一つの道先21
その日、戦闘と医療活動への支援を行った第三小隊は、夜間の移動を懸念し、明朝の出発を基地へ連絡した。
流石に小隊丸ごとが病院内に入るわけにはいかず、小隊は車両に一泊することになる。
元々一日がかりの仕事を想定していなかった第三小隊に、フリークロスのメンバーから、感謝の言葉と共に、大きな鍋が第三小隊の車列に届けられる。
非常用のレーションの他、隊員が自前で持ち込んでいたツマミくらいしか食料がなかった第三小隊は、温かい湯気をあげる鍋に歓声を上げた。
「今日は本当にありがとうございました。これ、ほんの気持ちですが」
妙齢の女性であるハーヴィングがそういって手渡そうとすると、小隊長は受け取る役目をフィッシャーにゆずって、また歓声が上がる。
「だあ、ちっとは黙ってください、大人気ねえ! ハーヴィ、さっさと戻って良いぞ、キリがねえ!」
苦笑するハーヴィを追い払うと、フィッシャーは建物から見えないよう、小隊の中央に鍋を置いて、小隊長を呼んだ。
「これは捨てましょう」
「は!? 冗談だろ」
ご馳走を捨てるという暴挙を聞き、広がりかけたざわめきを、チャールズが一喝する。
「騒ぐな、メイヅ。全員、普通に雑談しているように振る舞え。なんのためにフィッシャーが輪の中央に持って来たと思っている」
そうだな、とチャールズは、危険に敏感な新人に確認する。
「そうです。考えすぎだとは思います。ただ、武装隊の規則にあるでしょう」
「任務中、武装隊の施設外での食事を摂る際、隊員が調理過程を確認できない食料を可能な限り口にしないように留意する。こいつのことだな」
小隊長が、フィッシャーの意見に賛同することを予感し、メイヅは大きく肩を落とす。
「マジですか。たしかに規則はありますけど、それ、ほとんど守られることないじゃないですか」
「俺だって毎度守っていたら、神経質だとは思いますよ。でもね、メイヅさん」
フィッシャーは、脅すために声を低くした。
「ここの調理場に、敵の負傷兵が出入りしていても、これを食べる気になります?」
「それは確かか」
チャールズの硬い問いに、フィッシャーは全員の顔を見渡してから首肯する。
「コーヒーを淹れていました。見張りもなにもなしで」
「護衛の小隊は、同じ食事を食べているのか?」
「向こうの隊員と少し話しました。小隊長は禁止しているそうですが、手伝ったお礼にと差し入れられて食べることは多いそうです」
「よし、わかった。全員、異論はないな」
小隊長が全員の表情を確認すると、一番不満そうな者でも、残念だ、という許容の意思が表れている。
その残念な顔色を隠さないメイヅが、フィッシャーの肩を小突く。
「でもよ、だったら最初から受け取らなきゃ良いじゃないか。もったいないぞ、捨てるなんてよ」
もちろん、毒入りじゃなかった場合だけど、とメイヅは捨てることに反対ではないことを示す。
「もったいないとは俺も思いますが、もしこれが毒入りだとしたら、受け取らなかった場合、別な攻撃を受ける心配をしなきゃいけないじゃないですか」
「別なって……例えば?」
「そこまではわかりませんよ。そもそも、毒が入っているかもっていうの自体、仮定の話ですから」
フィッシャーは苦笑しながらも、訓練校で様々な嫌がらせを受けた経験と、サラテックでのゲリラ戦の経験から、警報を聞く。
戦力の空白地帯に埋め込まれたフリークロスに、担ぎ込まれた敵の負傷兵達。兵の一部は、調理場で自由に動けるだけ浸透している。
もしも、これらが初めから計画されたものだとしたら。
計画した者が、状況を把握しているとしたら。
「全部仮定の話です。根拠はありません。でも、俺がこの状況を作り出した計画者なら――」
それなりの数の兵を、敵の内側に潜り込ませることに成功した。
負傷はしているが、それは織り込み済みだろう。時間をおけば回復はするが、潜入した兵からぼろが出るかもしれない。巧遅ではなく、拙速が必要だ。
「事態を動かすなら、この場所で、今夜だ」
不吉な予言に、小隊長は少し仮定の話をつめよう、と小隊に達した。
