一つの道先16
キンドアの街で、一番値段の高いレストランで、かつてない速度で料理が給仕されていた。
「はぐ、むぐ、もぐ……んふ、おいひいれすぅ。これ、もう一皿、おねがいしまふ」
子羊のステーキを三口で片づけた直後にその告げられて、ウェイターは表情の引きつりを懸命に抑えて頷いた。
空いた皿を片付けながら厨房へ行くウェイターと入れ違いに、別なウェイターは大盛りのパスタを運んでくる。顔色はどちらも似たようなもので、この日の客が伝説になるだろうことを確信させた。
「なあ、コールドマンさん」
成金丸出しファッションのゴールドマンが、ブランデーを片手にたずねる。
「前会った時もすごかったけど、今日は三倍はすごくね?」
交代交代のウェイターさえ胃を押さえる食欲を前に、ゴールドマンはフォークを持つ気力もない。
お酒だけをちびちびと口にふくむだけになって、すでに三十分は経つ。
「ちょっとストレスがたまっているみたいで」
なんてことないように答えたコールドマンは、最初から水しか飲んでいない。
「ストレスでこうなるんだ、その子。なに、用意してたホテルが悪かった?」
「いや、そういうのじゃないんですよ。あんまり外に食事に出られなくて、美味しそうな物があるのに食べられないことにお怒りなんです」
「で、ここぞとばかりに食いまくってるんだ、今」
「ええ、ご馳走になります」
営業スマイルで告げられた台詞に、ゴールドマンは上空に向かって、店のランク二つくらい下げとけば良かった、と後悔を漏らした。
「ま、まあ、良いや。カードで払う。でも、なんで外で食べられなかったんだ? 政府にマークされてたのか?」
「ううん、どうでしょう。偶然かもしれませんし、目をつけられているのかもしれません。今日はそのご相談もと思いましてね」
冗談はここまで、真剣な仕事の話だと、ゴールドマンはサングラスを押し上げて頷く。
今日、ゴールドマンがキンドアまでわざわざやって来たのは、ピリンザ準自治区で準備していた計画を発動する、最終決定を判断するためなのだ。
「チバナさんの素性に気づきそうな武装隊員と、遭遇しました。その武装隊員は、ひんぱんに飲食店を利用するようで、チバナさんと行動パターンが重なりましてね」
「それで、外出を控えざるをえなかったってわけかい」
見る見る大盛りパスタを平らげていく少女は、一応話を聞いているらしく、頬をいっぱいにふくらませながら、小さく頷いた。
その仕草に、ゴールドマンは肩を揺らして笑う。
「やっぱ可愛いなぁ、この子。超面白い。……で、素性に気づきそうってのは?」
「その武装隊員は、ハイホーンズの知り合いがいるんですよ。それも、チバナさんと顔立ちや剣術が似た人とお知り合いで。実際、初めてお店で遭遇した時に、知り合いにそっくりだったから驚いた、と言っていたそうです」
「そいつとは、それっきり会っていないのか? その時、連絡先を聞かれたりとかは?」
チバナは首を振って否定する。
二人前はあったパスタは、返事をしようとするその小さな口の中に消えてしまっていた。
「すいません、そういうことはなかったです。その後も何度かお店でニアミスしましたけど、特に追いかけられたりはしてないですね」
「んじゃあ、偶然なんじゃない? そりゃ、ハイホーンズと交友がある奴なんて珍しいけど、いないってわけじゃないんだしさ」
楽観的なゴールドマンの意見に、コールドマンも頷いた。
「ええ、その武装隊員も偶然だと思っているでしょう。でも、その偶然を演出した人物がいるとしたら?」
「へえ。コールドマンさんの推測を、お聞きしたいね」
誘う言葉に、コールドマンは営業スマイルをするりと脱いで、実に楽しそうに笑った。
「では、私の考えを述べますが……その武装隊員――彼は、この地域の警報装置として派遣されたものだと思います」
