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ジャンクション33  作者: 雨川水海
三重の絆
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三重の絆5

 早朝、キャルとギンカが見かけたフィッシャーの姿は、疲労感に満ち溢れていた。


 瞼は半分閉じており、項垂れるような前のめり、制服のジャケットはボタンが留められていない。

 一時限目の座学に出るため、何とか校舎に辿り着いたという風情だ。


「おはよう、リーダー。ひどい顔だね」

「具合が悪いのですか?」


 二人がめいめい心配げに声をかけるが、フィッシャーは気だるげに手を振って否定する。


「ちょっと徹夜になっただけだ……あぁ、きつい。もう若くねえな」

「なんだ徹夜かぁ。二十歳前でだらしのない!」


 どちらかというと夜行性のキャルは、自業自得とわかって遠慮なく笑う。


「で、なにしてたの? 女の子には話せないようなこと? フィッシャーさん、一人部屋だよね!」

「女が嬉しそうに話すネタじゃねえだろ! あぁ、大声ださせるなよ」


 女の幻を追いかけるような眼を、フィッシャーはキャルからそらす。


「でも、リーダーが体調不良なんて、珍しい」


 キャルとは言葉を変えて、ギンカが何をしていたのかと聞くと、フィッシャーは寝ぼけた眼で空中に逆三角形を描いた。


「こう、な。こう、三角形の隊形にしようと思ってな」

「フィッシャーさんフィッシャーさん、いきなりすぎてわかんない。何の話?」


 キャルに注意されて、フィッシャーは悪い、と苦笑いして頭を叩く。


「眠くてどうも説明が……。あれだ、今までのチーム戦闘のデータを分析してたんだよ。なんか改善点が見えてくるかと思って、初めから昨日のまで」

「へえ、すごい! フィッシャーさん、そんなことまでできるんだね」

「器用ですね」

「そ、そうか? あ、ただ見様見真似だぞ。統計学とか分析学とか、本格的なのはよくわからんから、テキトーにな」


 少女二人から感心の眼差しで見上げられ、フィッシャーは正直に照れる。


「ま、まあ、とにかく、反省として振り返ってたんだが、わかったのは、俺達のやられ方は決まってる。三人ばらばらにされて、各個撃破」


 リーダーの言葉に、チームメイトは呼吸一つ置いてから、頷いた。


「あー、今更言われなくてもわかってるって顔すんな。それは俺もわかってるから。ただ、他のチームのやられ方を見ると、各個撃破が多いものの、二人や三人、まとめてやられることもある」

「へー、そうなんだ。で、つまり?」

「つまり、俺達は、まとめてやられたことがない。三人だから負けてはいるが、一人一人の能力値……っていうか、前衛二人、キャルとギンカの能力は、訓練生の中でも高いんじゃねえかと、多分」

「お、ちょっと嬉しいかも」


 キャルが、褒められて嬉しそうに緩んだ頬を押さえる。

 ギンカは、控え目に自分の能力を肯定した。


「一対一なら負けることは……」

「うんうん、ギンカさん、二対一とか三対一でも粘るもんね」

「キャルツェさんも、二人に囲まれても倒れない」


 意見の一致を見たことで、フィッシャーは自信をつけて声を強める。


「ていうことはだ、問題はその高い個人技能を組み合わせられてないこと、コンビネーションの不良だ」


 その結論に、ここまですぐに賛成してきたキャルとギンカは、返事をしなかった。

 フィッシャーは、怪訝な顔をしたが、あまり気にせずそのまま続ける。


「今の隊形だと、ギンカが最初に敵と遭遇、そこに後ろからキャルが援護に駆けつけてって考えだったが、どうもそれが上手くないんじゃないかと思ってな。それで、今まで使ってた基本の縦一列から、前衛二人が横に並んで、その後方中央に俺が立つ、逆三角形の隊形で行こうかと思うんだ」


 二人の反応は、別な考えに囚われているようで鈍い。それに、寝不足でテンションが高くなっているフィッシャーは気づかない。


「この状態で敵と遭遇した場合の基本的な作戦も三つに分けたんだ。敵が、キャルとギンカの正面から向かってきて二人を引き離そうとする場合、二人は敵を内側に挟み込むように動く包囲型Aパターン。敵が二人のうち片方にだけプレッシャーをかけてくる場合、俺が手薄な方の敵の牽制に回るから、その隙にもう一人の援護に行くフォーメーションスイッチ型のBパターン。敵が両側から回りこんでこちらをバラけさせようとした場合、俺も含めた三人が密集して敵中央を突破する特攻型のCパターン」


