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ジャンクション33  作者: 雨川水海
三本の牙

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三本の牙17

 がきりと歯を食い縛る。


 顔の左半分を腫らした状態で、フィッシャーはイルギス准尉の拳を、右半分に頂戴した。

 その衝撃は熱を持った左半分に伝播し、それから全身各所の腫れた場所に響くのだが、フィッシャーは、歯を食い縛るために止めていた呼吸を、再開しただけだった。

 その憎たらしさに、イルギスは唾がかかる距離で大声を張り上げる。


「この大馬鹿者め! 重大な情報を持っていると思われる対象への尋問を邪魔するなどどういう了見だ!」

「そいつぁすみませんね」


 流石に、口の中を切っているため喋りづらそうにフィッシャーが切り返す。

 なお、この場にはフィッシャー一人だ。他の二人は廊下で待機を命じられている。

 一人になれば虚勢も削がれるだろうと期待したものらしいが、そんな可愛げのある少年ではなかった。


「どっからどう見ても弱い者いじめにしか見えなかったんで、こいつは武装隊の……いや、連合保安局の汚点だと思いましてね」

「素人の判断で軽々しく動くからだ! 覚悟しておけ、このことは隊規に照らして司法部の判断を仰ぐからな! 除名処分はもとより、刑事告訴も検討されるぞ!」

「そいつは大事ですね。じゃあ、その前に、こっちからも証拠として使いたいものがあるんで、お聞き頂けますかね、准尉殿」


 訝しげにしたイルギスに構わず、フィッシャーは懐から携帯端末を取りだし、とある録画データを再生した。

 ディスプレイは相手に見せない。手の内を見せるのは、音声だけだ。


『うわ、くっそ! なんだこりゃ、水!? ガキの悪戯かよ、ちっくしょう』

『何やってんだよ、鈍くせえな』

『うるせえ。学校卒業してまでこんなアホみたいなことするなんて誰が考えるかよ』

『さっさと終わらせて、シャワーでも浴びるんだな。本当にただの水か? 硫酸とかじゃなくて?』

『へっ、オレの顔が爛れてるか? なんなら、床に落ちたの舐めてみろよ。ああ、くそ、イルギス准尉のおかげでひどい目にあった』


 そこで再生を止める。


「お聞きの通り、こっちは準備万端だ。良いですよ、出るとこに出して貰いましょう。非戦闘員である都市住民に不当な暴力を振るったのか、平和のために必要な情報収集だったのか、真実ってやつを一緒に探しましょう」

「楽しみにしておけ」


 イルギス准尉の態度が、一気に冷えた。

 それは、狼狽や恐怖によるものではない。今までの演技じみた怒りが消えて、本当の牙を剥き出しにする覚悟を決めたような表情。

 フィッシャーは、足の裏で全身の汗をかきながら、精々余裕の表情で首を傾げる。


「用件は以上で?」

「ああ、以上だ。下がって良し」


 軽く頭を下げて、フィッシャーは退室する。

 廊下で待機していたキャルとギンカは、服は汚れているがフィッシャーより遥かに軽傷だ。その二人に、顎をしゃくって一緒に歩くよう促す。


「ちと不味い。こっちが先に手の内を見せちまった。向こうも、奥の手を出してくるぞ」


 小声で、手早く二人に伝えると、空気が帯電したように緊張感を帯びる。


 致命的だった。

 相手が、手順を踏んだ中で処理をしようとしてきた今までは、なんとかなった。その段階が終わった今、ここから先は何もかもを飛ばして結果を出し、その後に帳尻を合わせにくるはずだ。

