三本の牙21
スラム街の内部へ、MAGは何度となく、襲撃部隊を向かわせた。
移住許可を得ずにスラム街に住みついたフォクスモージェンの家屋を武力制圧し、その住人への身分調査と、家屋内の捜索をするのだ。
もし、エクスフォクスとの繋がりが判明すれば、基地内に連行し尋問が執り行われる。
この強制捜査は、一日に複数回の場合もあった。
この乱暴な捜査方法に、フォクスモージェンは武装隊への反感をさらに強めたが、彼等には正当な弱みがあった。
まず、強制捜査を受けたフォクスモージェンは、不当な身分で都市に住んでいた。
さらに、サラテックの先住の市民に行われた戦術砲撃の被害は甚大で、住宅地が、すでに二つ、壊滅状態にあった。
死者は五十名を超え、負傷者はその三倍に達している。
先住市民と、フォクスモージェンとの衝突も増えた。
家屋を失い、何より家族を失った市民は、怒りの矛先をスラム街のフォクスモージェンにぶつけるしかなかった。
市民も、スラム街に住んでいるフォクスモージェンの多くが温厚で、不十分な補償を我慢して受け入れた者達が大多数だと知っていた。
エクスフォクスと関わりのない、ただ生活に困ってスラム街に入り込んだ難民が多いことも知っていた。
だから、今まで疎ましく思いながらも、見て見ぬふりで共存できたのだ。少なくとも、フォクスモージェン狩りなどという言葉が、悪事ではなく、何かの正義のように市民の大半に受け取られるようなことは、なかったのだ。
ファルムリヒは、槍についた血を振り払って、周囲を見渡した。
辺りには、武器ではないが武器として使える日用品を持った黒装束達が転がっている。
例外なく血を流し、中には二度と動けない者もいた。
黒装束は、フォクスモージェン狩りをする市民団体だ。
まだ子供に過ぎない、当然エクスフォクスの暴力活動とは関わりのないフォクスモージェンを襲っていたのだ。
「ルーヴェン、終わった」
ファルムリヒが通信すると、周辺を監視しているルーヴェンが急いで撤収を促す。
「武装隊のパトロールが近づいてくる。右手の路地に逃げて」
「わかった。他に、モージェン狩りは?」
「今のところは……私の視界にはいないわ」
そうか、とファルムリヒは疲れた溜息を漏らす。
戦術兵装の投入から、彼等を包む情勢はすっかり変わった。
市街地への大打撃に、ファルムリヒについた若い戦士達も、一時は大いに湧いた。
それに対し、ルーヴェンは絶望の表情を、ファルムリヒは過ちへの悔恨の表情をした。
よりにもよって、市民への無差別砲撃。
最悪のシナリオだと、政治的状況をふくめてルーヴェンは頭を抱えた。
彼女には、その程度で政府が妥協することは絶対にないとわかっていたし、砲撃の結果、都市に移住した仲間の身が危険になることを予測していた。
そんなルーヴェンを中心に、スラム街の警備チームが組まれることになった。
〝鷹乃眼〟で、フォクスモージェン狩りや、武装隊の強制捜査から、仲間を逃がそうとしたのだ。
これに全面的に賛成したのはファルムリヒで、その精勤ぶりが、ルーヴェンには罪悪感の重い影に見えた。
「どうしてこうなったんだろうな」
最近、ファルムリヒの口からこぼれることが多くなった台詞が、また一つこぼれた。
『貴方のせいじゃないわ』
「どうかな」
アダリアが死んでから、ファルムリヒの声に強さが戻っていない。
可愛がっていた弟のような少年の死が、彼の心の大事な線を切断したのだ。
「俺はただ、皆が一緒に暮らしていけるようにって、ただそれだけで……誰かを傷つけようなんて思ったこと、なかったんだがな」
『わかってるわ。ちゃんと、わかってる』