 どうだ、これならいけると思わないか――なんて、彼等のリーダーは疲れた顔で上機嫌に笑う。

 別なことを懸念しながらも、キャルとギンカは眼を輝かせたフィッシャーに可笑しさを覚える。


 基本方針ということならば笑うこともないが、彼が考えた通り、そんなに上手くいくはずがない。

 今は作戦を考え付いたばかりで、とても素晴らしいアイデアに輝いて見えているだけだろう。

 恐らく、一度実戦で試してみた後に、あらゆる角度から穴だらけの作戦をどうして自信満々に話していたかフィッシャー自身が羞恥に悶えるはずだ。


 それでも、リーダーの前向きな態度は、キャルとギンカの懸念を棚上げにさせる力があった。


「良いんじゃない? 次はそれで行ってみようよ」

「私も、リーダーに従います。やってみましょう」


 フィッシャーは小さくガッツポーズを見せた。

 普段は、頑張って大人びた、年上らしい態度を無理して演じている少年の、素顔らしい笑い顔が零れる。


 キャルは悪戯っぽく笑い、ギンカを見上げる。

 ギンカも、澄ました顔でキャルの視線に応じる。

 好意に満ちた、しかし少年が聞けば憤慨したであろう会話が、視線だけで交わされた。


「来週のチーム戦が楽しみだな! 他にも色々考えたんだよ。さっきの隊形をやるなら、ちょっと個人技のバリエーションを増やせないかと思ってな」


 寝不足を一時忘れた調子で、フィッシャーは教室のドアを開けた。


 漏れてきたのは、虫が這い寄るような忍び笑い。


 神経を逆撫でせずにはいられない音に、フィッシャーは眉根を寄せる。

 音の理由を、反射的に追ってしまう。

 馬鹿にする笑いの元を知ったところで愉快なことではない。そう半ば悟ってはいたが、それでも、それを見つけたフィッシャーは腹から噴出す灼熱を抑えられなかった。


「誰がやりやがった!」


 33番チームの指定席が、ゴミと落書きに埋め尽くされていた。


「犯人は前に出て来い!」


 壁に拳をぶつけ、怒声を張り上げても犯人はわからない。

 忍び笑いが、余計に大きくなっただけだ。


 眠気などとうに吹き飛んでいる。

 殺意など及びもつかない暗い熱が頭まで回っている。

 今、人を殺す気はない。だが、結果として人が死ぬ事はあるかもしれない。


「この、クソどもが……一人一人締め上げなきゃわかんねえか」


 手当たり次第に尋問を始めようとしたフィッシャーを、後ろから二種類の腕が止めた。

 袖に絡んだ腕のキャルが、背を掴んだ腕のギンカが、何もかもをわかっている顔で首を振る。


「いいよ、リーダー」

「別に良いんです」

「良い訳あるか! こんな舐めた事されて、黙ってろってのかよ!」


 怒りは無差別に、本来向くべきではない方角にも流れてしまう。

 それを受けた二人は、ありがたがるように拒絶した。


「そんなことしても無駄だもん。疲れるだけだよ」

「キャルツェさんの言うとおりです」

「ギンカはともかく、キャルまでこんな時だけ行儀良くなりやがって……俺は我慢しねえからな!」


 腕を振るえば、キャルの腕が外れる。だが、ギンカがその逆の腕を取って放さない。


「放せ、ヤマガミ」

「放さない」


 フィッシャーの形相が、炸裂寸前の静けさを帯びてギンカを睨みつける。


「人を恨んでは、いけない」


 小さな声で、だが断固として、ギンカは視線を返す。


「なんで……なんで止める」


 フィッシャーの獰猛な形相が、一瞬泣きそうに歪んだことに、ギンカは気づいた。


「馬鹿にされているのは、フィッシャーさんじゃない」


 ギンカの言葉には、無音の続きがあった。


(わかっていますね?)