 キャルが、掌に爪を食い込ませる。


「ごめん。もうちょっと考えて動けば良かった」

「キャルのせいではありません。不当な暴力を止めることは、私達の職務です」


 断固として、ギンカはキャルの行動を是とした。フィッシャーも、積極的にキャルを支持する。


「ギンの言うとおりだ。あの場でお前が真っ先に切り込んだのは、お前が一番脚が速かったからだ。お前が行かなかったら、ギンか俺がやってただけだ」


 言葉の後に、腫れた顔で苦労しながら笑う。


「というか、このチームで一番やっちゃった回数が多いの、俺だしな」

「それは……そうですね」


 神妙な顔で、ギンカが頷いたので、キャルが引き締めていた表情を思わず緩ませた。


「そういえば、そうだよね。上官暴行回数、三回だったよね? ふふ、これも学内記録らしいよ?」

「ふっ、くく、笑うな。つーか笑わせるなよ、ははっ、いって」


 切れた唇で笑ってしまい、フィッシャーが呻く。

 三人の中で、フィッシャーの負傷が一番大きいのは、それだけ実力が低いからだ。

 防御力はギンカより大きく劣り、回避力はキャルより遥かに低い。かといって、一撃で倒せるほどの攻撃力を持っているわけでもない。そんなフィッシャーが乱戦となると、自然と負傷が多いのだった。