当の本人も気づいていないだろう。ただ普通の配属先だと思っている可能性が高い。
だが、配属を手配した側は、期待しているはずだ。この地域に怪しい動きがあれば、彼ならば動きを察知し、なんらかのリアクションを起こすはずだと。
「ずいぶんと、その武装隊員は評価されているみたいだな。話を聞くと、そいつはたった一人だろ? その一人で、俺達組織を釣り上げようってか?」
ゴールドマンの口調は、皮肉が混じっていた。
組織を甘く見ている武装隊の考えには嘲笑を禁じえないし、武装隊同様に〝彼〟を評価しているコールドマンの口振りにはいらだちを覚える。
「バッカバカしい。牛で竜を釣るなんて言葉があるらしいが、その時には牛は死んじまうし、釣り上げた竜は罠師だって噛み殺すぜ」
自分の計画は、そんな一人に狂わされるほど小さくはない。ゴールドマンはごつい指輪を擦り合わせながら、拳を握る。
「まどろっこしい言い回しは止めようぜ、コールドマン。その〝彼〟ってのはどこの精鋭だ。MAGが動いているとは聞いてない。MAGやレンジャーの経験者? それとも、情報部の一匹狼か?」
「そんな大物じゃありませんよ」
成金には持ち得ない猛々しさをわずかに覗かせるゴールドマンに、コールドマンは自慢するように彼の正体を教える。
「彼は、ただの新人ですよ。訓練校を卒業したばかりの、輸送隊の一隊員です」
「はあ?」
豪快に気合の空振りをしたゴールドマンは、サングラスをずり落とす勢いで顎を落とした後、店中の視線を集める声で笑い出した。
「マ、マジかよ、輸送隊員とか、そりゃ予想外だったわ! 荷運びのエキスパートとかおっかねえや!」
追加の料理を運んできたウェイターが、あまりの大声に控え目に注意を入れたのも無視して、ゴールドマンは笑う。
止められない笑い声が止めたのは、ゴールドマンの隣で、落ち着いたペースでナイフとフォークを動かし続けていた護衛の美女だ。
美女が食事の手を止めた。
その一事で状況の変化を察し、ゴールドマンは美女の視線の先を追う。
届いたばかりの子羊のステーキを、切り分けもせずにかじりついた少女が、それまで見向きもしなかったゴールドマンの顔を凝視していた。
本当に牙を突き立てたいのは、視線の先の男の首筋だと言い出しそうな満面の笑みは、どんな猛獣より凶暴に見えた。
「あれ?」
異常に気づくには充分すぎる沈黙に、チバナがかじっていたステーキを落として驚いた。
「すいません、ちょっと今、あたし変でしたね? あれ、おかしいですね。自分でもちょっとなんだかわからなくて、すいません、頭悪いんですよね、あたし」
おかしいな、と自分で首を傾げながら、チバナは再びステーキにかじりつく。
そこにはもう、凶暴さは見当たらない。だが、一瞬味わったチバナの視線に、ゴールドマンは、自分の護衛が彼女を嫌う理由が良くわかった。
あれは制御できない。
あれは、自分ですら自分を制御できていない。
相打ち狙いで勝負を挑むとか、そういうのではない。
あれは斬りたいと思ったら、自分の命も他人の命も眼中にない。ただ斬りたいものを斬りに行く怨念の類だ。
護衛に使うような手札じゃねえだろ――背を流れる冷や汗と共に、コールドマンにひそかに罵倒を送りつける。
罵倒の先では、楽しげなコールドマンが少女の頭を撫でている。
「チバナさんも、彼のことを気に入っているみたいですね」
「そうなんれしょうか。ふいまふぇん、よくわからないれふ」
「きっとそうですよ。私と一緒です。気が合いますね」
「すいません、それだけはないです。コールドマンさんと気が合う人なんてこの世に存在しませんよ、すいませんけど」
営業スマイルと曖昧な笑みが、見えない感情で笑いあう。