 キャルも、寂しそうな視線で、同じ言葉を伝えている。

 33番チームの机は、特にヤマガミ・ギンカと、キャルツェ・レッドハルトのものが汚されていた。

 誰を標的としてあるか、誰が標的とされなかったか、誰にでも分かる。


「ふざけんなよ……」


 送られた無音の言葉を砕くように、フィッシャーは歯を噛み締める。


「なんだよ、お前等はなんなんだよ!」


 存在の正体を問われ、ギンカとキャルは、胸元を刺されたように、苦痛を表情に浮かべる。

 さらにフィッシャーが問い詰めようとして、授業担当の教官が立っている三人に大声をぶつける。


「何をしているか貴様等! さっさと席につかんか!」


 それがどんな獣の吠え声よりも恐ろしくても、初日以来怒鳴られ続けたフィッシャーは、すでに免疫が出来ている。

 ギンカとキャルを押しのけ、教官に訴える。


「教官殿! それどころじゃないんだ、誰かが33番チームの席にあんな――ひでえことを!」


 教官は眉を寄せ、机を視線だけで確かめ、わずかに思考のための沈黙を置いた。

 そして、大声ははっきりと告げる。


「33番チーム! 神聖な我が校の机の管理がなっていない! 訓練校の外壁五周!」

「――なんだと?」


 波が消えた海辺のように、フィッシャーの声が静まった。

 何を言われたのか頭が理解を拒みつつ、納得がその心臓を貫いている。


「一度で聞き取らんか! 訓練校の外壁五周の罰だ! 33番リーダー、復唱!」

「ふっ、ざ、け、てんのかぁ……この野郎――――!」


 間違いなく殴りつけていた。

 両腕をチームの仲間に押さえつけられていなければ、フィッシャーは教官暴行罪に問われていたはずだ。

 その時には、大人しく殴られずに完膚なきまで少年を叩き潰していた教官は、平手を叩き込んだ。


「教官に対してなんだその口の聞き方は! 追加五周! その後に校舎内の全清掃を命じる!」

「てめえ、それでも教官のつもりか! その様で一体何の教官のつもりだ! 連合保安局がそんな様で良いと思ってんのか!」


 仲間の二人が、リーダーを強引に教室から引っ張り出す。

 そうしなければならなかった。

 怒り狂って吐き出される暴言は、懲罰で済む限度を超えかねず、退学もありうる。


 それに何より、33番チームのリーダーは、今にも泣き出しそうだった。

 引きずられ、引きずって、三人は、校舎の外へ――出た。

 逃げ出したと言うべきか、追い出されたと言うべきか、三人の心情はどちらも使いたくはなかった。


 俯いて震えるフィッシャーの腕を、躊躇いがちに、ギンカとキャルは放す。


「ふざけやがって、ふざけやがって、ちくしょう……」


 零れ落ちる言葉は、溢れ出る感情そのものだ。

 肉体の許容量を遥かに超える大きさに、それでも耐えるしかない少年の姿は、見ている方が心苦しく、少女達にとっては胸が痛いほどに、嬉しさを掻きたてた。


「フィッシャーさん、良いってば、そんなに気にしなくて」


 かつて犯罪者だった少女は慣れている。

 法に違反し、社会的立場に反論のしようがない弱味を抱えているキャルツェ・レッドハルトは、人が遊び半分に悪意を注ぐ絶好のゴミ箱だった。


「そうです。フィッシャーさんが、そんなに怒ることはありません」


 ヤマガミ・ギンカは、慣れている。

 集団は、肩書きだけを全ての根拠にして、ありったけの嫌悪を石礫に、正義を謳いながら人にぶつてくる。

 無謀な反乱を率いた長の娘は、その肩書きに投げつけられる同胞の石によって、故郷にいられなくなった。


 二人の少女は知っていた。自分達が、ちょっとした娯楽混じりに泥をぶつけられることを。

 それを知りながらこの場所にいるのだ。


 そうすると決めたし、そうするしかなかった。


 だから、そんな自分達に巻き込まれた少年に、迷惑をかけたくなかった。傷つけたくはなかった。

 そんな、他人行儀の気遣いに、少年は歯を噛み直して顔を跳ね上げる。


「そんなに気にするな? そんなに怒るな? ふざけたことぬかすな! これを何で許せるんだよ!」

「なんでって……だって、フィッシャーさんは巻き添えに――」

「俺はなんだよ?」


 傷ついた顔で、少年は言いかけた少女の襟首を掴んで言葉を止めた。


「俺はなんだよ。俺は……そんなに頼りないか?」


 考えてもいなかった問いかけに、言葉もないキャルを、フィッシャーは詫びるような表情で放す。


「そうだな。俺は頼りないわな。飛び抜けた能力もない、指揮が上手いわけでもない、お前等に座学を教えられるほど頭が良いわけでもない。なんで武装隊にいるんだって言われてもしょうがない、見所がない男だよ」


