはヒマリにもほとんど分かっていたことだったが、この男にそう言われた事で変えられない事実になったような、そんな力があった。


「実はさっき彼と話をしててね、彼はヒマリちゃんにこれからは自由に生きてくれって言うように言われて、その後彼を新しい世界へ送り出したんだ」


 最後に関してはいつの間にか行ってしまったと言った方が正解だったが。

 ヒマリにはどういう事なのかまだ理解できないでいる。


「これから何をしようがどこに行こうか君の自由だ。だけど、君はあの場で逝くつもりでいたね?」


 歯に衣着せぬ言い方だったがそれは間違いではなかった。

 元々主人に拾ってもらった命、余生は主人に捧げようと決めていたのだ。

 あの時死ぬのは自分だったら良かったのにとさえ思っている。

 その場合主人は当然悲しむのだろうが、ヒマリ自身既に老い先が短い事を感じていたし、そもそも寿命で自分が先に逝くと思っていた。

 主人こそ生きるべきだったのだと、ヒマリは心の中で独り言ちる。


「琥珀くんは生きてくれと言っていた。僕の都合で厄介事を担ってもらった以上ささやかな望みは叶えてあげたい、でも君は主人の居ない世界に居座る意味なんて無いと思ってる。……そこで提案なんだけど、また彼と旅をしたくはないかな?」


 ヒマリは心を読まれているかのようなセリフにやや不快感を覚えたが、それも束の間、耳を疑う提案をされた。

  たとえそれが嘘であろうと、もはや現世に未練など無くなっていたヒマリはその提案を考えるまでもなく受け入れいた。

 是も否も示した訳では無いが、やはり心を読んでいるのか、先程とは一転意気揚々とし始める。


「さて君も彼と同じ世界に行くんならそれに合わせた格好にしないとね!」


 人差し指を立てるとヒマリの体が宙に浮き始めた。

 男と同じ目線まで浮遊したあたりでパチンと指を鳴らす音が響く。


「ファンタジーに縁のないヒマリちゃんには体験してもらった方が早いだろう、人の形と獣の特徴を合わせ持つ獣人と呼ばれる姿だよ」


 男がどこからともなく取り出した姿見に写っていたのはヒマリの知らないヒマリの姿だった。


 ベージュのキュロットと白い襟付きのシャツに身を包み、丈夫そうなサンダルを履いた少女が鏡に写っている。

 白髪のセミショートの髪は以前通りふわふわとした毛並みのままで、頭頂部には猫の耳が乗っかっている。


「……は?」

「奇しくも琥珀くんと第一声が被ってしまうとはね」


 ヒマリは思わず声が出てしまった。

 驚く彼女をそのままに男は言葉を続ける。


「正直言うと僕はファッションとかよく分からないから、今回は動きやすさ重視でコーディネートさせてもらったよ、まあ着飾ってる獣人ってあんまり居ないから多分悪目立ちはしないと思うよ」


 猫の手よりも何倍も器用になった手で自分の身体をしばらくまさぐっているとようやく自分の身体だと認知できた。

 最初は夢でも見ているのかと思った、というより微睡んでいたのだから当然夢だと思っていたヒマリは、鮮明な触覚を前にしてこれが現実に起こっている事だと実感していた。


「……今ようやく分かった、貴方、神とか言うやつね」

「おっとこれは失礼、そういえば自己紹介とかしてなかったね」


 ヒマリの知識の中では人智を超えた存在、この場で比較できるものは猫の智だが、そのような存在を神と呼ぶ事を知っていた。

 男は改めて自己紹介を始める。


「僕は人間の言うところの神、正式な名前は無いから自己紹介が難しいけど、よろしくね!」

「私はヒマリ、よろしく……」

「うん、君は礼儀正しい良い猫だね!」


 神はヒマリを手放しに褒める。

 そしてうんうんと頷き終わると、神は「さて」と切り出す。


「僕から君へ要求するのは1つだ、これから異世界を旅する琥珀くんを守って欲しい、彼がいくら交渉や異文化交流が上手だとしてもその範疇に収まらない連中も居る」

「話しの通じない相手に対抗する手段が無いって事ね」

「その通りさ、いやぁこんなに頭のいい子の主人だなんて、琥珀くんが羨ましいね!」


 茶化されたヒマリだったが、その程度のことは意にも返さず続ける。


「言われなくても私は力の限り主人を助ける、だけど私は……」


 喧嘩が弱い、と。

 飼い猫になってからは全くと言っていいほど喧嘩とは縁が無かった。


「そこでだ、僕の要求に答えてもらう代わりに君にはひとつ、スキルと呼ばれる特別な力を与えよう!」


 神は仰々しく両手を広げている。


「できる限り君の意向に沿った力にしよう、とりあえず何でも言ってみるといい」

「じゃあ……」


 と、ヒマリはあまり悩むことも無く告げた。

 それ聞いた神はにこやかに頷くと、その後に何回かのの短いやり取りを終え、ヒマリは異世界への入り口に足を踏み入れた。




 転移を終えたヒマリの目に映ったのは、青く澄んだ空と延々と続く緑の平原の境界。

 吹き付ける風は自然に吹いているものではなくヒマリ自身が落下しているが故、自らが空気にぶつかっているだけだった。


 そんな状況でヒマリは冷静に身を翻し落下する先を見据える。

 その先にあったのは橙色の髪の男と、その男に迫り来るイノシシだった。


「…………『絆』(リンク)


 そう呟くと右の拳に力を込めた。

読んでいただきありがとうございます、楽しんでいただければ幸いです。

前回投稿から間が空きましたが平日はあまり作業する時間が無いのでご了承ください……。

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