どこまでも優しいルーヴェンの言葉に、ファルムリヒは、自分でも想像だにしないことを口にした。
「あいつらは、何をしているかな」
『あいつら……?』
「ああ、いや。なんでだろうな、俺も今、自分で不思議だったが。突然な、思い出したんだよ」
ファルムリヒは、溜息とともに、自分と切り結んだ少女の名前を出した。
「ヤマガミ・ギンカ、だったか。それとその仲間の二人」
『ああ、訓練生の……あの三人ね』
ルーヴェンの口調は、慎重だった。その三人に、アダリアが殺されているのだ。
いや、殺されてはいない。死ぬきっかけになっただけだ。
「色々、思うことはある。憎いとも、思う。けど、今はなんだかな、あの一角の娘が、俺にかけてきた言葉を思い出した」
『そういえば、何か話していたわね。色々ありすぎて、あの時のことは聞いてなかったけど……』
「あの娘はな、自分達には話し合う覚悟がある、ってな、そう言って〝くれた〟のさ」
ファルムリヒの言葉にたゆたう、穏やかな響き。
それは、感謝という感情のさざ波に違いない。
傷ついた彼に、そうさせるだけの思いが、一角の少女の言葉にはあったのだ。
ルーヴェンも、少女に感謝の気持ちを抱く。例え一瞬でも、ファルムリヒに安らぎをくれたのだし、ルーヴェン自身にも、希望らしきものを与えた。
『そうだったの。本当に、今、何をしているのかしらね』
「なんとなくだが、忙しくしているんだろうな」
その感想には、どういうわけか、ルーヴェンも同感なのだった。
****
実際のところ、三人は安全だが忙しく過ごしていた。
MAGの存在を警戒してか、イルギス准尉からの無茶な命令はない。
だが、その反動ではないだろうが、エクスフォクスの動きが凶悪化し、市民との衝突も増えた。
現在の三人の主な仕事は、砲撃を受けた地区の救援活動である。
道路に散乱した瓦礫を、道端に寄せて、キャルは首から下げた手拭で額を拭う。すでに、手拭は汗で不快な湿り気を帯びていた。
「うあ~、きっつい。流石にこんだけぶっ続けだと疲れが取れないよ」
「頑張って下さい。今日はあともうちょっとですよ」
その脇を、ギンカが軽々と瓦礫を両手に抱えて通り過ぎていく。
身体能力強化に優れたギンカは、この作業では一番の働き手だ。
非力なキャルは、この手の作業には向かないが、耳が良く、瓦礫の下から生存者を発見する能力はずば抜けている。
そして、その二人を最大効率で働かせるのがフィッシャーの役目、なのだが、今、彼女等のリーダーは、精彩を欠いていた。
フィッシャーは、ただ無言で、目の前の瓦礫を片づけるだけで、二人に指示を出そうとしない。
一応、もう声は取り戻しているのだが、その顔色は相変わらず悪い。
これでも、一時期よりはマシになっている。声を失ったその日のうちは、彼は食事を取ろうとする度に嘔吐を繰り返し、一気に痩せていた。
今は、それなりに食事も取る事ができ、回復の兆候が見られる。
そんな状態のリーダーを、キャルとギンカは、傍らで見守ってきた。
二人とも、今のこの状況を何とかしたいとは思っている。
だが、ここまで精神的に痛手を負った少年に、これ以上の負担をかけることははばかられた。
今までだって、ずっとリーダーとして、普通以上に頑張ってくれていたのだ。
だから、今、フィッシャーが動きたくないと言うのであれば、キャルも、ギンカも動こうなどとは言わない。
口に出すくらいならば、自分ひとりだけでやるのだと、考えていた。
「ふい~、もうボク、ダメ……。ギン、時間まだぁ?」
「ええと……いえ、もう終わりですね。今日の作業は終了です」
「やったー! もうお腹ぺこぺこー!」
