三本の牙9
アジトに戻る足取りは、重く引きずられていた。
そこには、どこかに逃げ出してしまいたいという意思と、アジトにいる人物を引き裂かねばならないという殺意の、二つが絡みついている。
だから、アジトで殺意の対象が顔を見せた時、ファルムリヒの体はただ突き動かされた。
「コールドマン――――!」
アジトの入り口で出くわしたその男に、駆け寄りざまに拳を叩きつける。
全体重に、速度を加えた一撃は、当たり所が悪ければ死に至る。
それを、コールドマンは営業スマイルに食らい――平然としていた。上半身が仰け反ることさえしない。
ファルムリヒの拳が、気味の悪い、粘ついた液体を殴ったような感触に驚き、反射的に引かれた。
目の細い好青年の顔立ちが、ぐにょぐにょという擬音が相応しい波打ち方をしながら、喋った。
「その様子では、アレが使われたようですねぇ。いやはや、全く、どうしてそんなことをするのか」
台詞が終わる頃には、青年の顔は何事もなかったように整っている。
「お前……」
アダリアに由来する怒りと、たった今目の前にした異常事態の、どちらを言及したものか、ファルムリヒは常識的に躊躇う。
非常識なコールドマンは、そんな相手の心情を察していた。
「爆発した子のことを、私に訴えるのはお門違いですよ。私は使えと命令する立場にありません。必要だと言われた物資を、適正な対価と引き換えにお渡しするだけです。あの自爆兵装に関しては、オススメもしていませんからね、私は」
無実を訴える詐欺師のような口調で、コールドマンは自分の立場を述べる。それから、仕事を果たすべく言葉を継いだ。
「それで、あの三人は始末できましたか?」
「ッ、貴様……!」
「おや、またですか?」
ファルムリヒは、痛烈な罵倒が来ると思い、今度は拳でなく槍を握る。
だが、コールドマンは顎に手を添え、さらに確認する。
「自爆は、どれくらいの距離で行われました? 十メートル以上、離れていませんでしたよね?」
「そんなこと、俺が知るか! アダリアが死んで……お前は、アダリアを、何だと思って!」
「大事なことなんですけどね。それでも殺せなかったとすると、いよいよもって曲者と言うか……危険な方々と言うか」
コールドマンの問いかけは冷静で、それがさらにファルムリヒから言葉を奪い、沸騰した殺意を抱かせる。
ルーヴェンが、自身も十分に傷ついた表情で、ファルムリヒの前に出た。
「三メートルより、近くはなかったと思うけど……五メートルから十メートル以内には、確実に入っていたわ」
「そうですか。十分な殺傷圏内なのに……いや、そうですか」
コールドマンは、自分の頭の中でだけで報告をまとめ、何度か頷く。
「わかりました。今日は、お疲れ様でしたね」
意外なことに、コールドマンの口調には労りか、同情に近いものが含まれていた。
ファルムリヒには何の効果もなかったが。
「ゆっくり休むことはできないでしょうけど、とりあえず、あの自爆兵装を購入したニルビナさんは、奥にいますよ」
怒りの矛先を、きっちりと自分から遠ざけて、コールドマンは去って行く。
ファルムリヒは、すでに駆け出している。ルーヴェンは、同行した戦士達を怒鳴りつけ、慌てて後を追う。今のファルムリヒが過激派の幹部と顔を合わせたら、まずどんな行動を取るか、わかりきっていた。
「ニルビナぁ!」
槍を振りかぶったファルムリヒの腕を、間一髪でルーヴェンが抱き留める。続いて、他の戦士もファルムリヒの体を抑え込んだ。
「離せ! ぶっ殺してやる! テメエ、アダリアによくも!」
「落ち着いて、ファル! 殺すのはダメよ!」
暴れる腕に振り回され、ぶつかったルーヴェンの唇が切れる。それでも、ルーヴェンは必死にファルムリヒを抑え込んだ。
ニルビナは、問い詰められることを予期していたようで、むしろ叱りつける態度で――後ろで組んだ手は震えていたが、ファルムリヒに告げる。
「その様子では、アダリアにあの短剣を使わせてしまったようだな」
「お前か、やっぱりお前が! お前のせいで!」
「私のせい!? 私のせいとは、自分のことを棚上げにして、ずいぶんと都合が良いな!」
それは、ファルムリヒの、生真面目な責任感を強かに殴りつけた。
絶句したファルムリヒに、強者を打倒したような高揚感を覚えたらしい。ニルビナが、唇を吊り上げ、精一杯に笑みを堪えた怒りの表情で、ファルムリヒを指さす。
「確かに、アダリアにあの武器を教えたのは私だ。だが、ファルムリヒ、お前が負けたからアダリアがあれを使うことになったのではないか。あれは万が一の時のためにと、アダリアが持って行ったものなのだぞ!」
それは一抹の真実をふくんでいた。
特に、ファルムリヒにとって、現場の指揮官にとって、ふせぐことができたはずという重い枷となっている。
「たった三人のヒヨコを討ち果たすだけと言うのに、八人の戦士を連れ、その中で最も若く、最も勇気を持った戦士が、お前のために死んだのだ! それでリーダーを務める器があると思うか!」
勝ち誇って上ずった声に、自身の挫折感に窒息しているファルムリヒは反論もできない。むしろ、頷きそうになる頭を、抱きしめるルーヴェンが食い止めていた。
「良くものうのうと言えたものね!」
舌先で人を殺しかねない男を、ルーヴェンは冷静さの欠片もなく怒鳴り返す。
「人の責任ばかりを謳いあげて、そういうお前の責任はどうなる!」
「私の責任? 一体なんのことかね」
「この卑怯者!」
ルーヴェンの罵声に、ニルビナは余裕を持って笑った。
アダリアの損失を出汁に、ファルムリヒを貶める役目をブロイラから譲られたニルビナは、得意の絶頂で、自身の足元に穴が空いていることが見えていなかった。
「アダリアに自爆する武器を渡したのはお前でしょう!」
ニルビナが眉をひそめる。どこに突き落とされるのか、饒舌な弁舌家は気づいていなかった。
「コールドマンに聞いたわ。あの武器の有効範囲内に、敵は三人とも入っていたのよ。それなのに、あの三人は生きていた! お前が言う最も勇気を持った戦士が命を賭した武器は、役目を果たせなかったのよ!」
ルーヴェンは、アダリアの顔を思い浮かべていた。
いつからか彼女が撫でようとすると、ふてくされた顔で拒否するようになった少年の顔を思い、震える声で弾劾した。
「アダリアを無駄死にさせる武器を渡した責任を、どう取るつもりよ、卑怯者!」
そこから先、ルーヴェンの声は理性を失って、それがその場で最後の理性だった。
過激派は、ファルムリヒの責任を追及し、それに対して親ファルムリヒ派はニルビナの責任を追及しあう。
こうして、エクスフォクスは、完全に二つの派閥に割れたのだった。