溜息は漏れても、拒否する者は誰もいなかった。
****
異変が起きたのは、すっかり夜も更け、夜番以外の人間が眠りの支度を始めた頃だ。
病院内の人間の半分以上が、ほぼ同時に奇妙な眠気を訴えた。
昼間に、大量の負傷者が運び込まれたためだろうと誰かが呟いた言葉は、楽観的な説得力があった。眠気に耐え切れず、床に崩れ落ちる者が出るまでは。
その日、夜番だったハーヴィングは、心配するヒマリを説得して、休憩室に詰めていた。
彼女は、休憩室の同僚が倒れていくのを、ただ一人、はっきりした思考で認識できた。
「ヒマリさん、大丈夫ですか!」
腰かけた椅子から転げ落ちそうになったヒマリを、ハーヴィングは慌てて抱きかかえる。転倒をふせげたのはその一人だけで、他の同僚は次々と床に転がる。
「ヒマリさん! ヒマリさん!」
慌てて声をかけながら、脈を計り、呼吸の乱れを確認する。瞳孔も調べるが、命に関わるような問題はないと判断できた。
「鎮静剤の類、かな。量が少し多いみたいですけど……」
寝室に使われている他の部屋からも、異常に慌てた声が、ほんのわずかに聞こえてくる。
ハーヴィングはひとまず、ヒマリを床に横たえ、他の無事な人と合流しようと立ち上がる。
それにしても、これは一体なんだろう。
突然倒れる人がいて、それは恐らく鎮静剤の効果によるものだ。その中で、自分が無事なことも良くわからない。
わからないまま、休憩室を出て、その子と出くわす。
「ハーヴィ、良かった。体、大丈夫?」
「ニオ君! ニオ君こそ、大丈夫ですか? 眠くなったり、だるかったりしません?」
「ぼくは大丈夫。それよりこっち、早く!」
「あ、ちょっと、どうしたんです」
ニオは、ハーヴィングの手を取って強引に引っ張る。
「ニオ君、落ち着いてください。他の無事な人とお話しして、倒れた人を看ないと」
「そんなことしてる時間、ないよ。ここから逃げないと」
ニオが行こうとするのは、他の人の声が集まるのとは逆の、非常階段だ。
なにか危険が迫っていることを、少年は知っていて、それから逃げ出そうとしている。
なぜ、どうして――重なる疑問に、親友の冷たい声が、解答への公式をもたらす。
『調理場に、一人で出入りさせない方が良い』
倒れた人達は、鎮静剤を使われている。どうやって、これだけの人数に一度に使ったのか。
簡単だ。食事に混ぜた。そうに違いない。
そして、フリークロスのメンバーと武装隊員以外で、調理場を使えるのは、目の前の少年だけだ。
「ニオ君、うそ、ですよね」
唐突な問いかけは、後ろめたさをずっと押し殺してきた少年には、待ちわびた言葉にも感じられた。
「うそじゃない」
「うそ……」
「うそじゃない! ぼくは、スパイだ。みんなが今、倒れているのはぼくのせい」
非常階段に走りながら、ニオは怒った声で自白する。
「最初からそのためにここに運ばれた! 運んだ人も知ってた! 戦闘でぼくが怪我をしたのは偶然。でも怪我をしなかったら、怪我をして、ここに運ばれる計画だった!」
今日運び込まれた怪我人も、全てそうだ。
わざとパトロール部隊と交戦し、負傷したものを置き去りにする。戦闘区域周辺の住民には、ここに運ぶよう、前もって金を渡していた。
「これから、ここに組織の攻撃隊がやって来る。ここを占拠して、人質にするか、殺す計画」
「どうして……どうして、そんなことするの? ここは、ただの病院なのに」
「そんなことぼくは知らない。ぼくにそんなこと関係ない」
そんなことまで知らされないし、知ろうとも思わない。自分の意思で、進んで参加した組織でもないし、作戦でもない。
「ぼくはただ、これしか生き方がないから、組織に従ってるだけだ!」
自分への言い訳を、巻き込みたくない人に叫びながら、ニオは非常階段のドアノブを回す。
開け放った先、片手をドアに、片手をハーヴィにふさがれた反政府組織の少年兵は、振り上げられた拳を見た。
「え?」
「嫌なことは、よく当たる」
嫌いなものを無理矢理飲み干す言葉とともに、フィッシャーは少年に暴力を振るった。
