一つの道先9
運ばれてきた患者への処置は、クダゾの助けを受けながら、ハーヴィングが担当した。
出血は派手であったが、傷自体は大したことがなかったためだ。太ももにある動脈を切られたらしく、放置すれば命に関わるものであったが、処置は十分に間に合った。
輸血の代わりに点滴をして、ハーヴィングは患者の横に腰を下ろす。
この後、出入り口に立った見張りの武装隊員と共に、少なくとも目覚めるまで付き添うのが、ハーヴィングの仕事だ。
「まだ、子供ですね」
治療中も確認した事実を、ハーヴィングは小声で再確認する。
患者は、十代半ばと思われる少年だった。
武器は怪我をした時に落としたのか、見当たらない。服装も、今は着替えさせたが、街中で普通に見かけるようなものだった。
本当に、輸送隊を襲ったという敵の人間なのだろうか。
首を傾げてハーヴィングが見守る中、点滴の効果が表れたのか、少年の瞼が震えた。
「もしもし、気がつきましたか?」
「う……?」
重い眠りから覚めたように、少年はくもった瞳を泳がせる。
しばらく、自分が見知らぬ場所で、見知らぬ人物に見つめられていることに、少年は気づかなかったようだ。
それに気がついた瞬間、少年は跳ね起きた。
「っ! だ、だれっ!」
「落ち着いてください、わたしは医者です。急に動くと、貧血を起こしますよ」
すでに貧血性のめまいに襲われている少年に、ハーヴィングは可能な限り優しい声で告げた。
「くぅ……い、医者? どこの医者?」
問いかけは、自分が知っている医者、恐らくは反政府組織の医者であることを期待しているような響きを持っていた。
「フリークロスです。半月前、ピリンザ準自治区へやって来ました。知っていますか?」
「聞いたことは、ある」
警戒を強めた顔で、少年は身を縮める。
不安がるのは当然のことだと、先輩から聞かされていたハーヴィングは、笑顔を保ったまま、声をかけ続ける。
「大丈夫ですよ、治療をしただけです。痛いところとか、ありませんか? わたし、まだ角がある人の治療をあまりしたことがなくて……角、平気ですか?」
少年の頭部から、背中の方に向かって突き出している二本の角を見ながらたずねる。
気絶している時は短かったのだが、跳ね起きた時に飛び出すように伸びたのだ。
少年はゆっくりと頭部を振って、ドアの方へ脅えた眼を向ける。
少年がベッドの上で後退るのも無理はない。武装隊員は、少年が妙な動きをしないよう、すると願っているような目つきで睨みつけていた。
「大丈夫です。この建物を警備している人ですから、なにも怖くないですよ」
ハーヴィング自身、言葉に説得力を感じることは難しかった。
「えーと、とにかく、痛いところはないですか? 無理に動くと、足の傷は痛むと思いますけど」
「い、痛いところは、ない、けど……武装隊」
「大丈夫、この病院に受け入れてくれたのもあの人達ですから、あの人もあなたを傷つけたりしません」
本当かと、少年は重ねて問わなかった。どう答えられても、すぐに信じることが無理だからだ。
無意識に自分の弱った部分、足の傷を押さえる少年は、少しでも弱みを見せないようにとしているらしい。
ハーヴィングは、かつて前髪の下に気弱な表情を隠していた経験から、そう察した。
「あなた、お名前は?」
問いかけとともに、ハーヴィングは少年の手に、手を重ねる。
「わたしはハーヴィング・ターコイゼン。あなたの治療を担当しました。ハーヴィって呼んでください」
治療を担当した、という部分で、少年の手が震えた。
ぎゅっと閉じられていた唇が、なにかを言いかけて、言えずに空転する。
感謝の言葉を言おうとして、言えなかったのだ。
少年は、目の前の医者を、敵に近い対象として恐れていた。
