三重の絆7
訓練生は、月に一度、チーム成績が張り出される。
最終的な成績が良ければ、エリートと言われる部隊へ配属されたり、その後の昇進に関わると言われ、成績表の前の訓練生は、眼の色が違う。
もちろん、33番チームも例外ではない。
もっとも、彼等が成績表に期待しているのは遠い将来のことではなく、今まさに彼等が持っている力である。
「ぃよし! キャル、ギンカ、また順位あがったぞ」
フィッシャーが背伸びして覗き込んだ33番チームの表記は、全体の中程にある。
最初は最下位で、前回は中の下くらいであったのだから、立派な成長だ。
声を弾ませて歯を見せるフィッシャーとは異なり、キャルとギンカは眠そうな顔を、わずかに笑みに歪めただけで済ませる。
「なんだよ、元気ないな」
「あ、当たり前だよ、その成績のために、ぼくとギンカがどれだけ勉強したか。フィッシャーのあの課題の量は、悪魔だよ……」
チーム戦の成績だけでは、そろそろ限界だと判断したフィッシャーが、成績発表前の座学試験前に、二人の国語問題児に猛勉強を課したのだ。
恨めしそうに欠伸を噛み殺して睨むキャルの隣では、ギンカも口に手を添えて欠伸を堪えている。
「前衛二人があれくらいの勉強で寝不足になってどうすんだよ。俺より体力あるはずだろ」
「勉強と体力は、別物ですから……」
珍しくギンカが反論する。よほど応えているらしい、とフィッシャーが肩をすくめる。
「まあ、言いたいことはあるみたいだが、ともあれ良くやった。見ての通り、成績あがってるし、この調子で頑張るぞ」
最後の言葉に、ギンカが肩を落とし、キャルが顔を青ざめさせる。
「べ、勉強以外のところで頑張るーじゃ、だめ?」
「ダメに決まってる」
取り付く島もなく、フィッシャーはキャルの甘えた台詞をたたっ斬る。
こうしたところ、近頃のフィッシャーは前より容赦がない。というより、遠慮がなくなった。
「大体、これから先も、文字が読めませんじゃ通用しないだろ。試験前に徹夜なんかしなくて良いように、毎日勉強すること。リーダー命令だ」
「ひい!? 勉強をッ、毎日ッ!?」
キャルが頭を抱えて仰け反り、全身で絶望をアピールする。
「フィッシャー……」
ギンカも、雨に打たれたように目尻を下げ、切なそうに見つめて訴える。
「はいはい、文句はどんどん言ってくれて構わんよ。言われたところで聞かねーけどな! 早速、今週の課題をこの後に言い渡すんで楽しみにしていやがれ」
生贄にかじりつく悪魔のような薄笑みで、少女二人を脅えさせて、フィッシャーは改めて成績表を振り返る。
「15位か……。まずは半分より上に食い込んだな」
作っていた表情が、悪戯に成功したガキ大将のような笑みに変わる。それを見たキャルとギンカが、嬉しそうに顔を見合わせる。
それから、両手をあげて、成績表を楽しげに見つめるリーダーに声をかける。
「へい、リーダー」
「リーダー」
「おう? って、おう」
両手をあげた仲間を見て、フィッシャーもすぐに意図を悟り、同じく手を上げる。
三人でトラインアングルを組んで、思い切り掌をぶつけあう。
響き渡る快音は、周囲にぶちまける勝ち鬨だ。
どうだ見てみやがれ。
33番チームはたった三人、お前等は四人。それでも、俺達の方が強い。
笑いを滲ませたその主張に、舌打ちがいくつか返る。
「たまたま運が良いだけだ」
「調子に乗ってやがる」
成績があがり、目に付くようになったのが不愉快なのだろう。
最近、耳障りな音が、三人にはっきり届くようになった。
フィッシャーが特に不愉快そうに片目をひきつらせるが、ギンカが二人の服を引いて不快音から遠ざける。
「おい、ギンカ」
「聞かない方が良い」
「……わかったよ。まったく、出来た奴だよ」
表情を白くして瞼を伏せるギンカを見て、フィッシャーも仏頂面を示すだけに怒りを留める。
訓練校での生活の中で、ギンカがいなければフィッシャーは何度問題を起こしていたかわからない。33番チームで一番ひどく当たられるのはギンカだが、一番対応が柔らかいのもギンカであった。
そのギンカの背に、不快な音は、まだ届く。
「教わってない技を使った反則だろ」
「そうさ。悪人の娘と犯罪者のチームだからな、汚いのさ」
二人を引っ張るギンカの手に、感情の震えが走る。彼女にとって一番手ひどい言葉をぶつけた声を、フィッシャーは誰か特定している。
1番チームのリーダーだ。初め、ギンカやキャルの机にゴミを撒いた事件の扇動者でもある。
