一つの道先6
フリークロスのマークをつけた大型車両が、次々と停車する。
フリークロス所属の医師・看護師が目にしたのは、くたびれ、ひびわれ、皆で押せば崩れてしまいそうな、四階建てのビルだった。
「これは……ドアや窓があるだけマシ、と、言うべき? ……なんでしょうか」
ハーヴィングがためらいがちに呟くと、周囲の先輩達は、慣れた様子で感心する。
「うん。マシマシ。ただし、ないよりマシってだけだな!」
「そんなこと言わないの。ありがたいじゃないの、テントじゃないだけ」
ははは、と朗らかに笑う先輩達に、ハーヴィングはこれが自分達フリークロスの当たり前の病院なのだと驚きながら感得する。
その背を、クダゾが叩いた。
「しゃっきりしろ。まともな建物が用意できるような場所なら、俺達フリークロスは必要ないんだからな」
「すいません、覚悟が足りなかったみたいです」
表情を引き締めたハーヴィングに、クダゾはごつめの顔を緩める。
「いやなに、初めはみんな、お前と同じリアクションだぞ。まあ、いきなりテントだった奴は特にひどいが」
テントじゃないだけありがたい、と笑っていた女医師ヒマリが、クダゾの言葉に頷く。
「あの時は正直、後悔を覚えたわね。大人しく地元の病院に就職すべきだったかーってね」
後悔をしながらも、それでもまだこの現場にいる医師は、腕まくりをしてビルに向かう。
「さあ、野郎どもは荷物を車から降ろして。女性陣は建物内を軽く掃除して、邪魔なゴミがあったらどかすわよ。ハーヴィもこっちね。たぶん、中もすごいから、悲鳴あげるなら小さめにね。敵襲と間違われるから」
「は、はい、気をつけます」
「なあに、すぐに慣れるわ。こういうのはね、男どもより女の方が何倍も強いんだから」
ヒマリの言葉に、クダゾを中心に男性陣が苦笑する。
反論はない。実際、ヒマリの度胸はこの中でも随一なのだ。
跳ね馬に例えられる律動的な早足で、ヒマリはビルのドアを開け――ようとして、失敗する。嫌な軋む音が、ドアの開閉を邪魔しているようだった。
「ぬっ? くっ! むっ!?」
三度試して開かぬドアに、ヒマリの眉間に危険なシワが寄る。
「ええい往生際の悪い!」
医者が使うとは思えぬ言葉と共に、蹴りがドアを襲う。
その一撃で往生したのか、ドアはゆっくりと、ぎぃぎぃ泣きながら入場を許してくれた。
「これでよし! こりゃ他のドアも危ないから、みんな、今の開け方を試してみてね」
「さ、参考に、します」
生真面目に答えたハーヴィングに、男性陣からそっと、しなくていい、と呟きがもれた。
ヒマリに率いられた女性陣は、入口を入ってすぐ、埃と共に人の気配が漂っていることに気づく。
「誰かいるね、こりゃ。まあ、こんな街じゃ防犯も何もないか。他の建物よりも上等だし、住処にしたくなるか」
「どうしましょう、ヒマリさん。一度、男の人もふくめて出直しましょうか?」
土地柄を考えれば当然の提案を、ヒマリはいらんいらんと手を振り、大きく息を吸い込む。
「この建物にいる人にお話しする! 私達はフリークロス、医者だ! この建物は私達の病院として使って良いと言われて入って来た! 追い出すつもりなどはない、一度顔を合わせてお話しできないか!」
埃を舞い上げて響いた声に、病院内に隠れていた気配が、恐る恐るといった風に動き出す。
二階に続く階段から顔を出したのは、顔色の悪い男性だった。
「ああ、その、勝手に建物を使って申し訳ない。この土地の者です」
「フリークロスの所属医師、ヒマリと言います。空いているものを使ってもらうのは構いません。私の家ではありませんから」
言葉に無理な気遣いはない。
実際、誰がここを使っていても、治療さえできればフリークロスのメンバーとしては構わないのだ。
フリークロスにここを提供したのは、製薬関係の団体だと聞いている。
こんなところで経営している製薬会社もないだろうから、放置されている建物の権利を買い取っただけの、実質は廃棄された建物のはずだ。
ヒマリとしては、そんな建物の所有権や居住権よりも、男の方が気になる。
「そんなことより、顔色が優れないようですね、大丈夫ですか?」
「はい。ああ、いえ、実はそれで、ここにいたのです」
男は、階段の上を、汚れた指で示す。
「上には、私よりもっと具合の悪い者がいます。みな、あなた方が来ると聞いて、待っていたんです。この街には、十分な治療を受けられるところが、もうほとんどないもので」
「そうでしたか。到着が遅くなって申し訳ない。すぐに治療を始めましょう」
即座に予定を変更して、ヒマリはハーヴィに声をかける。
「私が、ひとまず診察をするから、ハーヴィは必要な薬や器具を荷下ろし係に伝える伝言役を頼む。いいね?」
「はい。そうですね、私はそれが一番お役にたてそうです」
フリークロスでの活動経験もなく、きちんと医師免許を取ったわけでもないハーヴィングは、準備にしろ治療にしろ、一番戦力にならない。
残念ではあるが、大丈夫だ。今がダメでも、明日がダメでなければ良いことを、医大受験の時に、自分は学んでいる。
真っ直ぐに頷く、素直な気質の新人に、ヒマリは柔らかく笑った。
「うん、しっかり頼むよ、ハーヴィ」
「はい、よろしくお願いします」
新人の頼もしい返事を受けて、ヒマリは男に向き直る。
「お待たせしました。行きましょう」