 上官への不敬な言動も多く、一方的に殴られることも多々ある。


「大丈夫ですか、フィッシャー?」

「まあ、慣れたもんだよ。お前等二人の方こそ、平気か? 顔は、とりあえず大丈夫だよな?」


 この辺りは男心というもので、見ればわかるのだが、つい確認してしまう。

 問われた仲間も、少年が相手ならばこういう扱いが嫌いではない。


「はい、おかげさまで」

「ボクも平気。フィッシャーが、危ない時はばっちり支援魔術でフォローしてくれたから」


 その返事に、フィッシャーは少しばかり誇らしげだ。


「じゃ、問題は俺だけだな。後で冷やさねえと、このままだとひどいことになる」


 すでに腫れはじめて密かに面白いことになっている顔を、キャルはまじまじと覗きこんだ。


「フィッシャーさ、いつも思うんだけど、良く殴られても痛がらないね? 痛くない、わけじゃないんだよね?」


 防御力という点では、フィッシャーと同じ程度のキャルが、興味深そうな目をする。


「なんか痛み止めのコツとかあるの?」

「ある」

「え、どんな?」


 キャルが無邪気に問い、ギンカも素直な眼でフィッシャーを見た。

 一同の好奇心を集めた少年は、きっぱりと言う。


「気合」

「おーう、そう来るか」

「馬鹿、大事なことだぞ。あんなムカつく奴に殴られて痛がったら、相手の思うつぼだろ。何事につけ、相手の期待通りに動かない。これが作戦の鉄則だ」

「作戦、なんだ?」


 ん、とフィッシャーは重々しく頷く。

 キャルは、力の抜けた声で呟く。


「作戦の根幹が、気合、なんだ」


 それには、フィッシャーはちょっとだけ迷う。

 知力の限りを尽くすはずの作戦立案が、気合ありき。

 おかしい。だが、自分が言った台詞を何度吟味しても……。


「まあ、そうなる、かな?」

「そう、なっちゃったね」


 なんだかおかしな結論になってしまったことに、キャルとフィッシャーは不思議そうに首を傾げる。

 ただ、ギンカだけはいたく感動した顔で、何度も頷いていた。


「気合」


 どうやら気に入ったようだった。



****



 ところで、自分達の境遇がまずいものになったとわかった後、三人が気にしたのは、例の双子と老夫婦が無事だろうかということだ。


 特に落ち着かない様子なのはキャルで、情報収集や裏働きで活躍する彼女の能力の低下は、敵への対応に全力を傾けるべきフィッシャーにも心配を余儀なくさせた。


「まあ、あの双子がついて行ったんだ。問題ないと思うけどな」

「そうかな? いや、そうだとは思うんだけどさ。でも、路上で手負いって言うのは、色々と大変だから」

「保護者くらいはいると思うが……」


 それでも、断言はできない。

 フィッシャーは仕方なく、三人連れ立って外食をあのピザ屋に統一していた。

 この辺りが、あの双子の姉弟の縄張りだとキャルが推測しているのだ。


 だが、双子の行方を尋ねた店主は、いつも通りピザを焼きながら、静かに首を横に振るだけだった。

 ピザを受け取ったキャルは、いつも活力に溢れた顔に、沈痛な表情を浮かべる。


「大丈夫かな」

「大丈夫ですよ、キャルがきちんと助けたんですから」


 ギンカが、俯くキャルの頭を撫でて慰める。

 この点、フィッシャーは二人をやや過保護だと思って、密かに怒っている。


「平気だよ。セシリとカリルは、勇敢な奴等だ。立派な奴には、良い仲間がついてるもんだ」


 フィッシャーの心にあるあの双子は、見た目は幼いが、尊敬できる人物だった。

 何せ、あの非力さで、不当な暴力に立ち向かい、傷つきながらもより傷ついた者を助けたのだ。


 それは、フィッシャーの平凡な幼少時代には、できなかった行為だ。

 いや、今でもできるかどうかはわからない。


 だからこそ、セシリとカリルを、年齢とは別に見直した。


「どっちにしろ、スラム街で行方を捜すような真似はできないだろ。逆に警戒されちまう。フォクスモージェンから見たら、こっちは敵なんだからな」

「そんなつもりはないのですが……」


 ギンカの呟きは、押しつぶされるような切なさがあった。


 まずいな、とフィッシャーは口の中で苦味を味わう。

 あの一件から、キャルとギンカの士気が下がる一方だ。二人の事情を考えれば仕方のないことかもしれないが、基地内の敵の動きがどうなるかわからない状態では、急ぎ何とかしたい。


 頭をがしがしと荒っぽくかいたフィッシャーの隣で、跳ねるようにキャルの顔が動いた。

 とっさに心中の警戒度を上げたフィッシャーだが、すぐに肩の力を抜いてピザにかじりつく。


 落ち着いた少年とは逆に、キャルとギンカは走り出した。

 物影から顔を出した双子の姉弟を、見つけたのだ。


「セシリ、カリル! 良かったよぉ、無事だったんだね!」


 キャルが二人に飛びつくように抱き締めると、ギンカもその上から頭を撫でる。


「本当に良かった。あのご夫婦も、無事?」


 双子は、最初は驚いた表情で固まっていたが、綺麗に笑う年上の少女二人に、緊張は持続しなかった。

 笑い声を遠くに見ながら、フィッシャーはピザを二人前追加した。


 ひとしきり、無事を喜んだ二人が、双子と手を繋いで歩いてくる。

 フィッシャーの挨拶は簡単で、双子に対して軽く手を上げただけだった。

 キャルは、物足りなそうに唇を尖らせたが、セシリとカリルには十分だったようで、背筋を正して頭を下げる。


「お兄ちゃんも、あの時はありがとうございました」

「ありがとうございました!」

「俺はあれが仕事だから、礼を言われるほどのことじゃない。こっちこそ、あの時は助かった」


 逆に感謝されたことに、双子はくすぐったそうな、自慢げな笑みを浮かべる。だが、疑問が浮かんだようだった。


 セシリが、表情で三人の顔色をうかがう。

 質問をしても良いか、それも失礼な質問かもしれない、という無言の合図に、キャルがにっこりと笑って促す。


「えと、でも、ぶそー隊の人は、よくセシリ達にひどいことするし……エクスフォクスの皆と戦うのが、ほんとのお仕事じゃないの?」


 それは違う――三人の声が、見事に重なった。

 ギンカが、一番双子の境遇に近い彼女が、双子に視線を合わせて話し出す。


「セシリ達にひどいことをする武装隊の人は、間違った事をしている。悪い武装隊の人です。武装隊のお仕事は、そういうひどいことをする人から、セシリとカリル達を、守ることです」