先程まで弱音を吐いていたくせに、途端に元気になって、キャルはフィッシャーに声をかける。
「このままどっかでご飯食べて行こうよ!」
「……そうだな」
フィッシャーは気だるげに頷く。彼自身どうしようもなく、気持ちに芯が入らないのだ。
「よし、決まり決まり! じゃ、どこ行こうか? ギンは、行きたい場所ある?」
「これだけ汚れた格好で、どこかのお店に入るのも失礼でしょうから」
「とすると、屋台か。ピザだね!」
フィッシャーの意志を確認するため、二人が見ると、彼は少し悩んでから、頷く。
「ああ。久しぶりだしな、悪く、ないよな」
少しずつ、いつものフィッシャーの返事に近づいている。
キャルは安堵を得ながらフィッシャーの手を取る。
「じゃあ、早く行こう、ボク空腹で死んじゃう」
「おい、引っ張るなって」
「じゃあ、私も」
「お前もか……」
二人の少女に手を取られ、いつものフィッシャーなら照れるところが、微苦笑だけだ。
それでも、嫌そうな顔ではないので、二人はそのまま、フィッシャーを引っ張る。
いつも、そうやって二人を引っ張ってくれたフィッシャーに対する、心ばかりのお礼だった。
ピザ屋に着くと、初めて、店主の方から声をかけてきた。
「お前等、生きてたか」
「あはは、がっつり生きてるよ、おかげさまでー」
キャルが冗談めかして答えると、店主はタフな若造だ、と小さく笑った。
「まあ、良かった。お前等に、あの双子から手紙を預かってる」
「セシリとカリルから!?」
「ああ。こいつを渡せてよかった」
差し出された手紙を、キャルは宝物のように受け取る。
「よかった、あの二人も無事だったんだ」
「二日前に、保護者らしい女に連れられてここに来てたよ」
「そっかそっか。ありがとう、おじさん」
店主は軽く手を振って、ピザ窯に戻って行く。
その背中に、キャルが注文をしようとするが、店主の台詞の方が一瞬早い。
「四人分は食って行けよ。手紙を預かってやった分、金を出してけ」
「うん!」
キャルが満面の笑みで、フィッシャーとギンカに、大事そうに手紙を見せる。
「見て! セシリとカリルからの手紙!」
「はい、無事で良かったです」
「ああ、まったくだ」
フィッシャーが優しい顔で笑った事に、キャルはさらに双子に感謝を送る。
「ね、早速読もうよ」
「ええ、ぜひ」
二人の確認を取ってから、キャルは手紙の封を解く。
のたうつような線で書かれた、セシリとカリルのサインらしきものを見て、キャルは危険なものを感じたが、その後の文字は綺麗に整っていた。
どうやら、まだ文字を覚えていない双子が、誰かに代筆を頼んだらしい。
『キャルお姉ちゃん、ギンカお姉ちゃん、フィッシャーお兄ちゃん、三人とも、元気ですか。セシリとカリルは、元気です。』
その部分をキャルが音読すると、ギンカが頬を緩めて、可愛いと呟いた。
『でも、中々お外に出られなくて、お姉ちゃん達に会えないので、お手紙を書きました。あのピザ屋さんにお願いして、届くといいなぁ。』
その部分を聞いて、一瞬、ピザ作りをしていた店主の動きが止まったのを、フィッシャーは礼儀正しく見過ごした。
『お外に出られないのは、お外が危ないからだと言われています。それがどういうことか、セシリとカリルは、ちゃんとわかっています。お姉ちゃん達のお仕事が、大変になっているということです。怪我をしていないか、セシリもカリルも大変心配です。』
キャルは、その部分で一度読み上げるのをやめて、もう一度眼で文面を確認する。
「あの子達、ひょっとして、街がどういう状況か、わかってる?」
「そうみたい。まだ、小さいのに」
幼い双子が見せた冷静さに、キャルとギンカが驚く。