真っ当な人間とは自分でも思っていないゴールドマンですら、頭がおかしいぞと教えてやりたくなる二人組だ。
「ああ、まあ、なんだ。お二人さん、話を先に進めてくれ」
「うん? ああ、ええと、なんでしたっけ?」
「その、輸送隊の新人の……」
コールドマンは、わざとらしく手を打ち合わせて頷く。
「そうでした、そうでした。ええ、彼なんですが、名前はフィッシャー・ブルードロップ。私にとっては印象深い人でしてね」
「知っている」
コールドマンの長くなりそうな話を、指輪のついた手を上げて止める。
「なるほど、あんたが評価するわけだ。サラテックでのあんたの敵だったわけだからな」
ゴールドマンは、腕を組んでふんぞり返る。内心に余裕を、大急ぎで取り戻す。
「つまりあんたは、自分の計画を打ち破った相手がいるから、俺の計画も危ないぞって言いたいわけだ」
「ええ、そうなりますかね」
「だが、そいつは過大評価じゃないか?」
ゴールドマンは、その新人の名前を知っていた。彼が33番チームであったことも、そのチームメイトのことも、調べ上げていた。
コールドマンの敵だからだ。
「たしかに、コールドマンさんのとこの騒動、驚くほどうまくまとめあげたもんだよ。それで訓練生だってんだから驚きだ」
その通りなんですよ、と営業スマイルは嬉しそうに頷く。
「ただし、騒動をまとめたのは、その輸送隊の彼の力っていうより、そのほかの二人だろ? 情報部に行った奴と、界交部に行った奴。特にハイホーンズかな、あれが交渉役としてうまくまとめたからこそだろ?」
「それはどうでしょう。いえ、もちろん、ハイホーンズのギンカさん、もう一人のキャルツェさんの力があってこそと思いますが」
「そう、優秀なチームだからこその成果だ。それがいまや一人になって、特別強くもないガキ一匹、何ができる?」
「さあ、なにができるでしょう?」
嘲笑が強かったゴールドマンの言いように対し、コールドマンはお楽しみの映画を語るように高揚していた。
「ええ、ええ、ゴールドマンさんの言うとおり。フィッシャーさん個人には、状況を打開する特殊能力はないかのように見えます。いえ、私もないと思います」
「じゃあ、なんの問題もない」
「でも、あの子の能力は、恐らくは、状況を打開するものではないんです」
コールドマンの営業スマイルは、この時、不吉な予言者のようだった。
しかも、予言者が例外なくそうであるように、肝心なところを言おうとはしない。
「まあ、そんなことより、どうします? 私としては、やはり不安要素があるこの計画、停止をお勧めしますけれど」
ゴールドマンが舌打ちを堪えられたのは、この計画のために費やした労力を思えばこそだった。
「いや、計画は実施するよ。なに、前から言ってる通り、失敗したって大した損害はでないんだ。パーっとやろう、パーッとね」
「ううん、やっぱりそうですか。ええ、ええ、そうだと思いました」
計画に不備と不満を見つけながらも、コールドマンは喜んで、不完全な計画の実施を受け入れる。
それがまた、ゴールドマンには不愉快だった。
「では、実施ということで、よろしいですね?」
「ああ。次に良い機会があったら、即時実施でよろしく、コールドマンさん」
仕方ありませんね、というコールドマンの台詞は、弾んでいた。
「では、潜りこんでいる方達と接触をはかりましょう。うぅん、組織への忠誠心はやはりないでしょうし、あんまり居心地が良くて寝返ってないと良いんですけどね」
コールドマンは、最後まで計画への不満を漏らしながら席を立つ。
そのスーツの裾を、隣から伸びた手が引っ張る。
「どうしました、チバナさん。お話はもう終わりですが」
「すいません。デザートが、まだです」
ゴールドマンはたまらず、金は払うから二人だけで食べてくれと、胃を抑えながら提案した。