「うぅん、まあ、無理には聞きません。ちょっと残念です。じゃあ、なんて呼びましょう」
少年の態度をなんてことないように笑って流しながら、ハーヴィングは水差しに手を伸ばす。
「お水、飲みません? 喉かわいていませんか」
相手が応える前に、コップを手渡してしまう。喉が渇いているのは知っているのだ。
「ゆっくり口にふくんでくださいね」
少年がまた唇を小さく震わせたところで、ドアの武装隊員が、ハーヴィングに呼びかける。
「ドクター、ちょっと」
「はい。ごめんなさい、少しお話してきますね」
不安さが再び厚く塗りこまれた少年の表情に笑いかけて、ハーヴィングは武装隊員に近寄ると、いらだった声が待ち受けていた。
「なあ、確認をさっさと済ませてくれないか」
「いきなり聞いたら恐がりますよ。まだ目が覚めたばかりですし」
「それはわかるが」
わかる気はない、と言いたげな口調の隊員は、少年を睨もうとする。
意外な素早さで、ハーヴィングが自分の体で、その視線をふさいだ。
「あまり怖がらせないでください。まだ子供ですよ」
「敵はその子供を戦いに使うんだ。暴れだしたら、あんたもどうなるかわかんないぞ」
「あなたや、武装隊の方達に心配をおかけすることは、申し訳ないとは思います」
詫びたところで、納得できることではないだろうが、ハーヴィングは頭を下げる。
「ですが、医術者として接することが、わたしの仕事なんです」
「なんでこんな頑固者が多いんだ、あんたら」
武装隊員は、怒りと呆れをないまぜにした溜息で、納得しきれない現状を、なんとか受け入れる努力をした。
「わかった。とにかく、警戒はこっちでしてやるから、抵抗しないように言い聞かせてくれ。本当なら手錠をかけてやりたいくらいなんだが」
「ここは病院です。暴れない限り、患者を束縛するような真似は」
「わかった、わかったって……。幸い、あんたの言うとおり相手はガキだ。武器もないし、敵意も、まあ薄いようだ。怪我で動きも悪いだろうし」
大量の言い訳を、自分自身に言い聞かせ、隊員はハーヴィングから顔をそらす。
「あとは、美人のドクターに免じて、なんとか我慢するよ」
「あ、ありがとうございます」
突然の褒め言葉に、ハーヴィングの表情が溶けたように照れる。
「じゃ、十分に言い聞かせてくれよ。あんたらがそんなに大事にする患者を傷つけたら、俺だって後味が悪い」
「はい。ありがとうございます」
追い払う仕草をする武装隊員に、もう一度頭を下げて、ハーヴィングは少年の隣に戻る。
「さて、と。お水、おかわりはいります?」
返事はなかった。
ただ、少年は、上目づかいになにかを訴えようとしている。
こういう時、どうすれば良いか、ハーヴィングは知っていた。
中等部の頃、よくこうして他人の顔色をうかがっていた自分の言葉を、とある少年は優しい笑顔で待っていてくれたから。
「はい?」
同じような笑顔に見えれば良い。そう願って、ハーヴィングは微笑む。
「あの……ニオ」
それがなんなのか、不思議な顔をしたハーヴィングに、少年がつけたした。
「ぼくの、名前」
「ニオくん?」
少年は、敏感な感覚器である角を通して把握していた武装隊員との会話から、必要な意思を伝えた。
「暴れたりしない。約束、します」
「ほんとですか」
ハーヴィングの言葉は、疑いの問いかけというより、相手の言葉が嬉しくて、もう一度聞きたいようだった。
少年は、かすれるような小さい声で、俯きながら伝える。
「暴れない。もう、戦うの嫌だから、約束」
かつての勉強を教えてくれた少年が見た自分も、こんな風だったのだろうか。
どんどん背が丸まって、前のめりに崩れ落ちそうで、放っておけない気持ちにさせる。
今度会えたら、聞いてみよう。そう思いながら、ハーヴィングは笑った。
「じゃあ、約束しましたよ、ニオくん」