フィッシャーがそのことを特定するのに、時間はかからなかった。
1番チームのリーダーは、親が連合保安局に勤めており、人事担当にツテがあると日頃から自慢していた。
それが嘘ではないらしい。半年も見ていれば、1番チームに対する教官の対応が特別なことがわかる。
通常は訓練生に伝わってはならない情報が、そこから漏れ出しているのは明らかだ。
33番チームに対する悪意の中心には、常に1番チームがあり、そのリーダーがいた。
フィッシャーは、最終的な目標を、1番チームの粉砕と定めている。
剣を呑んだような目をしたフィッシャーに、ギンカが責めるような、それでいて礼を言いたいような顔を向けた。
何を言いたいかはよくわかっていて、苦笑するしかない。
「恨むなってんだろ。見返すだけだ」
「説得力ないよ、フィッシャー」
すかさずからかったキャルに、フィッシャーは叩く素振りでおどけた。
「まあ良い。つまらん連中に構ってる暇はないからな。お前等に課題をプレゼントしないといけないからな」
「う、忘れてくれなかったかぁ」
「お手柔らかに……」
図書館に行こうとした三人を、放送が呼び止める。
教官からフィッシャーへの呼び出しだった。
****
教官との関係が良好の反対であるフィッシャーは、警戒しながら指導室に入った。
その心情を察する経験を持っている教官は、呼び出した用件を、柔らかい口調で説明する。
「訓練生が入校して半年の区切りに、チームの組み換えが行われる。半年も経てば、初めの適性とは違った面も伸びてくるから、それに対応した再編成を行うことになっている。その相談に、フィッシャー訓練生を呼び出した」
「ああ、そういう達しがありましたね。了解です」
「よろしい。では、座りなさい」
フィッシャーは、腹の中で答えを決めて椅子に座る。
チームの再編成。
三人という不利から、四人のチームに移る絶好の機会だ。より成績上位に食い込むことができるかもしれない。
だが、キャルツェとギンカは、一年ずっと、三人のチームに押し込められるだろう。
教官は、考課表を開いてわざとらしく咳払いをした。
「フィッシャー訓練生、33番チームを率いるリーダーとして、良く活躍している。三人チームという不利、またチームメンバーの尖った個性・能力にも関わらず、これを良くまとめ、好成績をあげている。特に最近の成績には、目を見張るものがある。今後の成長に期待するところ大とする」
考課表に書かれた内容らしいことに、フィッシャーは眉をひそめて驚く。
教官への暴言を連発したことに全く触れられていないばかりか、高評価・好印象が記入されている。
教官は、その職務上珍しいことに、訓練生に笑みさえ浮かべて見せた。
「以上の内容を考え、フィッシャー訓練生の希望に特別の留意を図ることとした。フィッシャー訓練生、チーム異動の希望はあるかね」
どこに異動したい、そう聞こえる発音で教官が言ったことに、フィッシャーは毛が逆立つような怒りを覚えた。
自然、答えは喧嘩を買うような口調になる。
「では、フィッシャー訓練生は、現在と同じ33番チームのメンバーでの継続を希望します」
「どういうことだ」
施しを断られたような表情で、教官は唸る。
「フィッシャー訓練生、今の発言はどういうことだ」
「現状のチームでこれからもよろしくやりたい。希望を言えと言われたら、俺の希望はそれだけです。何かご不明な点がありましたか」
「待ちなさい! そう、簡単に決めるものではない。なるほど。君には責任感が強いという面もあるようだ。一度組んだチームを離れがたいのだな」
責任感。フィッシャーは自分の顔を撫でた。
喧嘩腰の反抗的な声から、どうしてそんな大層な言葉が、評価として出てくるのか、フィッシャーは教官の精神構造を疑う。
「確かにチームは離れがたいですけどね」
「そうだろう」
教官は、ほっとした声で続ける。
「だが、考えてみるんだ。三人のチームでそこまで活躍した能力だ、四人チームに異動すればもっと有効に使える。チームメイトも、今の二人よりずっと協調性の富んだ者を揃えられる」
「そいつは結構ですね。なんだか話を聞いていると、俺がまるで特別みたいだ」
フィッシャーの表情をなくした言葉に、教官は、謙遜を見て微苦笑した。
「良くわかっていないようだな、フィッシャー訓練生。君は、キャルツェ・レッドハルト、ヤマガミ・ギンカという二人の問題児を引き連れて、成果をあげてみせたんだ。教官の誰も予想だにしていなかった優秀さを発揮したのだ。まさしく、特別なことだ」