顎を捉えた拳は、瞬時にニオの五体から感覚を奪い、軽く突き飛ばすだけで壁に倒れこんでしまう。
「ニオ君! 待って、フィッシャー君! この子はわたしを助けようとして!」
倒れた少年に駆け寄る優しい医術者に、フィッシャーは感情を遮断した顔を向ける。
「あれだけ大声で叫べば聞こえている」
フィッシャーは通信魔術を起動し、この建物内の全ての武装隊員に呼びかける。
「こちらフィッシャー。敵の攻撃を確認。今日担ぎ込まれた負傷兵は全て敵だ。我々は攻撃を受けている。繰り返す、我々は攻撃を受けている」
『了解。こちらメイヅ、二階の出入り口は抑えた。廊下のこっちと向こうで、敵と睨み合い中だ』
『こちら三階、患者の病室を抑えた。こっちは静かなもんだ。確認が済んだら二階に応援を送る』
『こちら一階、チャールズだ。階段は封鎖。外部からの攻撃に備えて守りを固めている』
第三小隊の配置は、すでに完了している。あとはこれに、無事な護衛小隊の人員が合流すれば、内部の鎮圧は簡単だ。
負傷兵達の武装は、残らず取り上げてある。薬の影響もなく、奇襲に備えていた武装隊員に、敵うはずもない。
問題は、外部からやってくる敵兵力が、どれくらいになるかだ。
フィッシャーは、その情報を聞きだそうと、壁にもたれた少年の胸に脚を置く。
ハーヴィングの非難の声は、睨みつけただけで無視する。ことは、この建物内の全ての人間の命に関わるのだ。
「おい、外から来る敵兵について知っていることを話せ。人数、武装、方角、知っていることは全部だ」
「し、知らない、ぼくはなんにも」
その返事に、フィッシャーは胸につけた短剣を抜く。
「本当になにも知らないのか。良く考えろ。フリークロスの奴等が大勢死ぬかもしれないんだ。今お前が裏切っている、ここの人間の顔を思い出せ」
命を奪う刃より、罪を訴える言葉の方が、ニオの胸に突きたった。
「うるさい! 裏切って、騙してなにが悪い! ぼくはこうするしかないんだ! 生まれた時から組織にいて、物心ついた時にはもう組織の手伝いで、お前等の敵だ! こうやって、組織に従って生きるしかないんだ、なにが悪い!」
選ぶ前に決まっていた生き方は、大きな敵が与えられていて、敵がどんなものなのか知る前に戦わされていた。
敵にしたくない敵に出会った時には、もう後戻りする道もなく、ニオは必死になって吠えた。
「ぼくは生きるためにやっているだけだ! それが悪いって言うなら、死ねって言いたいのか! どうなんだ、死ねば満足か! それとも殺せば満足か! 人殺し!」
命を燃やすような叫びは、聞く者の胸に焼けついた鉄を突き刺すようだ。ハーヴィングは、少年を責める言葉を、肺腑が壊されたように失った。
それは、フィッシャーも同じだ。
同情するべき立場に、少年はいる。少年と同じ状況に陥った時、果たして誰が、組織に逆らえるだろうか。
それでも、武装隊員は、言うべき言葉には困らず、平然と言い返した。
「誰が裏切って悪いと言った。もしかして、咎めているように聞こえたか?」
それはすまない、と心をこめずにフィッシャーは詫びた。
「俺は、お前が悪いとは言ってない。もちろん、俺が善いとも言わない。ただ、お前は生きるために、お前に都合の良い組織の法に従っただけ。俺は、俺が生きるために都合の良い組織の法を守るだけ。異なる法の、同じ番犬同士、善だ悪だと吠えては躾を疑われるぞ」
少年が生きるためにそれしか選べなかったというなら、武装隊員も生きるために少年を害することを選ぶ。
「それで、なにか情報を教える気はないんだな。なら、お前に構っている暇はない」
フィッシャーは、ナイフを逆手に滑らかに振り上げる。
その選択は簡単だった。
訓練生の時、砂っぽいサラテックの街で、すでにその選択はなされているのだ。
自分と、自分の側に立つ人間を守るために、敵の命を奪う。明確に、他ならぬ自分自身の意志で選んだ生き方だ。
だから、ただ状況に流されてきただけの少年に、それを止めることはできない。
止めたのは、誰かを救う生き方を、自分自身の意志で選んだ医術者だった。
