一つの道先14
大きな振動に襲われて、フィッシャーは目を開いた。
護衛車両の後部座席から確認できる光景は、ピリンザ準自治区の市街部に入ったものらしい。寝ぼけ眼をこすりながら、昨夜、脳内に叩き込んだ地図と照合して、そう判断した。
「寝てたか」
新人の呟きに、運転席からほがらかとは言い難い笑いが返る。
「優しい目覚ましだっただろ」
運転手の声に悪意を感じてフィッシャーが路面を見ると、あちこちに大きな穴が空いている。
どうやら、わざと穴にはまって車を揺らしたらしい。
「あんまり新人をいじめないでください」
「お前みたいなふてぶてしい新人がいるかっ」
これには、助手席の小隊長も同意の笑いをもらす。
「たしかに。寝ても良いとは言ったが、本当に寝られるとはなぁ」
出発前、さんざん気をつけた方が良い、と言っておいて寝息を立てたのだから、小隊長は苦笑するしかなかっただろう。
フィッシャーも少し気まずい。
「ま、それだけ先輩を信頼しているってことですよ」
これは本音だった。
徹夜で体調が厳しかったために休息の許可をもらっていたが、これが訓練生時代だったらフィッシャーは眠ることはなかったはずだ。
やはり、かつての仲間と別れ、リーダーの重荷をおろした余裕があるようだ。
自分がカバーしなければ、ではなく、誰かがカバーしてくれるはず、というのは、ずいぶんと気が楽だ。
これが気の緩みでなければ良いが、とフィッシャーは顔を撫でる。
「そういえば、配達先のフリークロス、でしたっけ?」
運転手の問いに、小隊長は気さくに頷く。
「ああ、そうだ。紛争地なんかで医療行為に従事する、医師団だな」
「気合の入ったお医者様達ですけど、敵の人間も面倒見てるって本当ですかね」
フィッシャーは初耳だったが、小隊長の連絡網にはかかっていたようで、そうらしい、と答えが出る。
「ピリンザの民間人が、倒れている兵士を見つけて運びこむようだ」
「なんだって敵の面倒まで見てるんだか。警護の武装隊もいるんでしょ?」
不満そうに唇を尖らせる運転手に、小隊長は立場上、たしなめる様子を見せた。
「武装隊の規則には、敵であれ、傷ついて抵抗できないのであれば、これを保護することとある」
「助けた奴に後ろから刺されたら間抜けも良いとこですよ」
運転手の台詞は、思わず頷いてしまう説得力を持っていたので、小隊長も改めてたしなめることはなかった。
その代わり、後部座席から、軽い笑いの波長で意見が出る。
「武装隊員がそうなったら間抜けだけど、医者がそうなっても間抜けとは言えないでしょう」
「そうか? 武装隊だろうが医者だろうが、助けた後に殺されたらなぁ」
フィッシャーは、きっぱりと先輩の言葉を否定した。
「いいや、武装隊は敵と戦うのが仕事だから、敵に刺されたら間抜けです。でも、医者は患者を助けるのが仕事ですから。医者を刺せるほど患者を元気にしたら、そいつは仕事を果たしたってことです」
「それで医者が死んでどうすんだよ」
「医者は敵と戦うのが仕事じゃありませんからね。それは誰かが守ってやらないといけません」
小隊長が、舌戦の勝者を讃えて笑った。
「つまり俺達が守らないといけないな」
「そういうことです。まあ、ずいぶんとこっちが不利な条件ですがね」
得意げな新人の声に、運転手は負け惜しみにしか聞こえない悪態をつく。
「なんでえ、ずいぶんと医者の肩を持つじゃないか。さては女医マニアか女看護師マニアか」
「違います」
即答しながら、一瞬、フィッシャーはかつての仲間二人によからぬ想像を重ねてしまう。
狼狽を誤魔化すためにした咳払いは、いささかわざとらしかった。
「中等部の時の友達が、医大生なんですよ」
小隊長が、道理で、と感心した相槌を打つ。
「ここに配属する前、会おうと思ったんですが、すれ違いだったみたいで」
今は、なにを頑張っているのやら――平凡だった自分に武装隊入りを決意させた少女の記憶に、フィッシャーは優しいとしか表現できない微笑みを浮かべた。
フリークロスの拠点の前に到着すると、護衛の武装隊員が手を振って出迎えてくれる。
チャールズが所属の確認をして、問題ないことを確かめると、フィッシャーに声をかけた。