特別――フィッシャーは、教官の言葉を繰り返して、笑った。
「そうか。そんな風に見えるか」
「わかったか。我々はフィッシャー訓練生の才能を、もっと別な形で見てみたいのだ」
「はっ、わかってねえのはあんた等の方だ。この節穴どもめ」
間違えようのない問題児の態度で、フィッシャーは啖呵を切った。
「節穴、だと? 貴様……!」
「節穴じゃなきゃボンクラよ。俺が特別? 優秀だと? どこをどう見りゃそんな話ができるんだか。何も見えてねえ証拠だよ、教官殿」
ようやく教官の立場を思い出した教官が、罰則の鉄拳をぶつける。
だが、罰を恐れず、覚悟をしていれば、そんなものは従属の効果を発揮しない。
表情をますます嘲りに染めて、フィッシャーは教官を睨みつける。
「キャルとギンカが問題児だなんて言いがかりも良いところだ。お前みたいな節穴に、一体あいつ等の何がわかる?」
何も目を見張るところのない能力値の少年は、教官の評価全てを否定した。
「キャルは呆れるほどお喋りで、時々空気も読まずに大声で笑う困った奴だ。どんな時でも明るくて楽しくて、いつもきつい時に笑顔で励ましてくれる。33番チームがまとまっていられるのは、ムードメイカーのキャルの力だ。
ギンカは無口で無表情で、はっきり物を言わないから何を考えてるかわからないことがある。
けど、一度口にしたことは真っ直ぐ貫き、自分に石を投げてくる相手にさえ怒りを堪える我慢強くて優しい奴だ。
33番チームが問題を起こさないのは、ギンカが優しいからだ。
俺が何をしてるかって? 俺は何もしちゃいない。俺はいつもあいつらに助けられているだけだ」
「そんなはずはない! 撤回しろ、奴等は問題児だ!」
「はず、ってのは何だよ! お前等の目には何一つ正しく映らないんだな!」
フィッシャーは、教官達の魂胆を看破した。
自分が高い評価を受けた理由も理解した。
どういうねじれの結果、そうなったのかはわからないが、教官達は問題児と定めた二人に、好成績を上げられては困るのだ。
何一つ正しいことはない。
「正しく物事が見えていないのは貴様だ、フィッシャー! 奴等はな、訓練生が噂している通りの出自なんだよ!」
「はっ、噂なんざ知らないな!」
ならば教えてやると、教官は頼んでもいないのにまくしたてる。
「キャルツェは捨て子として入った養育施設から逃げ出し、地方都市で窃盗の常習犯だった路上生活者だぞ、逮捕されて更生施設からここへ来たんだ! ギンカは、剣山の反乱の首謀者の娘だ。あの反乱でどれだけの局員が犠牲になったと思っている!」
波が失せた浜辺は、天変地異を予兆させる。
それと似たものが、フィッシャーの表情を支配した。
「それがどうした、下衆野郎」
「っ、まだわからんか!」
再度放たれた鉄拳も、フィッシャーの言葉を奪いはしない。
「奴等が昔に何をしていようと、今の貴様等よりずっと好きなんだよ。なんたって、こんな俺をリーダーって呼んでくれる、俺の仲間だからな。貴様等なんぞと、比べ物にならねえ」
フィッシャーは、感情の全てを拳に流し込みながら、立ち上がる。
「一つ、俺のチームについて教えてやる。俺等で一番問題なのはな、貴様の目の前にいる男だよ!」
33番チーム一等の問題児は、教官に対して拳を振り上げ、机を蹴り上げた。
油断なく拳を防ごうとした教官が、机をぶつけられて壁によろける。
「せえの!」
訓練校で半年鍛え上げた拳を、教官の拳にねじ込み、振り抜く。
「はっ、ざまあみやがれ!」
「き、貴様、教官に手を上げて――」
「教官のつもりのクソが何を言うつもりか存じ上げねえが、ついさっきその口から垂れた俺の仲間の個人情報、訓練生に漏らして良い内容かよ」
脅し文句を言いかけた教官の口が、開いたまま固まる。
自分が問題行為を起こしたと気づいた間抜けな顔に、フィッシャーは鼻を鳴らす。
「高い評価ありがとうよ、クソ喰らえだ」
血の混じった唾を吐き捨て、フィッシャーは指導室を勝手に出て行く。
叩きあけたドアの横に、33番チームの仲間がいた。
「あー、と……いたのか」
訓練校の神に等しい教官相手に、容赦なく文句を吐いた舌がもつれる。
二人の、寂しさを内に秘めた微笑を見られず、フィッシャーは俯く。
二人を代表して、キャルが言う。
「フィッシャー、図書館、行こうよ。勉強、しなきゃいけないでしょ」
