三本の牙4
早朝の朝霧を、ファルムリヒは槍で切り裂く。
横薙ぎと刺突を交互に、汗がじっとりと額を濡らすまで繰り返す。
時々、槍の穂先の向こうに、長剣を構えた少女を思い浮かべてみる。
それを突こうと試みるが、空想の中でさえ、中々に困難を極めた。
「うぅん、やっぱり強い。何をやればあんな風になれるんだか」
佇まいは静かで、ともすると油断しているようにさえ見えるのに、いざ動いた時は眼で追うことさえ苦労する。
そういう動きの練習の賜物かな、とファルムリヒは槍を肩に担ぐ。
「アダリア、用があるなら今なら大丈夫だぞ」
朝霧の向こうの気配に呼びかけると、気まずそうな顔をした少年が姿を現した。
「ごめん、邪魔してばっかで」
「なんだ、最近遠慮を覚えたな。大人になった、ってことか」
ファルムリヒが犬歯を剥いて笑うと、アダリアは顔を赤らめて頷く。
「うん、俺ももう十五歳だからさ、一人前だろ。だからさ……俺も戦士になりたいんだ」
ファルムリヒの顔から、温かい成分が落ちる。
「お前」
「わかってる。ファル兄さんが言いたいことはわかってる。でも俺、兄さんの隣で戦いたい」
意気込んで見上げてくる少年に、ファルムリヒは首を絞められたような顔になった。
「お前が武器を取る必要はないんだ。俺等は仕方なく、武器を手にしてるけど、お前までそうなることはない」
「でも、戦力はあった方が良いだろ。俺だって槍を練習してるんだ」
「そうじゃない。戦力とか、槍の腕とか、そう言うんじゃない」
アダリアの肩を掴むことで、思いとどまらせることが出来やしないか。
そう力をこめて、ファルムリヒは少年の肩に手を置いた。
「俺が今戦ってるのは、お前や、チビどもを守るためなんだ。それがいつの間にか……どいつもこいつも、十五になったら一緒に戦うなんて言い出して、どうすんだよ」
「でも俺、兄さんの役に立ちたいんだ! ルー姉さんも、皆戦ってる。俺だけじっとしてるなんて出来ないよ!」
その言葉を、ファルムリヒは温度の低い眼で見返した。「ファル兄さん」が、見せたことのない苛立ちを含んだ表情だ。
「ブロイラか、ニルビナ辺りのおっさんが、最近そういう台詞で若いのを扇動してるらしいな」
「あいつらは関係ない! そりゃ、話は聞いたけど……俺はちゃんと、自分の意志で兄さんの役に立ちたいんだ!」
「馬鹿野郎。お前は何にも、わかっちゃいない」
顔を手で押さえ、精神の疲労を吐き出すファルムリヒに、アダリアはカッとなって言い返す。
「ちゃんとわかってる! 危険なことも! 兄さんが俺に戦士になって欲しくないって思ってることも!」
「ああ、そうだな」
ファルムリヒは、不幸を目の前にしたような表情で、アダリアの頭を撫でた。
「だから、わかってない、って言ってるんだよ」
子供扱いは終わりだと、ファルムリヒはアダリアの頭を最後に軽く叩いて、手を放す。
「お前も十五歳だ。フォクスモージェンのしきたりでは一人前の年になってる。俺がどう思っているか、わかっているって言うなら……後はもう、言う事はない。自分で考えて、自分で決めるんだ」
実の兄か、父親のように少年に接してきたファルムリヒは、それだけ言って、寂しそうな背中で立ち去る。
少年の視線を痛々しいほどに感じながらも、振り向くことはできなかった。
テントの入り口には、ルーヴェンが立っていて、帰って来たファルムリヒの顔を見て、全てを察したようだった。
「皆、優しいファルが大好きだから、一緒にいたいって、そう思ってるのよ」
「嬉しくないわけじゃない。命がけだってわかってて、それでも、俺と一緒にって、嬉しいに決まってるだろ」
口にした言葉とは、悲痛なほどに正反対な表情で、ファルムリヒは首を振った。
「けど……なんで、どうして……こうなったんだ。俺は、アダリアや、皆を、こんな目に遭わせたくて、こうしてるわけじゃないんだ」
「ん、わかってる」
「ルーと、二人で始めた時から、目指してることは何も変わってないのに」
顔を押さえた男を、女はその腕で包み込んだ。
「何も変わってないのに、どうして、こうなったのかな」
それがわかれば良いのにと、ルーヴェンも頷いた。
****
朝食の席に、アダリアはいなかった。
セシリとカリルが不思議そうにしていたが、ファルムリヒとルーヴェンは、なんでもない、と誤魔化した。
「アダリアお兄ちゃん、平気?」
「平気ー?」
