不慮の事故
陽光に刺激され目を覚ませば、眼前には青々とした空が広がっていた。
大の字で仰向けになっている不知火琥珀はそのまま軽く左右を確認すると、ゆっくりと両の手を瞼に被せた。
心地よい風が彼の橙色の髪と共に草葉を凪ぎ、揺れる芝生が耳を擽る。
手のひらが陽光を遮り気持ちよく二度寝でもできそうだったが、当の本人はそれどころではなかった。
「……どこだよここ!!!」
琥珀には全く見覚えのない場所。
まだ冴えない頭を叩き起し、彼は事の経緯を思い出す事にした。
琥珀が住んでいる東京から遠く離れた田舎にある山道。
木々は茂り、舗装された道路だけが風景から浮いている。
湿り気のある土の香りと若葉の青臭さが燦々と輝く陽光と相まって否応にも夏を感じさせる。
この日琥珀は祝日が重なった連休を利用し、愛猫のヒマリとこの地で車を走らせていた。
車の通りはほとんど無く、ゆったりと制限速度の半分程度で道路のアウトコースを走っている。
ボランティア活動がてら観光をするのが琥珀の趣味であり、今回は先日の豪雨による土砂の片付けを手伝いに行く予定だった。
体を動かす事は日頃のデスクワークのリフレッシュにもなるし、ボランティア活動をしていると現地の人とも良い関係を築ける。
時には地元の美味しい料理をご馳走になったり観光の穴場スポットを教えてもらったりと、琥珀にとってはいい事尽くしだった。
「あと1時間半ってところか……ここらでちょっと休憩でもするか」
助手席に居るヒマリをちらりと見る。
ヒマリの大きなあくびを返事とみなし、日当たりの良さそうな道路脇に車を止めドアを開ける。
琥珀に続いてヒマリも運転席側の扉から外へ出た。
ヒマリの事は基本的に放し飼いにしているが、非常に賢い猫なのかこれまでにこのような旅で琥珀の近くから離れたことは無い。
8年程前に飼い始めた猫で、齢は今年でおそらく11くらいだろう。
弱っているところを拾った猫だったが、回復した後も我が物顔で家に居座るものだから早々に観念して家族として迎えたのだった。
琥珀がガードレールに腰掛けたのを見るとヒマリもボンネットの上に飛び乗り丸くなる。
二度目の大きなあくびをしているヒマリの白くふわふわとした毛並みが日光に当たりキラキラと輝いて見えた。
7月後半ともなると日差しはやや強くなってきたが、ヒマリは心地よさそうにしている。
しばらくして琥珀が缶コーヒーを飲み干した頃、道路標識が倒れている事に気が付いた。
「あーあぁ、後で役所の人に言っておかないとなぁ……」
そう言い倒れている標識を掴み上げた。
どうやらポールの根本付近でぽっきりと折れているようだ。
琥珀はとりあえずそれを勢いよく地面にガッと突き刺す。
右腕だけで標識を深々と突き刺してのけた。
一見スラリとしているように見える琥珀だが、幼い頃から武道を習っていたり、就職してからも運動は欠かさなかったりと、人並み以上に優れた肉体を持っていた。
標識を立て直したのと同時にヒマリが体を起こした。
「あぁごめん、起こしちゃったな」
「…………」
ヒマリの金色に輝く瞳は琥珀のやや上、標識を見つめている。
「ん……?もしかしてこれ、落石注意の……」
琥珀が言い切る前にヒマリはシャァァッと威嚇の体勢に入っていた。
視線は琥珀のさらに向こう、山の斜面の上の方。
……そこからは一瞬の出来事だった。
強い風に揺られるでもなく木々がざわめき、様々な野鳥が飛び立つ。
林の中から野鳥の一羽が琥珀に向かって飛んできたがすんでのところで身を屈めて躱す。
しかしそれが悪手となった。
野鳥に気を取られて気付くのが遅れた、斜面の上からゴゴゴゴゴと地響きのような轟音がすぐそこまで来ている。
それは先日の豪雨により緩んだ地盤が崩れ落ちる音である。
琥珀は心臓が今までになく早鐘を打つのを感じていた。
「ヒマリっ!」
先程歪んだ姿勢で回避をとってしまった琥珀は次の行動がもう間に合わない事を理解してしまっていた。
車を盾にするにしてももう遅い。
ある種の諦念を置き去りに琥珀は思う。
ヒマリだけでも……!
「にげろォッ!!!」
最後にヒマリが飛び跳ねるのだけは見えた。
その直後、琥珀の意識が暗転した。
はじめまして、色々と触発されて書き始めました。
基本的に投稿は不定期になると思いますが、楽しんでいただければ幸いです。