****
国語勉強用課題の受け渡しは、三人には似合わないほど静かに進んだ。
こういう時に余計なお喋りをせずにはいられないキャルが、一言で課題を受け取ったからだ。
「じゃ、それが今週分だ。しっかりやってくれ」
「はーい」
「はい」
それきり、会話が途切れる。
キャルが静かだと、こんなに静かなのかと、驚かされるほどだ。
普段の三人なら、どれほど静かでも気にしなかったかもしれない。
たまにはこういうのも良いかと、それぞれが沈黙に寄り添えるほどに仲を深めている。
ただ今は、二人が語らなかった過去を、フィッシャーが知ってしまった。それが、無言に棘を生やしている。
「まあ、今更って感じはするけどさ」
こういう時、沈黙を掻き分けるのは、やはりキャルだった。
少女は、大人びた笑みで仲間に語りかける。
「ぼく、養育施設に捨てられてたんだって。ほんの赤子のことらしくて、ぼく自身は覚えてないんだけどさ」
噂は本当だと、キャルは認めた。
「そうか」
フィッシャーが、頷いてキャルに体を向ける。
噂で知っている、教官から聞いたなどとは言わない。
正面から、少女自身の言葉を受け止める。
仲間だから聞くのだと言わんばかりのフィッシャーに、キャルはくすぐったそうに肩をすくめる。
「その養育施設が、ひどくってさ。食べ物もろくにくれないし、すぐぶたれるし……物心ついた頃には飛び出したんだ。一応追っ手はかかって、電車だかトラックだかの荷台に逃げ込んで、街からも逃げ出して……あの養育施設がなんて街にあったかも、今じゃわかんない。ぼくは、親のことも、生まれ故郷のことも、わかんないんだよね。だから、今年で十六歳っていうのも、実はデタラメ、誕生日もわかんない」
「もっと年下かもしれないのかよ。ありえるな」
「見た目で判断してるでしょ? 年上かもしんないんだよ」
フィッシャーの相槌に、キャルはくすりと笑う。
「ま、そんなわけで、見知らぬ土地で子供一人、養育施設はひどいところだって思ってるから、生きていく手段は一つっきゃないよね。物乞いもしてたけど……大抵は盗んだり騙したり、他の似たような人達とつるんで、色々悪さしたよ」
その中にあった無数の辛いことを、キャルは笑みに混じらせた苦味で表現する。
「そんな悪ガキが、なんでこんなとこにいるかっていうと、お節介な保安局員がいてさ。悪さしたぼく等を捕まえはするけど、何もしてない時に街で会うと、御飯食べさせてくれるの。何度も、何度も、自腹でね。ぼくみたいなのは、口で良い事言う人は信じられない。悪党だって綺麗事は言えるってこと、悪党が一番良く知ってる。でも、薄いお財布から出された綺麗事は、信じられる」
安い月給だということは、身なりを見れば良くわかる。
使い古した一張羅、ローテーションの少ない靴、それでも、保安局員は食事を奢ってくれていた。
貧乏な保安局員を、キャルは自慢するように教える。
「その人は、マーサさんって言うの。どうやったって根絶できないから、真面目に取り締まりさえされないぼく等を、真剣に追いかけ回して、真剣に向き合って、真剣に考えてくれた。そのせいで出世が遅れても、平気な顔して笑ってる。ぼくは、生まれて初めてこんな大人になりたいって思った。日も当たらない路地裏で、初めて、未来に、自分に夢を見た」
その夢の最中を駆けている少女は、自分を自慢して――自分を変えた人を自慢して――胸を張る。
「だから、キャルツェ・レッドハルトはここにいる。元犯罪者で、字もろくに読めない馬鹿だけど、ぼくがここにいることは、誰にも否定させない」
不敵な強さのある笑顔をむき出しに、少女は宣言する。
「あー! さっぱりした! なんか本当に今更でごめんね!」
「馬鹿、謝ることあるか」
途端におどけようとするキャルに、フィッシャーははっきりと告げる。
「話してくれて、嬉しかった。ありがとう」
「やだ、そっちこそ、お礼なんていいよ! 別に言わなくて良い事だし、ぼくが、二人には言っておきたいなって、勝手に思っただけだから。なんていうか、むしろ、ありがとう」
ありがとう――キャルは、もう一度、心の中で口にする。
お節介なリーダーに出会えた感謝は、恥ずかしくて、とても口にはできない。
マーサに対して、そうだったように。
つっかえが取れたような二人を見て、ギンカは、一人で頷いた。
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