「ああ、大丈夫だって。多分、他のテントに遊びに行ってるんだろ」
恐らく、戦士になるための宣誓をしに行っているとは、幼い二人には言いたくなかった。
二人も、簡単にファルムリヒの言葉を信じて、そっか、と笑顔を見せてくれる。
四人で果実をパンで挟みながら食べている間、セシリとカリルが、街での暮らしの様子を話し出した。
大森林エクスモージェンが衝突した場所から、最も手近な都市サラテック。
多くのフォクスモージェンが一時的に移住した場所であり、そのために武装隊が地方基地を築いた場所である。
エクスフォクスの主な武力活動は、このサラテック地方基地に向かう輸送隊の襲撃や、サラテック内のパトロール隊への襲撃だ。
結果として、サラテックの治安は悪化し、フォクスモージェンが合法・非合法で移住した地域は、スラム街と認識されるようになっている。
エクスフォクスのメンバーでも、まだ幼い子供達は、そこに暮らしている。正確には、戦士ではないエクスフォクスのメンバーと、そこで暮らしている。
痩せた大森林よりも、辺境とはいえ都市の方が、食料事情が良いのだ。
「それでね、テレビで可愛いうさぎさんがね」
「カッコイイらいおんさんもいたよ!」
「ええ、可愛い方がいいよぉ」
「カッコイイ方が良い!」
非合法移住であるセシリとカリルは、恵まれている訳ではないはずだが、楽しそうに二人が話すので、年長二人は気軽な相槌を打つ。
子供は、どんな環境でも楽しみを見出すんだな――それが、ファルムリヒには嬉しい。
この笑顔のために、ファルムリヒは戦っているのだ。
「セシリとカリルは、危ない目にあってないか? 悪い人に声かけられたりとか……」
幼い二人の目が大きく開き、お互いに見つめあって、声をそろえた。
「んーん、平気!」
「平気平気!」
そうか、とファルムリヒは二人の頭を撫でてやる。ルーヴェンも、ほっとしたように目元を緩めた。
双子の返事が、問いかけを否定するものではないことに、気づいた者はいない。
「そうだ。そういえばね、昨日、御飯を食べさせて貰ったの!」
セシリが、カリルに相槌を求めて大きな声で自慢する。
「うん、そうそう。御飯を食べさせて貰った! 焼いたサンドイッチみたいなの!」
カリルがすぐに頷くと、セシリがピザって言うんだよ、と補足した。
「へえ、親切な奴がいるもんだな。どんな奴だったんだ?」
ファルムリヒの笑顔は硬い。
セシリとカリルのような、見てそれとわかるスラム街の非合法移民に優しくする人間は少ない。心から親切な者など、さらに少ない。
武装隊のパトロールは、スラム街の住人を憂さ晴らしに暴行していくし、サラテックの市民は移民を害獣のように扱う者もいる。
エクスフォクスでも、さらわれた子供や暴行された子供は、何人もいるのだ。
そんな気も知らぬ風に、セシリとカリルは、指折り、御飯を食べさせてくれた人を挙げる。
「二人は女の人で、大きい人と、小さい人だった」
「一人は男の人で、大きい女の人と同じくらいだった!」
ファルムリヒの横で、ルーヴェンが困った顔で頬を押さえる。そんな特徴では、どんな人物なのか全くわからない。
「えーと、二人とも、もうちょっとこう、その人達の目立つところ、なかったの? 髪の色とか、持ち物とか」
「髪の色……カリル、覚えてる?」
「んーと、黒……だったかも?」
「あ、そう! かも?」
眉間にシワを寄せて首を傾げる二人に、ルーヴェンはファルムリヒに苦笑して首を振る。ファルムリヒも、しょうがない、という風に追求を諦めることにした。
だが、双子はしっかりと、大事な部分を覚えていた。
「あ、でもでも、大きい女の人は、額に白い角があった!」
「あとあと、三人とも制服着てた! ぶそー隊の制服!」
「ねー!」
「ねー!」
覚えていたんだから褒めて、と言わんばかりの笑顔の双子を、ファルムリヒとルーヴェンは褒めてやることが出来なかった。
その特徴を持つ三人組を、二人とも、あまりに良く知っていた。
それは、三日前に命をかけて戦った、新米――いや、ヒヨコの護衛三人組に、違いない。
間違いないが、その事実を、どう感じて良いのか、ファルムリヒもルーヴェンもわからなかった。
いくら半人前でも、自分達を襲撃した集団が何者で、御飯を奢った子供達が何者か、すぐにわかるはずだ。
フォクスモージェンは、髪の色と瞳の色が赤であり、耳の形状が特徴的であるため、外見ですぐにわかる。