「車内でじっくり休んだな。お前は医者と仲良くなれそうだから、向こうの担当と荷物の確認をしてくれ」
「了解」
荷物リストを受け取って、フィッシャーは臨時病院のロビーへと入っていく。
当然というべきか、窓口に常駐の受付がいるわけではなく、フィッシャーは仕方なく、廊下に響く程度の声をあげた。
「輸送隊ですが、荷物の引き渡しの確認をお願いします」
せわしく廊下を往復するフリークロスのメンバー達のうち、白衣の女性が跳ね馬のように力強い足を止めた。
「ほう、ずいぶんと若いのが来たね」
「どうも。確認はどちらですれば?」
「ああ、ちょっとそこで待ってな、じきに担当者が降りてくるよ」
「了解。忙しいところ、ありがとうございます」
足を止めて教えてくれたことに礼を言うと、女性は好意的な吐息を漏らす。
「担当は新人の可愛い子ちゃんだ。いじめないでやってくれよ」
「あー、了解。気をつけます」
今の言い方で、その新人がいじられているんだろうなと、フィッシャーは直感して、同情を抱いた。
それだけで仲良くやれそうだなと思いながら、フィッシャーは壁に背を預けて待つことにした。
****
ハーヴィングは、休憩室で午前の診察を終えた体を休めていた。
室内にはほかにも、空いているベッドに寝そべって休んでいる者や、雑誌を眺めている者がいて、その間を小柄な少年が駆け回っている。
医師や看護師に、コーヒーを飲むか聞いて回った少年・ニオは、最後にハーヴィングのところへやって来る。
「ハーヴィは、コーヒー、飲む?」
「うん、お願いします、ニオ君」
笑ってハーヴィングが応えると、ニオははにかんだ笑顔で頷く。
まだ足は少し引きずる形だが、心身ともに元気になった。今は、こうした雑事を手伝うようになり、武装隊員の監視の目も、角が取れたようだった。
ニオが小さい体でテーブルにコップを並べる様子を、心配半分、楽しさ半分で眺めていたハーヴィングに、ドアの外から武装隊員が声をかける。
「輸送隊が到着した。そっちの荷物の確認係、今日は誰が行く?」
「あ、私です」
ハーヴィングが慌てて立ち上がり、手元に置いていた受領リストを掴む。
今日の担当は、クダゾとヒマリが二人がかりでハーヴィングを推したのだ。新人に経験を積ませると言われれば文句がないのだが、二人の推薦理由は、新しい輸送隊に若くて可愛い娘をぶつけて印象を良くしよう、だったので、真面目な彼女もいささか意欲に欠けるところがある。
「ニオ君、ごめんなさい。コーヒーはもうちょっと後で頂きます」
まだコーヒーの入っていない自分のグラスにそう断って、ハーヴィングはロビーへと小走りに降りていく。
相手はすぐにわかるつもりだった。
輸送の武装隊員は居場所もやることもないロビーで、たいてい休めの姿勢で、背筋を伸ばして待ちぼうけているのだ。
おおむね、視線は周囲を警戒するように見回しているのがお約束だ。
ところが、その日は違った。
すぐには見つけられなかった相手を、ハーヴィングは壁際に見出した。
壁にもたれて、天井を見上げて何事かを考えている。
その考えこむ仕草が、良く知っている誰かに似ていて、いや誰かそのもので、ハーヴィングは一瞬にして思考が停止して、病院中に響くような大声をあげた。
思考が再開したのは、自分が、エで表現する驚きを、息が続く限り吐き出した後だ。
壁にもたれていたその人が、砂漠のど真ん中で生きた魚に出くわしたような、驚愕の表情を浮かべて硬直している。
たぶん、ハーヴィング自身も同じ顔をしている。
突然の叫び声に、病院中の誰も彼もが、なんだなんだと視線を注ぐ中、二人は身動きもできずに見つめ合う。
やがて、武装隊の制服を着た方が、相手の身元を問い合わせる言葉を発した。
「そんな大きな声、合格した時も出したか?」
白衣を着た方が、それを肯定する言葉で応えた。
「あ、え……そ、その節は、大変お世話になりまして……」
会話は微妙にかみ合わなかったが、二人とも、ゆっくりとお互いに頷く。
「やっぱりハーヴィ!?」
「やっぱりフィッシャー君!?」
二年半ぶりの再会は、周囲の多大な関心を引きながら行われることとなった。