 それは、事実というよりも、願いに近いのかもしれない。

 訓練生として過ごす日々は、事実の連続だ。


 それでも、ギンカは、事実を積み重ねて、そう口にできる。


「そして、エクスフォクスと戦うのも……本当のお仕事ではありません。武装隊は、エクスフォクスのような人達が、許せないことがあって、我慢できなくて、戦うしかない人達がいる時、お話し合いができるようになるまで、その怒りを受け止めるのがお仕事です。だから、もし武装隊が、相手を傷つけて、相手に傷つけられるような時は、お仕事を失敗して、本当のお仕事をできていない時なんですよ」

「戦うのが、お仕事じゃないの?」


 カリルが、何かを期待するように問い返す。


「はい、戦いは仕事ではありません。戦わないようにすることが、武装隊のお仕事です。武装隊のモットー、大事な考えは、〝協調、勇気、友愛〟の三つです。人は助け合わないと大きなことはできない。助け合うためには、隣の人を友達として大事にする。そして、初めて会う人と友達になるためには、勇気がいる」


 ギンカがかつて聞かされた言葉を、簡単な言葉に直して言ってみたのだが、少し長かったらしい。

 双子の子供達は、どう反応して良いか分からない様子だった。

 それを見て、キャルが勢い込んで頷く。


「難しく考えることはないよ!」


 だが、その後の上手い説明を思いつかなかったらしい。


「えー、ようは優しくしようっていうことで……ね、フィッシャー!」


 全部を投げられたフィッシャーは、額に手を当てて溜息をついた。


 だが、口下手なギンカが一生懸命に話し、そんなギンカをフォローしようと説明下手のキャルが自爆しかけたのだ。

 フィッシャーが何もしないわけにはいかない。


 幸いなことに、この座学問題児二人に勉強を教え続けたフィッシャーは、噛み砕いての説明に慣れていた。


「〝協調、勇気、友愛〟なら、もうセシリもカリルもやってる。初めて俺達が会った時、遠くからこっちを見てるだけだっただろ。武装隊はひどいことする人が多かったもんな」

「うん……ちょっと恐かった」

「でも、お兄ちゃん達はピザ食べさせてくれた!」

「そうやって恐い人に勇気を出して近づいてきて、友達になった。その友達と、助け合って、あのご夫婦を助けただろ。勇気を出して友達になって、友達が困っていたら、一緒になって頑張る。そういうことを言ってるんだよ」


 説明が理解に染み渡ったのか、途端に双子の表情が輝いた。


「それ、セシリ知ってる!」

「カリルも知ってる!」


 へえ、という表情を三人がした。

 連合保安局のモットーを知っているのかと意外に思ったのだが、そうではなかった。


「フォクスモージェンにも、そういう言葉があるの!」

「あるの! えっとね、〝私の善意は皆の食べ物〟」

「〝皆の善意は私の食べ物〟! 皆で助け合えば、誰も困らないぞっていう言葉なの!」

「言葉!」


 意表をつかれたが、その言葉の意味に頷き、ギンカは二人を撫でた。


「いい言葉ですね。私も、その通りだと思います」


 そこに、店主がピザ二人前を持ってくる。

 いつもより、具が多く乗っているような気がしたが、店主は何も言わずに窯の前に戻って行く。


 キャルが、そんな店主と、フィッシャーを交互に見て、笑う。


「気持ちじゃお腹は膨れないって言うけど、善意って、本当に食べ物になって出て来るんだよね」


 それは、キャルの経験から来る、思い出し笑いだった。

 五人で食事をして、他愛無い談笑をした後、別れ際に双子は手を振って三人に言った。


「お仕事がんばってね、お兄ちゃん、お姉ちゃん」

「がんばって! 気をつけてね!」


 それに手を振り返した三人は、すっかり暗くなった街を歩き出す。


「さて――どうやってお仕事をしたものかな」

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[一言] 今後の双子の先行きに不安…… 組織的な快楽殺戮(殺人というより殺戮かな)をくりかえす人たちがいますからねえ。
[一言] ここから先のフォクスモージェン側の展開がある程度判っているだけに辛いなぁ(´;ω;`) 万事解決とはいかなくともフォクスモージェンの人達やフィッシャー達が報われる展開になると良いのだが。
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