三本の道8
「えー、この後の、一ヶ月の勉強の予定だが……」
目を合わせないまま、何とかフィッシャーが仕切りなおす。
「とりあえず、明日の午前に参考書を買いに行ってだな」
会話に、店の出入り口が開く音が混じる。
店員の席を示す声、それに従う声に、何となく、三人は違和感を覚える。
何故かその足音は、三人の元へと一直線にやって来るのだ。
「ご歓談中――って、なんだか思ったより静か……失礼いたします」
柔らかな声とともに現れたのは、金の長髪をなびかせた、美しい少女だった。
キャルツェ・ギンカ共に容姿は目を引く方だが、少女は一つ上を行くように見える。
一体何者かと互いの顔を見合わせる中、二人は、フィッシャーだけが自分たちと異なる表情をしている事に気づく。
驚いたというより呆れた顔。睨みつけるような目は、怒っているというより問い質しているようだ。
(って、目?)
キャルツェは、フィッシャーを見て、美少女を見る。
似ているとは、百メートル離れて見ても思えない二つの顔だが、奇妙な近似を覚える。そう、目つきの鋭さだけは、同じパーツで作られているような……。
「うっそ、まさか……」
話には聞いていた。フィッシャーには、自分とは似ても似つかない妹がいると。
美少女は、華やかに微笑んだ。
「初めまして。ベアトリーチェ・ブルードロップと申します。兄がいつもご迷惑をおかけしております」
反射的に、キャルツェとギンカは席を立った。
世話になっている人物の身内に対しての礼儀、それに良くわからない感情が加った結果、彼女達は勢い良く立ってしまった。
「え、えーと、何と言いますか」
キャルツェが、咄嗟の言葉につまってうろたえると、ギンカが名家育ちの一礼を施した。
「初めまして。ヤマガミ・ギンカと申します。お礼を申し上げなければならないのは私達の方です。お兄様には多大なお世話を頂いており、お礼を申し上げます」
「あ、えっと、キャルツェ・レッドハルトです。お世話になってます」
ギンカの礼儀を省略コピーして、キャルツェも何とか頭を下げる。
そのかしこまったやり取りに、フィッシャーは恥ずかしそうに溜息をつく。
「おい、そんなに丁寧に挨拶なんかしなくて良いんだぞ」
「兄さん、そんなわけにはいきません。兄さんの、大事なチームメイトなのですから」
「お前には言ってない。二人に言ったんだ」
その手加減のない台詞に、本当に妹なんだ、と二人は感心する。
「で、いつまで立ってるんだ」
「では、お言葉に甘えて」
フィッシャーの隣にベアトリーチェが腰かけ、遅れてキャルツェとギンカが座る。
フィッシャーは、再度の溜息を隣に漏らす。
「お前には言ってない」
「随分冷たいですね、兄さん。ニュースに見るような危険な土地から帰って来た家族の顔を、できるだけ早く見たくて駆けつけた人情、理解して欲しいのですけど」
「人情?」
神の実在を疑うような声を、フィッシャーは妹へ投げつける。
「ええ、人情です。兄さんは、家族どころか、学校でも心配されるようなところから帰って来たんですよ」
「学校?」
「ダリオ先生を筆頭に、ホムラやミルケです」
「へえ、そりゃ悪いことしたかな」
軽く流され、ベアトリーチェの眉がぴくりと動く。
余人なら気づかない、微妙な感情の温度変化を、実の兄は自然に察する。
「怒ってもお前には謝らないからな。先生や二人には、まあ会った時に謝るかな」
「冷たいですネ」
柔らかだった声に、ひびが見えた気がして、ギンカは首を傾げる。
キャルツェは、何かに気づいたように口元を押さえた。
「それで、何の用だよ。今日はチームの打ち上げなんだ、邪魔すんなら帰れ」
「兄さんの冷たい言動、忘れませんからね」
ふう、とベアトリーチェはわざとらしく溜息を響かせ、冊子を取り出す。
なぜかしわくちゃのそれに、ベアトリーチェ以外の三人が顔を寄せる。
「武装隊の内部広報誌じゃねえか。何でお前が持ってる、ビーチェ」
「ホムラから回ってきたんです」
「ホムラちゃん? ……ああ、武装隊一家だったな、あの子」
「兄さん、ホムラにちゃん付けは……。いえ、なんでも……今は良いことにします」
戦乙女もかくやの知人への呼び方を指摘しようとするのを、ベアトリーチェは辛うじて抑える。
ほっそりした指が、付箋のつけられたページを指す。
「それで、これはどういうこと?」
指差された記事を、キャルツェが何も考えずに読んだ。
「訓練生、活躍……なにこれ? 烈火の自滅とか、清水の和睦とか、どこの話?」
渦中の人物が、外部からどんな評価を受けているか知らないということは、間々発生する。外部との通信が遮断しがちな環境では、特に。
キャルツェとギンカが顔を見合わせると、フィッシャーがテーブルに向かって墜落した。
「へ? フィッシャー、どしたん?」
「この記事に、思い当たることでもあるんですか?」
返事は、地獄の底で亡者が責め苦にあっているかのような呻き声。
「やっりやがった絶対MAGの連中だふっざけんなマジふざけんなああああもおおお」
ベアトリーチェ、キャルツェ、ギンカ。
それぞれがそれぞれに把握している人物の、予想外の反応に、咄嗟に視線を交わす。
原因不明だという結論が出た。
「えっと……とりあえず、兄さん、戻って来て」