それなのに、あの三人は、フォクスモージェンの子供に御飯を奢った。
「小さい女の人がね、皆の分を奢ろうとしてくれたの。そしたらね、お金が足りないーってなってて」
「男の人がね、その人の頭を叩いて文句を言いながらね、お金を出してくれたんだよ。大きな女の人も、お金を出してた!」
再び、ファルムリヒとルーヴェンが顔を見合わせる。
「皆の分って」
「どれくらいなの?」
「十個くらい?」
「うーん、もうちょっと?」
双子が指折りしながら意見を言い合うが、口にしている名前からして、十五人分はあるようだった。
もっと階級が上の、給料の良い者ならいざ知らず、訓練中の半人前がそんな量を、奢って平気なはずがない。経済を嫌っているファルムリヒでも、それくらいはこの世界のことを知っている。
では、何か食料を餌に、悪事を企んでいるのか。
それもなさそうに、ファルムリヒには感じられた。
訓練中の半人前が、着任早々の任地で、例えば人をさらうようなパイプを持っているようには思えない。そんなパイプを持っているなら、輸送車を護衛している最中に始末しろ、などとコールドマンの依頼に入り込むのは奇妙だ。
そうした人身売買は、むしろコールドマンの<組織>の人間の仕事なのだから。
つまり、あの三人は、ただ真っ直ぐに、人が良いのではないか。
ファルムリヒは、大きく溜息をついて、ようやく、双子の頭を撫でた。
心の中で、三人組に対し、感謝する。疑ったことを詫びるところまでは、まだ信じられないが、感謝くらいは良いだろうと思える。
「良い人達に会えて、良かったなぁ」
わしわしと頭を撫でられ、二人は嬉しそうに笑う。
「サラテックの連中も、武装隊の連中も、悪い奴も一杯いるだろうが、そういう良い奴もいるってことだ」
「うん、嬉しかった」
「嬉しかった!」
「ああ、その嬉しい気持ちを、忘れるなよ。そういう善意ってのは、俺達フォクスモージェンが大事にしてきたことだ。昔からな、諺があるんだよ」
〝私の善意は皆の食べ物に、皆の善意は、私の食べ物に〟――幼いセシリとカリルに、その言葉を教える。
「セシリ、それ知ってる」
「カリルもそれ知ってる!」
「そうかそうか。お前等は賢いな」
いつかこの二人も、誰かに優しくできる大人になるようにと、ファルムリヒは願って抱き締めた。優しい人が増えれば、その分、世界から苦しむ人がいなくなるから、ファルムリヒはそう願う。
それは、四年前の異世界衝突の時、助けられるはずだったのに、助けられなかった自分への憐れみが、癒えていない証拠なのかもしれない。
テントの樹鈴が、双子を抱くファルムリヒの腕を外させた。
「あの、ファル兄さん、俺だけど……」
ルーヴェンが見せた、気遣わしげな眼差しに、ファルムリヒはリーダーとして心配を拒絶する笑みで答えた。
「入れ、アダリア」
「う、うん、失礼します」
テントの中に入ってきたアダリアは、魔導槍を片手に、この世界でのフォクスモージェン戦士の出で立ちだった。
少年は、声を震わせながらも、真っ直ぐにファルムリヒを見た。
「俺、ファル兄さんが嫌だっていうのは、わかってるけど、でもやっぱり……」
「馬鹿」
ファルムリヒは、自分の槍を手にとって、アダリアの震える肩を掴む。
「リーダーと呼べ。お前が戦士として話している時はな」
見上げてくるアダリアの涙ぐんだ笑顔に、ファルムリヒはいつも仲間の戦士に聞かせる言葉を使う。
「大丈夫だ。敵も確かに手強いが、フォクスモージェンの戦士はもっと強い。きちんと稽古をすれば、負けやしない。だから、大丈夫だ」
テントの外に出ると、ファルムリヒは槍を構える。
「どれ、槍の腕前を見せてみろ。一つ俺が稽古をつけてやる」
「お、おお、リーダー!」
「下手糞だったらタンコブ作ってやるからな」
「だ、大丈夫だって! 俺も本当に練習してたから!」
どれ、と舌なめずりをして、ファルムリヒは槍を打ちこんだ。
新米の戦士を相手に、それは鋭すぎる一撃だったが、ファルムリヒにはそうする必要があった。
実戦で、敵である武装隊は手加減などしてくれない。アダリアに「大丈夫だ」と、そう実戦の時に言い聞かせるために、ファルムリヒの訓練は常に厳しい。
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