 初めて聞く、フィッシャーの心の毒だった。

 それでも、よどみなく言葉が続くのは、少年が何度も心の中で繰り返していたからに違いない。


「昔っからそうだった。勉強も運動も趣味も、何一つ面白みがない。笑って開き直れるほどド下手でもなけりゃ、羨むほど上手くもない。俺にはこれがある、これしかないってものが何にもない。いっつも、平均に埋もれて目立たない。それが何より嫌で、とにかく特別になりたかった」


 過去形を使うことに、フィッシャーは違和感を覚えた。

 つい数ヶ月前、訓練生になる前の自分が、まだ背中に張り付いているような気がしている。

 あの頃と、変わっていないという確信。


「俺は単純だから、連合保安局員になろうって考えた。平々凡々な会社にいるよりは、命の危険がある世界が魅力的だって思ってた……というか、今でも、思ってる。ここでなら、俺みたいなのでも特別になるチャンスもあるはずだって」


 踏みにじるような残酷な表情で、フィッシャーは自分の独白に溜息をつく。


「それが何だ、この様は……。適性検査も見事に平均、チーム戦をやれば連戦連敗、机に悪戯されて馬鹿にされるだと? 挙句が――」


 湧き上がった怒りに、地面を蹴りつけずにはいられない。


「挙句があの教官の態度だ! 何が連合保安局だ、何が教官だ! 協調と勇気と友愛のモットーはどこに行ったんだ!」


 蹴りつける。


「気にするな? 怒るな? 冗談じゃない!」


 蹴りつける。


「キャルツェ・レッドハルトとヤマガミ・ギンカがどこの何者だろうと、あんな風に馬鹿にされて良い理由がどこにあるんだ!」


 蹴りつける。


「あんな特別なくそったれになるために俺はここにいるんじゃねえ!」


 何度も、何度も地面を蹴りつける。

 それで地面がどうにかなるはずもない。 

 それでも蹴りつけずにはいられない。


 息を荒げ、無駄に砂埃を巻き上げる少年を、キャルは真っ直ぐに見られない。

 表情は、引きつった笑顔という、ぎこちないもの。その場にいることさえ苦しいのだから、いつもの表情を保つ事ができなかった。


 感情が、痺れている。


「フィッシャー、さん……」


 嬉しかった。

 ありがとうさえ言えないくらい、嬉しかった。


 フィッシャーの怒りに、少年の理想が混じっていても構わない。

 自分のためだけに言われていなくても些細なことだ。

 良く考えれば、キャルツェ・レッドハルトが感極まって喜ぶことではないかもしれない。


 それでも、フィッシャー・ブルードロップの怒りは、少女にとって優しい。

 動かないキャルを見て、ギンカは暴れる少年に手を伸ばす。


「フィッシャーさん、それでも、怒らないで」


 服の裾を掴んで訴えると、ようやく蹴りが止まった。

 最後に巻き上がった砂埃に、フィッシャーと共に汚されながら、ギンカは困ったような視線を向ける。


「人を、恨みたくないの」


 反乱の長の娘は、表情が薄い。

 それでも、辛うじて浮かんだ感情は、微笑と呼べる。


「ヤマガミは、そう言うが……」

「お願いです」

「願うな。感情があるんだからしょうがないだろ」


 フィッシャーが突っぱねると、ギンカは寂しそうに目尻を下げる。

 そんな顔をされて、平気な男がいるわけがない。


「そんな顔……わかった、恨まなきゃ良いんだろ」

「はい」


「なら、見返す。これなら良いだろ」


 ギンカは満足したようで、また微笑を目元に浮かべる。

 キャルは、趣旨は一緒じゃなかろうかと微苦笑する。


「えーと、見返すって、どうやって?」

「一番取ってやる」


 きっぱりと、フィッシャーは言い切った。


「それは、成績で?」

「あったり前だろ。馬鹿にした連中を見下し返してやる。それしかない」

「それってやっぱり、恨んで……」

「見返すだけだ、問題ない」


 そう思い込むことに決めたらしく、フィッシャーの答えは子供っぽく頑なだ。


 キャルとギンカは、互いに視線を交わした。

 人の悪意に聡い二人は、何となく結末がわかっている。

 交わる視線は、それでも良いんだと、お互いの思いを共有する。


「じゃ、連中を見返してやろっか、リーダー!」

「はい、リーダー」


 その返事に、リーダーは嬉しそうにはにかんだ。

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[良い点] フィッシャーの怒りが尊い。 [一言] 他の教官生徒の腐り方が癪なので、存分に見返してほしい。
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