「やめてください!」
刃の前に投げ出された体に、フィッシャーの短剣は簡単に止まる。
「お願いです、フィッシャー君……この子はわたしを助けようとしてくれたんです。決して、悪い子じゃないんです」
少年を抱き締めるハーヴィングは、自分の理想とはかけ離れた選択をする親友を、悲しみを交えて睨む。
「他に生きる道があれば、この子は、普通の、優しい子なんです」
「その他の道がなければ、結局同じ事の繰り返しだぞ」
その道が用意できるのかという問いに、ハーヴィングは、できるとは言わなかった。
「どうすれば良いのか、わからないから、無責任には言えないけど……あきらめません」
俯かず、顔を上げて、夢に向かって一途な彼女は、昔と変わらずかっこいいと、フィッシャーは短剣を翻す。
「お前がやると言ったら、やるんだろうな。相変わらず、困難に向かってまっしぐらだ」
だが、ハーヴィングがそう言うのならば、フィッシャーもそう行動するだけだ。
フィッシャー・ブルードロップが、進んで手を汚すのは、汚れた手ではできない綺麗事を掲げる誰かの助けになるためだから。
「おい、ニオ。お前、薬を使ったな? 容器は今持っているか。持ってる? じゃあ、寄越せ」
警戒して懐を押さえたニオに、フィッシャーは乱暴に手を伸ばす。
「さっさと出せ。こっちは急いでるんだ。外からの敵が来る前に、内部の敵を鎮圧しなきゃ押し潰されるんだぞ」
「ニオ君、素直に渡しましょう? ね、お願いです」
抵抗しようとするニオの手を、ハーヴィングが押さえているうちに、フィッシャーは中身のわずかに残ったペットボトルを奪い取る。
「よし。これから内部の敵の鎮圧に行く。その時、残念ながら死者を出すだろう。その死者が、今夜の混乱を招いた薬を盛った犯人だ」
「え? あの、フィッシャー君? 犯人って……」
「だから、これから出る死者の誰かが、いつの間にか料理に毒を入れていたんだよ。ニオは無関係で、偶然ここに運び込まれただけだ。今日運び込まれた潜入役の連中は、ニオを見て慌てた。なにせ、ニオの角は敏感な感覚器だ。計画実行のための密談や動きを気取られるかもしれない。だから昼間、突然男が一人、ニオを見て暴れ出したんだな。男の懸念は正しかった。不穏な動きを察知したニオは、ハーヴィにそれを伝えに来て、俺に情報を教えた」
すらすらと大嘘を並べ立てて、こんなところか、とフィッシャーは呟く。
死者に責任をなすりつけ、生者の罪を軽くする。この合法性の危うい手法を、ゾンビワークと武装隊では呼んでいる。
フィッシャーがこの手法を覚えたのは、サラテックで、MAGの手伝いをしながら和平交渉の事務処理に溺れていた時だ。
MAGの隊員が、交渉を有利に進めるためには、交渉相手を身奇麗にすることも必要だと、教えた方法の一つである。
正しいことだとは、フィッシャーは思っていない。一つの善行で、一つの悪行を打ち消すことの是非など、誰もが納得する回答があるはずもない。
だから、フィッシャーは、自分がやるべきだと考えている。
「良いな、ニオ。ハーヴィも、今の筋書きを覚えたな。そいつは、今日のこの敵の作戦とは無関係だ」
とっさに返事はできないものの、ハーヴィングの表情に、感謝に近い感情が表れたことを見て取ってフィッシャーは満足する。
それから、ニオに、厳しい兄貴分のような目を向ける。
「とりあえずの居場所はできたはずだ。これでもう、他に生き方がないなんて言わせないからな」
ペットボトルを腹部のポウチベルトの一つに挟み、フィッシャーは杖を握りなおす。階下では、とうとう武装隊と負傷兵達が衝突を始めたらしい喧騒が響いてくる。
ゾンビが動くにはこのタイミングしかない。
「俺はハーヴィほど優しくないから、これ以上の手助けもしないし、泣き言も聞かない」
それに――フィッシャーは、二人に背を向けて歩き出しながら、自分が出会ったチームメイトのことを、自慢した。
「お前よりもっときつい条件で、武装隊で生きていくことを決めた奴を、俺は二人も知っている」