それは、フィッシャーにとっては、すでに知っていたことだ。
「続き、読めよ」
「あ、う、うん。えっと……」
『セシリとカリルは、他にも、心配しているお兄ちゃんやお姉ちゃんがいます。きっと、キャルお姉ちゃん達と、戦っているから、いっぱい心配です。
もし、もしも、キャルお姉ちゃん、ギンカお姉ちゃん、フィッシャーお兄ちゃんのお仕事が、上手にできるのなら、とても嬉しいです。もし、上手にできていないなら、セシリとカリルに、何かできることはないですか。勇気をだして、お手伝いします。』
今さら感嘆の念に打たれている女性陣と違い、フィッシャーの胸にあるのは、温かい納得だ。
ああやっぱり――そう思っている。
路地裏で、自分より遥かに強い相手に立ち向かっていた幼い双子の、あの姿。
自分も恐怖に押しつぶされそうになりながら、傷ついた者を助けようとする、あの意志。
フィッシャーは、自分自身にあのようなことができるとは思わない。
自分にできるのは、ある程度の勝算をつけた戦いだ。
だが、あんな風になってみたかったのだ。
幼い頃から、ずっと、そう夢に見てきた。
「やっぱり、あいつらはヒーローだな」
そういう風に、特別になりたかった少年は呟いた。
自分は、そういう風にはとてもなれない。
それならそれで、ヒーローに勝機を授ける魔法使い(ヒーローメイカー)にはなれないだろうか。
幸いなことに、エクスフォクスの少年を殺したのは、自分だ。
キャルではない。ギンカでもない。もちろん、あの双子でもない。
考えてみれば、とんでもない幸運だ。落ち込む必要などない。
フィッシャー・ブルードロップは、そうして、ヒーローが背負うべきではない、汚れ役を引き受ければいい。
殺人を受け止めるため、フィッシャーは心の中に覚悟を沈める。
それは重く、どこまでも深く彼自身を沈めて行く危険がある。
だが、その頭上で輝くものがあれば、それを見上げて沈んでいける。
暗い深淵だからこそ、その輝きを尊いと思えるだろう。
呼吸を一つ。
生まれ変わる心地で、フィッシャーは仲間に声をかけた。
「さて、そろそろ新しい作戦を実行したいと思うんだが?」
リーダーの、その芯に強さを秘めた軽口に、キャルが、ギンカが、待ちわびていた笑みを浮かべる。
「うん、うん! 待ってた、ボクは準備万端だよ!」
「私も、いつでも、何でも」
頼もしい台詞に、フィッシャーも笑い返す。
流石、と心のうちに快哉が響き渡る。――流石、ヒーロー候補達だ。
「じゃあ、作戦目的だ。これは今更言うまでもない。この戦いを、止めること」
たかが訓練生が、大きく出る。
「それを、どうやって果たすか。ここで、注目すべき切り札が、こちらには二つ、ある」
一つ、右手をギンカに差し出す。
「かつて三年に及ぶ反乱を起こした一角族、それも反乱を率いた長の娘、ヤマガミ・ギンカ」
一つ、左手をキャルに差し出す。
「元犯罪者で、路上生活の苦しみを知る、キャルツェ・レッドハルト」
今まで、マイナスでしかなかったと当人達が思っているその出自を、フィッシャーは切り札と呼んだ。
「この二つがあるからこそ、俺には今、一つの道筋が見えている。――和平交渉だ」
「ほんとに!?」
「本当ですか」
「任せろ。絵空事じゃないぞ。割と現実的な案だぞ、これ。エクスフォクスを、武力制圧するよりも確実性がある」
もちろん、すぐに実行できるようなものでもない、とフィッシャーは説明する。
「いくらか準備が必要だ。明日からちょっと、忙しくなるぞ」
「うん、頑張るよ!」
「はい、頑張ります」
三人は、軽く手を打ち合わせ、健闘を誓い合う。