「ありがとうございます。本当に助かります。到着したばかりで、お疲れでしょうが」
「大丈夫、私達は医者ですから。自分の体調も管理していますから」
跳ね馬の足取りで患者の下へ向かうヒマリと、小走りで後を追うハーヴィング。
二人の歩みを止めたのは、重々しいエンジン音だった。
それが軽装甲車のものであると知っている現地の男は脅えて身を伏せ、フリークロスのメンバーは、驚いたハーヴィング以外、きつい眼差しを玄関に向けた。
フリークロスが予想していた来訪者のうち、一般論として良い方がそこに現れた。統一された制服は、統合政府の武力機関、武装隊のもので、味方と言って良い。
フリークロスの眼つきが、友好的になることはなかったが。
指揮官の男と、クダゾが互いにいかつい顔を突き合わせて話し合い、というより罵り合いを始めた。
「我々の護衛もなしに勝手に行動されては困る」
「俺達が今日ここに来ることはあらかじめ連絡してあったはずだ。なのに基地についたらいなかったあんたらに問題があるだろう」
指揮官の方は、事務的な物言いながら、まなじりを釣り上げて怒りを露骨に伝えている。クダゾの方は逞しい腕の筋肉を盛り上がらせながら、隠す気もない怒りをぶつけている。
「ピリンザは危険な土地だ。緊急の出動はいくらでもある」
「緊急というなら、俺達を待っている患者だって緊急だ。ただの風邪でも、三時間の遅れが人を殺すんだぞ」
「護衛なしではあなた方の生命が危ないのだ」
「俺達は危険を承知でここに来ている。危険を冒すことが武装隊の専売特許だと思ったら大間違いだ」
「危険を承知することと、危険に陥ることはまるで違う。今回は偶然無事だったようだが、以後、我々の護衛なしで動かないで頂く」
「ガキじゃないんだ。いつでもなんでも報告してるほど暇じゃない」
「して頂く」
指揮官は、額がぶつかるほどに顔を寄せ、噛み千切るように言った。
「我々、武装隊の護衛を受けない地域での活動はしない。これはフリークロスの責任者、あなた方の上司が、我々の上官と交わした契約だ。現場が勝手にこの契約を破るというなら、我々も上官を通して抗議する」
クダゾが拡大解釈だと文句を言いだしたのを、ハーヴィングは嫌な気持ちで見守る。
武装隊の指揮官の言い方は高圧的で、自分たちの都合しか考えていないように思えた。だから反感を覚えたが、嫌な気持ちになった理由は別だ。
目の前の指揮官を通して、ある少年への信頼に、わずかな不安がよぎったせいだ。
「まったく、石頭の武装隊め」
無意識に前髪のピンセットを探ったハーヴィングの隣で、腕組みをしたヒマリが控えめとは言えない声量で陰口をたたく。
ハーヴィングの見たところ、彼女に陰口という自覚はなかったかもしれないが。
「おい、武装隊の責任者! 私達の活動に護衛が必要なら、さっさと護衛を一人つけろ。患者がいる二階に護衛なしで行ってしまうぞ!」
威勢の良い大声に、睨み合っていた男二人が口論を止める。
クダゾが皮肉っぽい笑いで見る中、指揮官はまなじりを釣り上げた渋面で、ヒマリの要求を聞き入れた。
「二名、彼女についていけ。しっかり護衛しろ」
横柄な命令に、弾かれたように兵士が二人動き出す。
ハーヴィングは、あんな指揮官でも兵士は言うことを聞くのかと驚くうちに、一人がヒマリの前に立ち、一人が階段を駆け上がっていく。
二階に先行する隊員が、小剣を抜いたことに、ハーヴィングは顔色を変えて叫ぶ。
「あの、二階には病人がいるだけですから、武器は!」
「黙って」
ヒマリの前に立った隊員が、長杖を突き出して言葉を遮る。
「で、ですが、体が弱った人を脅かしては」
「敵が潜んでいる可能性があります。偵察の邪魔をしないでください」
邪魔とまで言われ、どのように怒りを表現して良いかわからないハーヴィングの言葉を、二階から聞こえた悲鳴と、泣き声が押し出した。
「二階にいるのは病人だけです!」
「それを確認するのは我々の仕事です」
立ちふさがる隊員は、平坦な、温度のない声で跳ね除ける。
「もしショックを受けて悪化する人がでたらどうするんですか!」
「結果、そうなったとしても、安全を確認する規則ですから」
二階からの泣き声は続いている。
それを黙らせようとする怒鳴り声が、一階まで響くにいたり、ハーヴィングは立ちふさがる隊員の杖に掴みかかった。
「今すぐやめさせてください! 規則だからってあんなひどいこと!」
「ひどい?」
事務的に応じようとしていた武装隊員の表情が、こらえきれない毒気に歪む。
「民間人に敵が紛れこんでいるなんてここじゃしょっちゅうだ。俺達の規則が気に食わないみたいだが、規則ができるまでに何があったか、頭の良いお医者様ならわかるんじゃないのか」
若い女性を黙り込ませた武装隊員は、言いすぎたことを自覚している顔で、続く言葉を抑えることができなかった。
「危険を承知の医療活動、ご立派な仕事だと感心するが、その安全を確保するこっちの仕事の危険も考えて欲しいもんだな」
杖を引いた武装隊員に、ハーヴィングはそれ以上の抵抗ができない。
確かに、二階に敵が潜んでいないとは言えないのだ。そして、二階で怒鳴っている隊員は、危険を冒して一人で踏み込んでいる。
命がけで守られている、その自覚が、ハーヴィングの心を冷たく満たした。