「ぐうぅ……くっそ、徹夜で、だから、仕方が……処刑……」
羞恥に悶えながら、フィッシャーは何とか、妹に応えて顔を上げた。
「よくわからないけど……兄さんだけは、この記事が何の記事か、わかったみたいですね」
「まあ、な……。これ、サラテックの武装隊の記事だろ……」
枯れたようなフィッシャーの言葉で、ギンカが再び記事の内容に目を通す。そこには確かに、サラテック、フォクスモージェンの名称も載っていた。
フィッシャーは、さらに一歩、事情を理解する。
「そうか。訓練生にも知れ渡っていたのは、こいつのせいか」
これほど堂々と宣伝されていれば、帰着直後に囲まれるのは当然だ。
今最も保安局で注目を集めている地域で、MAGと協力して事態に当たった訓練生。
ちょっとした英雄扱いだ。
思わぬところで解決した問題は、ちっともフィッシャーの心を軽くしなかった。
「はあ。嫌なことを知っちまった」
「兄さん、何やら勝手にお疲れのところすみませんけど……」
整った美貌を、肉親以外なら耐えられない距離まで寄せて、ベアトリーチェは兄を睨む。
「無茶をやらかしたんじゃないでしょうね」
「そりゃ、まあ、多少はしたかもしれないが……普通に仕事をしただけだ」
ベアトリーチェは、兄の言葉より、そのチームメイト二人の顔色の方を信じた。
「どうも、多少というわけでは、なさそうですけど?」
「つってもなぁ。俺達は、問題があるところで、それを解決するのが仕事なわけだから、そりゃ危険なことくらいあるさ」
納得いかないと兄そっくりの目元を吊り上げるベアトリーチェに、フィッシャーも同じ目つきを返す。
「言っておくが、詳細は一般人には――」
「言えない、でしょ? わかってるわよ。保安局員は、その業務で知りえた情報を、みだりに外部に漏らしてはいけない。特に、武装隊員は、任務中の活動全般について、守秘義務を負う」
「それを知ってて、わざわざ聞きに来たのかよ」
呆れた顔をした兄の脇腹に、妹は軽く肘鉄を突っ込む。
うるさい、と呟く顔が、薄っすら染まっていた。
「それはオマケです。本題は、兄さんのラストバケーションについてですよ」
ベアトリーチェは、咳払いをして用意していた本題を取り出す。
「いつ、家には帰って来られるんです? 何日くらい?」
「あぁ、それな、ちょっと難しいんだよな、悪い」
「――――」
表面上、ベアトリーチェの美貌は変化しなかったが、内面は劇的に変化した。
「兄さん、それは……?」
「ちょっと二人の勉強を見ないといけなくてな。一ヶ月間は缶詰の予定なんだ」
「……そうですか。仕方ありませんね」
にっこり。ベアトリーチェは微笑むが、温もりという成分が一切ない。
特に、二人――キャルツェとギンカを見る時は。
これは危ない、とキャルツェの脳内警報が鳴る。
何が危ないのかは良くわからない。彼女等のリーダーの身の安全か、それとも、リーダーの妹と自分達の関係か。
どちらでも良い。危ないのは確実だ。
「あ、あのさ、フィッシャー、外泊許可取ったらどうかな!」
「あぁん?」
フィッシャーの目が据わる。訓練校に到着直後の会話を忘れたのかと眼で刺してくるが、それは重々わかっているのだ。
「いやほら、勉強も大事だけど、ボク達ずっと働き通しだし、やっぱりリフレッシュって大事だと思うんだよね!」
冷や汗を浮かべるキャルツェに、同じ感覚を得たギンカも頷く。
「フィッシャー、私も同感です。MAGの方も、メリハリが大事だときちんと休息を取っていました。休んだ分、ちゃんと勉強しますから」
キャルツェだけなら、サボりたいだけだと一蹴しかねなかったフィッシャーだが、ギンカの意見には渋面で考え込む。
彼の脳内で、仮組みされていた一ヶ月間の勉強日程がカチコチと音を立てて検討し直される。
やはり厳しい。
だが――フィッシャーは、二人の真剣な表情を見て、溜息をつく。
あまり無理に勉強をさせても、能率はあがらないものだ。
「確かに、丁度良いかもな」
勉強とは異なる案件を考慮に入れ、フィッシャーは頷く。一番に反応したのは、チームメイトではなく妹だった。
「本当、兄さん?」
「休みの管理もリーダーの仕事だしな。勉強を始める前なら、まあ何とかなる」
ベアトリーチェの声に温かみが戻った事に、キャルツェとギンカはこっそりと肩に入った緊張を抜いた。
「じゃあ、休みは、すぐ?」
「そうだな。明日の午前中に申請して、午後には家に帰るか。三泊して、四日の早朝に訓練校に戻る」
実質、二日と半日の休みだ。ゼロだった計画と比べれば、ずいぶんと贅沢になった。
ベアトリーチェは、小鳥のように軽やかに席を立つ。
「わかったわ。父さんと母さんにすぐに伝えますから、絶対ですよ」
「ああ、明日な」
もう行くのかとキャルツェとギンカが止める間もない。
ベアトリーチェは、邪魔をしたことを柔らかな声で詫びて、足早に店を出て行った。
「はぁ……フィッシャーの妹さんが、あんなトンデモ美人さんとは思わなかった」
「ええ、本当にキレイな方でしたね」
妹が去ったドアをしばらく見つめる二人に、兄は小首を傾げる。
実兄にとっては、妹は確かに目を引く容姿ではあるが、感心する二人だって負けていないと思うのだ。




